「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

五日市館

2006-12-05 16:55:24 | 歴史・民俗
 明番ながら、午後からは雪か雨が降るかも・・・と思い、少し肌寒い中ではありましたが、午前中勝負ということで、土淵町内の城舘跡、五日市館を探訪いたしました。

五日市館・・・土淵町五日市


 11時過ぎ、空には青空も見えている、城舘跡を示す資料には五日市の愛宕神社がある山が五日市館とあり、早速、愛宕神社入口の歩道脇の草地に車を停めて登城開始・・・。

 鳥居をくぐると、ほぼ頂上に向かって真っ直ぐ参道が延びている、しかもかなりの急勾配、遠くからみる城山はそれほど高く険しい山には見えないが、実際は結構急な登り・・・・・。

天ヶ森

 登って3分1程度の処から・・・・。


 かなりきつい、しかも九十九折ではなく、真っ直ぐな参道、これには参った。

 そういえば先月末開催の「遠野ぶれんど」の集いでの高柳先生の講話の中で、ウンナンさんと共に愛宕さんの話しがありましたが、大概は三角形の山の頂上に勧進され、参道は祠までほぼ真っ直ぐとありましたが、苦しい息づかいの中、なるほどと納得、そういえば我家も愛宕さんを氏神としておりますが、別当を務めるお堂への以前の参道は下からほぼ真っ直ぐでありました。

 と苦し紛れに色々とあれこれ考えて登っているうちに頂上が見えてきました。
 それと共に階段状の工作されたであろう館の特徴を現す地形が見えはじめ、まず間違いなく此処が五日市館であると確信いたしました。

頂上平場(主郭)に鎮座する愛宕社


 主郭の平場は南北約50メートル、東西12~16メートル、若干の段差は南部分に確認されますが、遠野の館としては割と広い部類に入ります。

 主郭背面(南)の帯郭(3段)

 資料の記述通り、空堀跡は確認できなかったが、主郭を取り巻く3段の帯郭、北側に展開するさらに2段の帯郭共にその残存度は高めでもあり、帯郭と思われる形状は実は空堀らしき形跡もあり、土砂等が堆積したものなのかもしれません。

 東側の急傾斜地下部には文珠様、いわゆる倭文(ひどり)神社が鎮座し、西方面になだらかに続く峰は八幡山方向へ続いている。

 館主は五日市氏、倭文神社の説明板には橘氏が館主との記述、別説では阿曽沼氏と同じ木瓜紋を家紋とする五日市氏有り、本編サイトへのアップ時に考察を加えたい思います。


 愛宕神社は舘跡に建立されたものであろうと思いますが、こうして祠や社があるということで、館跡の痕跡を残す山野が保全され、人々の目に触れられることで、長らく後世まで残されるものと考えております。


 おまけ

白髪のパンチパーマ・・・六角牛さん



7万アクセス
 
 本家サイトであるHP「遠野松崎じぇんご弐」が昨夜か今朝に70,000アクセスとなりました。
苦節5年半・・・笑・・・遠野の一地域のこと、郷土史、民俗的な内容を扱うマイナー路線ではありますし、昨今のブログ人気に押され気味の中、なんとか7万の数字、ありがとうございます。

 しばらくこの路線にて頑張って続けていけたらと思っております。
 今後共どうぞよろしくお願いします。

 なお、切番プレゼント等は今回は考えておりませんが、77777の際に何か考えたいと思います
コメント (8)
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