見もの・読みもの日記

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ぶつかり合う潮流/東大東文研公開講座「アジアの濤」

2008-10-26 23:31:12 | 行ったもの2(講演・公演)
○東京大学東洋文化研究所 公開講座『アジアを知れば世界が見える-アジアの濤(なみ)』

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/

 毎年、秋に行われる同研究所の公開講座も第8回。これまでは、アジアの文学とか美術とか、歴史・宗教・思想哲学など、比較的穏やかで文化的なテーマが多かった。ところが、今年は、いつになく政治的で、危険な香りの論題揃いなので、新鮮な期待を感じて参加した。

 まず、大川謙作氏の『チベット問題報道を読む』は、およそ50年間の、チベット-中国(漢民族)関係の歴史を振り返るもの。ダライ・ラマ14世が要求している「高度な自治」とは、1950年代、建国直後の中国がチベットに認めていた「一国二制度」に類するものであること、「漢民族幹部の引き上げ」とは、80年初め、チベットを視察訪問し、その疲弊ぶりに驚いた胡耀邦が実際に行った政策であることなどを知った。今日の関係悪化の主たる原因は、急速な経済発展を背景とする都市と農村の格差拡大(主たる利益の享受者=漢民族)、それと強権的な宗教規制である。これは、どう考えても共産党政府の失政だと思う。

 今年の春のチベット騒乱は、かつてない国際的な反響を呼んだ。けれども「チベットに住むチベット人は、多くのものを失ってしまったように感じている」という講師の発言が印象的だった。耳を傾けるべきは、当事者(チベットに住んでいる人々)の発言ではないのか、という問いを重く受け止めたい。

 次に真鍋祐子氏の『現代韓国の民衆運動-光州事件から政権まで-』は、韓流ドラマの作り手が、いわゆる三八六世代(民主化運動の世代)であることに着目する。1995年放映の『砂時計(モレシゲ)』は、抗日パルチザンの末裔たちの物語であり、(”なかったこと”とされていた)光州事件の映像が初めて流れたドラマである。韓国の人々は、光州事件の映像が見たくてドラマを見ていたのではないか、と講師はいう。

 民主化運動の「烈士」たちの「民主国民葬」の映像は衝撃的だった。ソウル大学の舞踊学科の女性教授が捧げる創作舞踊は、土俗的なシャーマン儀礼そのものに見えた。動員されたわけでもないのに大群衆が葬儀に参列していることについて、講師は「北の資金が入っているでしょう」という旨のことをおっしゃっていて、これも私には衝撃だった。いや、ちょっと考えれば分かることだけど。北と南って「分断」されながらも、深く絡み合った歴史を歩んでいるんだなあ。

 最後に長沢栄治氏の『中東問題と日本』では、日本人のイスラムをめぐる偏見を正す。イスラム=反資本主義(反近代)という図式化に基づき、「イスラムである限り、貧困は抜け出せない」というのも誤りであるし、イスラム経済にユートピアを見ようとする(典型例が中沢新一『緑の資本論』)のも誤り。また、メディアが suicide bombing(自殺攻撃)を「自爆テロ」とする意図的な誤訳は、イスラム=テロという連想の固定化に加担している。

 という話の後だったのに、質疑では「仏教は命を大切にする教えなのに、どうしてイスラム教徒は命を大切にしないんでしょう」という質問が出て、講師は、この”典型的な日本人的偏見”に、もう一回、言葉を尽くして反論することになった。イスラムを知るのにいちばんいいのは、イスラム教徒と思われる人に近づいていって、実際に話をしてみることです、と講師はいう。国際問題に関心が高く、本や新聞からさまざまな情報を得ている人ほど、実は偏見にはまる確率が高い、という講師の指摘は、自戒として私の心に留めておきたいと思った。
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