見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2017年6-7月@東京近郊展覧会拾遺

2017-07-09 23:09:51 | 行ったもの(美術館・見仏)
鎌倉国宝館 特別展『常盤山文庫名品展2017-墨蹟の美と天神のかたちー』(2017年6月10日~7月17日)

 常盤山文庫は、鎌倉山の開発に尽力した菅原通濟氏(1894-1981)によって創始されたコレクション。ホームページが開設されていることに初めて気づいた。そして、鎌倉国宝館では、2015年、2016年、2017年と、この時期(紫陽花の季節)に常盤山文庫名品展の開催が定着しているようだ。常盤山文庫の墨蹟に、鎌倉の禅寺が所蔵する頂相(禅僧の肖像)を組み合わせているのが面白い。室町時代の『北野天神縁起絵巻』3巻がかわいかった。特に中巻、雷神の出現によって、浮き上がり、転げまわる殿上人たちがかわいい。下巻は、継母と二人の娘が登場する霊験譚。冒頭の詞書によって「乙類」に分類される系統で、加賀前田家に伝わったものだという。

神奈川県立金沢文庫 特別展『アンニョンハセヨ!元暁法師-日本がみつめた新羅・高麗仏教-』(2017年6月23日~8月20日)

 新羅の学僧・元暁(がんぎょう、617-686)の生誕1400年にちなみ、日本に伝わった新羅・高麗仏教の真髄を示す文化財を展示する。展示品は、ほぼ写本・経典類なので、非常に地味。元暁という名前には聞き覚えがあった。少し考えて高山寺の『華厳宗祖師絵伝』「元暁絵」の主人公だと思い出した。ドラマチックで見栄えがする「義湘絵」に比べるとどうしても見る機会が少ない。本展には、複製の「元暁絵」が全場面広げてあって貴重な体験をした。

 解説によれば、南都仏教は新羅・高麗仏教の影響を強く受けているが、現在、日本人にとって仏教といえば鎌倉仏教が主流となり、忘れられている。称名寺は関東における南都仏教の拠点であったことから、例外的に新羅・高麗仏教の資料を多く残しているそうだ。

文化学園服飾博物館 『世界の絞り』(2017年6月9日~9月4日)

 絞り染めは染め残し部分を作ることで文様を表すもので、「糸で括る」「縫い締める」「型ではさむ」などの手法がある。私は「絞り」と聞くと反射的に藍染めを思い出すが、世界にはさまざまな絞り染めがある。モンゴルには厚手のフェルトを巻き上げて絞ったものがあって、びっくりした。展示品は、黄色、緑、にんじん色のビタミンカラーだった。江戸時代の茶席では「蒙古絞り」と呼ばれて珍重されたそうだ。インドネシア、カンボジアなど南アジアは、赤や紫の絞り染めが目立つような気がした。肩掛け、腰布などに使われている。中国は、古代には絞り染めが行われていたが、現在は南西部の少数民族にのみ残る。雲南で藍染めの布を買ったことを懐かしく思い出した。会場内のモニタに、ミシンによる「縫い締め」等の実演動画が流れていて興味深かった。

五島美術館 夏の優品展『料紙のよそおい』(2017年6月24日~7月30日)

 根津美術館の企画展『紙の装飾』と足並みをそろえたような企画であるが、こちらのほうがやや上級編の趣きがあった。まず古経の名品がずらりと並ぶ。荼毘紙の大聖武・中聖武、紫紙金字経(何度見てもきれいだなあ!)、紺紙金字の中尊寺経、二月堂焼経も。古筆だけでなく墨蹟、さらに太田南畝の書簡集や夏目漱石「門」の原稿(漱石山房の原稿用紙)も出ていた。中国(清~民国時代)の色摺りの詩箋も面白かった。

 展示室2は料紙のよそおいから「描く」を取り上げる。『白描下絵梵字陀羅尼経断簡』の料紙には、稚拙なタッチで笛を吹く男の姿が描かれており、伊勢物語65段を絵画化したものと考えられている。伝存する最も早い「伊勢物語絵」の例である。ちなみに梵字の経文はスタンプを押したみたいに見える。また『仏説観普賢菩薩行法経』はいわゆる目無し経だが、見返しに黒い烏帽子の男が大股で走っている姿が描かれているのを初めて見た。上半身は赤い衣、膝までたくしあげた袴は白である。「継ぐ」の例にホンモノの石山切(本願寺本・伊勢集)も出ていて眼福だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

切絵図で江戸を歩く/江戸大古地図(別冊宝島)

2017-07-09 07:52:01 | 読んだもの(書籍)
〇菅野俊輔監修・はる制作室編集『江戸大古地図』 (別冊宝島2506) 宝島社 2016.11

 私は東京育ちだが、生まれ育ったのは荒川の東側である。成人してからは、山手線の西側での生活が長かった。この春、門前仲町に引っ越して、初めて「江戸切絵図」の範囲内で暮らすことになった。嬉しくて仕方ないので、これから古地図を見ながら、いろいろ歩いてみようと思っている。

 まず参考書として買ってみたのがムック版の本書。底本は国会図書館所蔵の「尾張屋板江戸切絵図」(嘉永2-文久2年/1849-1862年刊)(一部、同時代のほかの切絵図も参考)で、32枚からなる極彩色の地図で、江戸土産として人気だったと本書にある。なお本書には30枚の地図しか掲載されていないので、あとの2枚は?と思ったが、「八町堀細見絵図」と「霊岸嶋八町堀日本橋南絵図」という部分拡大図は掲載されていないようだ。※岩崎美術の「復刻 江戸切絵図 全32図」のホームページと対比させると分かる。

 本書は、切絵図と、切絵図の収録範囲の現代地図を、左右のページに並べて掲載する(一部、半透明のトレース紙で重ね合わせになっているものもある)。はじめに長い時間かけて眺めたのは、四月から住むことになった「本所深川絵図 富岡八幡宮・清澄白河駅周辺」である。まだ現代地図にもなじみがないので、網目のような掘割を興味深く眺め、それが幕末には、いま以上に多かったことを知る。このあたりの首都高速は、もとの掘割に沿っているのだな。

 いまの生活では、海沿いに住んでいる感覚はないのだが、永代橋(東京メトロ東西線が地下を通っている)が、墨田川にかかる最も下流の橋でだったことを再認識した。隣りの木場駅・東陽町駅あたりを見ると、東西線がほぼ江戸の海岸ラインだったことが分かる。京葉線なんて完全に海の中だったんだなあ。

 切絵図では、白が武家屋敷等、灰色が町屋、赤が神社仏閣を表すというのもだんだん理解した。私が住んでいるあたりは町屋だが、町屋の中にぽつぽつと武家屋敷も混じっている。近所に「真田信濃守」という文字があるので、調べてみたら信州松代藩の下屋敷で、幕末に佐久間象山はここで砲術塾を開いたそうだ。今度、散歩がてら訪ねてみよう。深川が新たな町場になったのは、江戸の人口が飽和状態となった17世紀後半以降で、多くの寺社が移され、寺町も形成された。だからこの一帯は、町屋と武家屋敷と寺町が混じっていて、とても面白い。

 一方、江戸城(皇居)に近い、今の東京駅周辺や霞が関・番町・駿河台などは武家屋敷一色で、町屋がないのはもちろん、寺社も全くなかったことは初めて気づいた。まあ屋敷の敷地内に神社を祀ることはあったのだろう(ネットで調べると、そのような記事がいくつか出てくる)。あと、明治に建てられた靖国神社は、立地から言っても江戸の伝統とは断ち切れているのだな。

 築地・八丁堀・日本橋南の地図を見ていて、海に突き出したような「御船手屋鋪 向井将監」の文字を見つけ、黒田日出男先生の『江戸名所図屏風を読む』に出てきた名前だ!と思い当たった。黒田先生の本には、浅草にあった「三十三間堂」への言及があるが、元禄年間に焼失すると、深川の富岡八幡宮のそばに再建された。本誌の切絵図にはその場所が記載されている。千手観音を祀っていたというが、明治5年に廃されたというから、やっぱり廃仏毀釈の影響だろうか。今度、散歩のついでに往時をしのんでこよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする