「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

橋野菊池一族

2009-12-03 18:24:28 | 菊池氏

 まずは、タイトルの内容に関しましては、その記述はほとんど根拠が薄く、参考図書、資料を見ての内容ではなく、ほとんど小生の推測によるものであることを予めお含みおき願います。

 

 さて、天気予報ではお昼頃から雨との予報、今にも泣き出しそうな空模様ながら、どうしても探訪したい館跡があり、午前中勝負ということで釜石市橋野を目指して自宅を出発しました。

 今回は最短距離の笛吹峠越え・・・・

 やはり立丸峠同様、真冬の峠越えは危険、積雪前にということですが・・・・

 そういえば小生がかなり若い頃、職場の先輩が雪道の笛吹峠から谷底に車ごと転落したことをいつも通る度に思い出す・・・・。

 常人なら絶対助からない程の高さ、しかしその先輩は身体中骨折しながらも急斜面を這い上がって来て、軌跡の生還を果たしたタフガイであったこと、そして今もなお、谷底に車がそのまま残っていること・・・必ず思いだしてしまう・・・汗

 

 ということで、今回の目的地は橋野の「橋野館跡」・・・・

 その昔、大槌氏の家臣、橋野氏が居たという館跡ですが・・・・まずは麓の林宗寺の駐車場で長靴を履いてヘルメット装着、お寺さんの画像を撮って、いよいよ裏山へ入ろうとすると、大粒の雨が降ってきた・・・・汗

 

 林宗寺・・・釜石市橋野町中村

 これでは探訪にならない、即決断して館跡探訪は中止とする。

 隣接山野に義経北行伝説の地、中村判官堂があって、二度程訪れたことがあった。

 その際に隣のお寺さん側山野に館跡らしい地形を確認しており、その後、調べると橋野館跡と判明して、いつかは探訪と思っておりました。

 雪が積らなければ今月中に・・・ダメなら来春ですかね。

 

鶏石山林宗寺(曹洞宗)

 以前から知っておりましたが、遠野上郷の曹源寺の末寺である。

 慶長2年(1597)曹源寺の旦室俊朔和尚による開基と伝えられる。

 当初は現在の地より鵜住居側へ少し行った早栃というところに創建と伝えられる。

 現在の地へは著名である牧庵鞭牛和尚により寛延7年(1794)に移されたとある。

 

 ここで、ピンと来たのは、上郷曹源寺は大檀那を板沢館主の板沢氏であること、そういえば釜石には板沢姓の方々が案外多いという印象があって、阿曽沼氏が没落した後、板沢氏の一族や家臣達は釜石の橋野に来たのではないのか?或いは遠野南部家臣にも板沢氏が居たので明治になって釜石へ移ったのか?・・・なんて考えたりしまして、その後、大槌町の図書館に行って何故か釜石市関連の郷土史やら民俗の書籍を調べる・・・と著名な人物では「板沢武雄博士」についての記述を発見・・・国史学者、東京帝国大教授と凄い先生ですが、旧制遠野中学、今の遠野高校卒・・・でも生まれは釜石の中妻、観音寺ということで橋野とは関係ない雰囲気、電話帳でも板沢姓のお宅が橋野にあるかといえば皆無であったので、これはボツ・・・。

 ならば板沢氏の本姓は菊池なので、菊池姓関連ということで、境内に僅かではあるが墓地もあって、少しだけ失礼して墓石調べ・・・大汗

 なんと菊池姓のお墓もある・・・・そして・・・・。

 

旧制遠野中学(現遠野高校)の教諭をされた方の碑のようです。

 

 橋野地区には菊池姓の方々が結構いそうな雰囲気・・・・。

 そうしますと、上郷から曹源寺縁の林宗寺があるということで、橋野へ移り住んだ上郷関係の菊池一族が居たのか?・・・なんて妄想が湧いたり・・・・でも何やら菊池姓に関しては遠野と無関係ではない雰囲気も感じますので、いずれ機会があったら調べてみたいなあ・・・と思ったりして・・・・。

 

 

 マストの湯(大槌町)

 

 雨が降ったから湯っこを堪能したというわけではなく、館跡の探訪の後は湯っこで汗を流してサッパリ・・・という予定でもおりました。

 少し時間が早まっただけですが、考えてみれば年に5回は来てますね・・・。

 マストの湯は天然温泉ではありませんが、小奇麗で設備もまあまあで好きな施設でもあります。

 沿岸方面に来た際は外せません・・・笑

 

 そして帰りは釜石経由で・・・・

 少し遅い昼食・・・・最近は馬鹿のひとつ覚えで大概同じお店・・・?

 

 

ビビンバとハーフ冷麺セット

 

 盛岡冷麺とくれば盛岡や国道4号線沿いがメッカですが、釜石でもそれなりに美味い冷麺が食べれるということで、時折、食べております。

 隣の蕎麦と回転寿司のお店も良く行きますが、最近はこちらの方が多いですね。

 

 冷麺通としましては、最高というわけではないので、普通盛りの冷麺ではなくハーフにしてセットをいただいております。

 でもまずまずといったところ・・・・本日も満足でした・・・・。

 

 

 少年時代、遠野の在郷に生まれ育ち、花巻ならマルカンや花巻デパートに志戸平温泉、釜石なら丸光デパートと憧れの地でもありました。

 釜石には叔母も住んでおりますし、遠戚もいましたので、来る度に街だなぁ~と思ったものでした。

 社会人に成り立ての頃も友人達と用もないのにドライブがてら来ては共栄でボーリングしたり・・・・。

 当時、釜石には珍しいマツダの車(コスモ)に乗ってましたので、結構注目されいい気分になったことや、ツッパリ達に追いかけられたりと苦い思い出も蘇ります。

 今はひとり史跡めぐりやら湯っこ、年寄り染みた趣味でしか来ることはない、ましてや親父ひとり寂しく昼食をいただく・・・むなしいなあと思いながら、若かった頃を思い出しながら帰って来ました・・・・汗

コメント (16)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小八戸氏(八戸内記家) | トップ | 街中散策えとせとら »
最新の画像もっと見る

16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
だめだぁ~そそられるぅ (カニ)
2009-12-03 22:50:31
ビビンバとハーフ冷麺セット♪
よ・よ・よだれが・・・もう我慢出来ない!
いつか、友達誘って冷麺祭りの日でも行く!なんか夢に出てきそぅ・・
返信する
栗橋周辺 (宝飯爺)
2009-12-04 00:24:27
確かに橋野を含めた栗橋地域は菊池姓が多い地域です。その他には、藤原、小笠原などの姓も多いですね~遠野という名字もあります。
板沢という名字は市内でも中妻とか甲子方面にあった記憶がありますね~この栗橋地域は遠野同様に古くからの言い伝えが多い地域です。
返信する
橋野 (笛吹)
2009-12-04 07:54:36
 遠野南部家臣の板沢氏も明治にこちらへ居たようですね。
 また、橋野しし踊りは明治10年を起源として、東禅寺しし踊りから伝授されたようで昭和4年にも同様に習い、その時に習った人たちの中には綾織へ移った2名の菊池さんがいるとしし踊りの書物にはあります。
 明治の板沢氏にしても菊池氏についても、遠野とこの地域がかなり親密な関係だったことを物語っているようです。
返信する
釜石 (女王様)
2009-12-04 13:30:14
ここの店は私も何度か行きました。このコースは、ちょっとしたドライブにいいですよね。昨年は、橋野高炉跡に立ち寄りました。休日に趣味を楽しんでいる、とらねこさんが羨ましいです。一人で無趣味だと「よっこらせっ」といった感じで温泉へ行くくらいです。好きな事見つからないかな~!ネネちゃん、最近ネムネム写真が多かったので、まんまるオメメ かわいいね~!
返信する
冷麺まつり (とらねこ)
2009-12-05 09:25:16
カニさん
や○との冷麺まつりは終わったばかりですが、来月もありそうなので是非に・・・。
返信する
地名 (とらねこ)
2009-12-05 09:29:59
宝飯爺さん
ご教授ありがとうございます。
少し調べると板沢姓は確かに中妻とか甲子に多いような雰囲気でしたが中妻辺りに古名での板の澤なる地があった・・・あるというような記述もありましたからね。
返信する
板沢氏 (とらねこ)
2009-12-05 09:33:00
笛吹さん
確かに釜石関連図書に早池峰しし踊りを習い覚えたしし踊りがあると書かれてました。
遠野南部の板沢氏、釜石へもいたこと、これも興味覚えます。
盛岡南部家臣の橋野氏は文字通り、釜石橋野近辺を知行していたようですが、こちらは上野広吉系の阿曽沼遺臣の家系だったはず・・・調べれば色々と出そうな雰囲気です。
返信する
釜石 (とらねこ)
2009-12-05 09:35:32
女王様
釜石へもよくいかれるのですね。
今回のコース、冬以外なら見所もあって良いルートかもしれません。
青の木の溶鉱炉跡・・・通ですね・・・笑

休みの日は、ただ家で過ごすのも、もったいないので趣味に走っております。
でもいつもはひとりです・・・汗
返信する
すごく (あひる)
2009-12-05 19:43:31
精力的に、あちこち行ってますよね!とらねこさん!!p(^^)q

岩手人の冬眠前にいろいろ行っておきた~い!!
かな?(笑)

私は。昔。
マルカンデパート、花巻デパートは、中学生になったら
行ってみたいデパートでした。
丸光デパートは、コマーシャルで、
♪まるみっつ!まるみっつ!
まるみつデパーぁぁト!チャラ~ン♪と聴きながら
すこ゛く遠くの街にあるデパートと諦めていました。(笑)
返信する
コメント (残さん)
2009-12-06 09:34:15
お久しぶりです
・釜石の板沢の総本家は観音寺です。釜石での拠点は中妻周辺。二大分家がすんでます。現在の新日鉄の迎賓館楽山荘あたりが元の寺跡、旧二中近くに元禄~のお墓があります。
・橋野館・・一説には館の主を新城某とする説もあります。釜石市史(ガリ版刷りの資料だった)?では館跡に館主の墓があるとしてますが
未確認です。是非探索してください。
返信する

コメントを投稿

菊池氏」カテゴリの最新記事