経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

縛りを解くことを説く

2009年07月18日 | Weblog
経営がうまくいくシクミの第一歩は、
まずは「どうしたら消費者が喜んでくれるか」
ということを無意識に考える脳の回線作りにはじまる。

要点は、1に主語転換である。物事を考えるときに、
普段、思考するときには主語を入れていないが、
これを意識して入れる。
それも我が社とか私ではなく,消費者、お客、相手を主語にする。

3ヶ月も意識してやれば、「どうしたら自分の店をお客が選んでくれるか」
といったことで悩む自分に気づくだろう。

あえて悩むと書いたが,悩む人は自分か我が事業のことのはずだ。

隣の奥さんが足の水虫で困っている、と他者を主語にたてたとしても,
それで自分が悩んで夜も眠れない、ということはない。

少し横道。
他人のことで頭がいっぱいになると、自分の悩みは起きがたい。
他人をコーラ,自分を牛乳、自分の脳をコップに置き換えたら,
すぐわかることだ。

2に経営本来のシクミの再構築である。
経営は,自分以外の支援で成り立っている、
ということを徹底できるようシクミを作り替えることだ。

たとえば売上という言葉は、
自分の思考と行動を主体としている言葉である。
だから,自分が、という「が(助詞)」が使えない。

つまり「自分が、(自分の)体を1メートル持ち上げた」

と言う人がいたら、それは嘘だと誰しも思うはず。
できないことだから。

それと同じことなのに、自分が売上といった思想に
侵されているのが今の経営なのである。

そもそも「売上」は自分では作れない
ということを前提にしている「語」なのである。

繰り返す。
売上は,自分以外の他者が、すなわち購買の結果で得られるものである。

利益然り。

経費は自分意志決定と行動で動かせる。だから脱税も然り。
我が社の脱税をよそのおじさんがやった、ということは絶対にない。

経営者が欲しいのは結果である売上や利益である。
だがその結果を作っているのは自分以外の人、
メインとして消費者なのである。

売上だけではない。経営に限らない。
,自分ではどうにもならない言葉の氾濫の中で、
私たちは自分でどうにもならない言葉縛られ
日常的に多用し、自分で苦しんでいる。

これが自業自得。
それがわかれば、自分でその縛りを解ける。



明暗自在

2009年07月17日 | Weblog
ブログには、暗闇に鉄砲的なところがある。

それだけにそうした書き込みがあるということは、
「反応」であり、手応えであり、
とりわけ内容に対しての反応あれば嬉しい。

ブログに書いた内容を受けてのコメントであれば、
それが肯定的なものでなくとも、それが示唆になり、
新しい思いや考えが浮かんだりすることも
しばしばあるから実に嬉しい。


以下、記すことは、上に述べたことを揺るがすものではなく、
それはそれとしてと、ということだ。
そして、当然といえば、当然のことである。

ブログに書いた内容にあるキーワードに関連して
その関係の広告がリンクされる。
前後して書き込み、メッセージ、コメントが書き込まれる。
あるいは、何の書き込みもない場合もある。


書いた言葉の中に、「健康」とあれば、健康の関連のそれら。
書いた言葉の中に、「経営」とあれば、経営の関連のそれら
書いた言葉の中に、「農業」とあれば、農業の関連のそれら

書いた言葉の中に、「肥満」とあれば、
「肥満」と「ダイエット」経営の関連のそれら

書いた言葉の中に、「豆乳」とあれば、
豆乳となぜか巨乳とかいった関連のそれら

そこにいわゆる「引き寄せの法則が働いていることがわかる。

これらを俯瞰的に、かつ抽象度をあげてみると、

悲しい話には悲しい話。
楽しい話には楽しい話。
明るい話には明るい話
暗い話には暗い話

ということになる。

こうして実際に並べて書き出していて、気がついた。

悲しい話を選択し、書いたのは私だ。
楽しい話を選択し、書いたのは私だ。
明るい話を選択し、書いたのは私だ。
悲しい話を選択し、書いたのは私が。


ならば、どちらを選択するのは、自分の自在ということになる。

自分のブログの内容、キーワードに連動して広告が動く。
この彼らのシクミを活用して、私が貼り付けられる広告を動かせる。

明るくしたいという私のブログを
彼ら大勢の協力で、さらに明るくできる。
彼らだけに,私が協力する片道ではない。
つまり登り坂は下り坂にである。
引き寄せの法則は引き寄せられの法則でもある。
また剥ぎはがしの法則でも,剥ぎ話されの法則も成り立つ。

A=Bは、B=A,である。

この当たり前のことを当たり前として
考えていなかったという自己反省である。


だから、以下に記すことは、上に述べたことを
それはそれとして、さらに話を進めたい。


メッセージ、コメントは一括送信やスバルを除けば、
こちらの書いた内容に対応してくださる。
こちらが明るい話題なら明るい対応。

これまでのゲストの対応、
ここまでは望まないにしてもそのゲストのブログも、
暗い話題から明るい話題にという可能性だってなきしにあらずだ。

それはまたA=Bは、B=Aである。

だから、私も他の人の明るいブログにより、
明るい気分に浸れるということになる。

情報に置き換えるとこれまた然りだ。

ブログの効用はブログに止まらず、限定されない。
普遍性があるということになる。


自在とは、自分の択一選択だ、ということ。
コップに何を入れるか、の話で続けたい。
コーラをコップに入れれば水ではなくコーラが飲める。
水をコップに入れればコーラではなく水が飲める。
脳や運命の袋に何を入れたか、ということだ。

コーラを選択しておいて、これは水だといういう。
これは誤りだということだ。
暗い部屋に入って、ここが明るいというのは嘘つき。

陽転思考の誤解は、ここにある。
暗ければ、暗さを認め、
1に、暗さを活用する。
2に、明るくするか。

2者択一することだ。

用に転じる思考と行動を陽転思考というのなら、
それはまさに正しい。


世の中が明るくする、というのは、畢竟、ここにある。


党利党略をコップにみたし、「これ国のため、民のため」
と国民を欺く、欺瞞の選択者たちが姦しくしても
国が陽転、明転するはずがない。
彼らこそ暗そのものなのだから。
明に入れ替えなければ,明るくなるはずがない。

われわれ

2009年07月15日 | Weblog
「われわれ」とは、だれだろう。

昨日のドタバタで、麻生首相が「われわれ」を、
異様にも力を入れ連発するのを見聞きして考えた。


就任当初は、この総理、自分のことを「俺」といっていた。
一国の総理としての品性を疑われる、と非難されてから、
この「われわれ」に代えていた麻生総理。


もちろん家庭とか仲間内では使っていないだろうが、
公開の場では100%。口癖と言うより、意識して試用している風にも見える。
われわわれには、一人称の使い方があるので誤用とは言わない。
だが 意識して、としたら、それは意図がある。

首相就任の頃の「俺」」は、これまでの癖が無意識に出たのであろうが、
それが糺されて、「私」」になるのなら、母親から注意され、
子供がお行儀をなおしたのと同じでだから、同じ意識でも意図はない。

だが、この総理の、「俺変じて、われわれ」には、
明白な「意図」がある、と私には思える。

ここで、「われわれ 【我我】」を、手元の辞書で引いてみる。

補足説明「われ」を重ねた語(代)
(1)一人称。
(ア)「われ」の複数。わたくしたち。われら。
(イ)単数に用いる。みずからをへりくだっていう語。わたくし。
(2)二人称。複数の相手に対して用いる。おまえたち。
(名) それぞれ一人一人。

触れたように、「我々」には一人称もある。
だから「俺」を「私」と改めず、同じ一人称の「われわれ」を
つかったのは、へりくだりのニュアンスも加味され、
総理としては上等な選択といえよう。

もっとも彼に漢字力があるかどうか、側近のアドバイスかも。

それがここに来て、この「我々」に明らかに力をいれている。

これはそのことで、この言葉の概念を広げ、広げることでぼかし、
次に述べる、何かをあいまいにする意図がある、と私は思う。


次の文章は、19年前、鹿児島新報の
コラム「正論異論」に連載した私のコラムの一部である。


会社には手と足も口もないのであるから、
新聞社の社説は、その社の論説委員が記したものである。
当然個人が記したものであろうが、社を代表して考え、書いたものを
論説委員会等で論議され加筆修正を加えられたに違いない。

だから、これは厳密には個人の説ではない。
だから社で持って文責を負う、といったことになろうから、
個人の意見より多少社会的インパクトが加味された
誰の意見でもない論文が世に罷り通ることになる。

社説ということはその内容についての責任は
個人が負うことはないということである。
かといって実体のない会社が負うことが
できるわけはないから、責任は曖昧になる。
しかし、ことが重大であれば、会社のトップ個人が、
その責任を一手に負わされ「これにて一件落着」になる。

まずはこれで真の犯人(?)は不明なままで、
あいまいなまま決着する。

結局あいまいさの産物は結末もあいまいなのである。


上を麻生さん、自民、政治、国民と言葉を置き換えてみたら、
少なくとも一国の首相が、こうした曖昧さであっていいのかと思う。


ここでの「あいまいさ」
とは、責任の分散、転換、ぼかしである」
端的に諫言すれば、人ごと。


総理が力を込める「我々」とは、いったいだれのこと。
自分と仲間達? 麻生内閣?、自民党?、政治家?、

さらには辞書のいう、
(2)二人称。複数の相手に対して用いる。おまえたち。
すなわち「国民」のこと?

わからない。
多分に意図して「我々」に力を入れて連発しているご当人も、
どうでもいいことじゃん。我々の中に含まれる俺が希薄になれば、
それでいいのだから。
それが我のいう意図なじゃで、たいした問題じゃないないやんけ、
といったことだろう、かも。

もちろん私の裏付けもない憶測、うがった見方である。

だが、断言できることは、私でも、俺でも、僕でも、自分でもいい。
そういった一人称を使っていない公言は、
信用できるか。信頼されるか。それで国の責任は誰が取るのか
といったように、まさに自分の責任を曖昧にし、
他に転嫁する常套手段である、ということだ。

経営者がよく使う、「我が社は君を必要としていない」
といった言い回しと同じなのだ。

あるいは、上杉鷹山のエピソードででてくる、下の話と同じなのだ。

 家老A:「殿、みんながこぞって反対しております」
鷹山:「そうか。ならばそれらの名を挙げてみよ]


たとえは、適切ではないが、ヒトラーが演説で「我々」を多用し、
国民を引き込んだことは知らぬ者はない。
麻生総理の 「我々」の多用は、国民をして背を向けさせるに他ならない。

無責任、他人事、責任を転嫁、ぼかす、曖昧・・・
こうした言葉は、我々国民が厭うところのものであるからだ。


非は一人称で、功は、他者、複数称。
これがリーダーか、リーダー不適格者か、の分岐である。
09.7.15

命と空間

2009年07月14日 | Weblog
計ったことはないが、私には空間は無限大と思える。

空間は広い。
こうして私の目を通して見える範囲だけでも大きい。
そして人の数だけあるから、すごい。

対して私の知る空間は、大海に粟粒以下の小ささ。
それも見るのは私を通しての空間一つである。

自分の持つ空間は小さい。
時間軸で言えば自分の持つ時間は、最大でせいぜい120年。

体が丈夫で行動には差し支えない、
とはいえ、その行動範囲も限定的だ。
一日中、事務所にこもる日など、
机からせいぜい100M四方が行動範囲。

広い無数の空間にたいして、超極小のたった一つの空間。

それが私。私の人生、命。

そのことを思うと、がっかりもする。

むなしさもある。

焦りもある。

そしてあきらめもある。

だが、あるとき思った。
きっかけは、人の話だったか本だったか。

本を読みなさい。 映画を観なさい、と。

空間が広がる。その中にたくさんの、様々な人生が見える、と。


小さいときから本好きだった。
中学の時は、図書館の本を
何メートルという単位で友と目標を決め、
端から端まで競って読んだ。

好きなことを勧められたらすぐ乗るたち。

乗った。そのとおりだった。
ここに、こんな人生あり。空間がある。歓喜した。



映画も好きだった
最初に観た映画の題名は今でも覚えている。

小学2年だから父母が連れて行った
熊本県菊池郡 隈府の映画館だったような。

とすればこんな田舎でも当時は映画館があったのだ。

二階席の暗がりで、女の人が男を風呂に沈めるシーンをみて、
声を上げ、母に叱られたことを思い出す。

そのことからか、題名「悪魔のような女」を覚えている。
父母と一緒に観た映画の記憶はそれしかない。

小遣いをためては高校時代から裕次郎、吉永小百合がでているのは全部見た。
入れ替えのない時代だったから、1日2回、3回もみた。

それは他に娯楽がない時代だったからと言えば
にべもないが、映画は楽しかった。

以来、毎日欠かさず、映画は見続けている。
泣き、笑い、悲しみ、喜んだ数だけ自分の空間が広がっていく。
手応えを感じている。


それをなんだ。最近の自分は。
命の空間拡大のためなど、と理屈をつけて映画三昧している。
自分の体験したことしか自分の一生、命ではないとしたら、
上に触れたが、なんとしても悔しい。
せっかく生を受けたのに、この世の粟粒だけの空間を
世界と見て終わるのはなんとしても惜しまれる。

そんなことをつよく考えるようになったのは、いつ頃であろうか。

脱サラしてこの仕事を通じて、
勤務していた会社の接点を通じての世界しか知らなかった。
時たま新宿や渋谷の繁華街の雑踏を歩くとき、
これだけ大勢の人たちの中にいるにもかかわらず、
私はひとり。

こんなに大勢の人たちがいるのに、関わりがない孤独な自分がいる。


脱サラして、田舎に帰った。
故郷とはい5歳までいたに過ぎない。
この町の幼稚園も、小学校も中学校も縁がない。
友達もいない。
都会にいたとき懐かしかったふるさとは、
都会以上に孤独の地であった。


だが、少しずつこの仕事を通じて
たくさんの人、様々な業種業態の会社や経営者と知り合う。
そしてたくさんの、それぞれの世界があることを知った。
仕事冥利に尽きる。

生業(なりわい)のためが、だんだんその意識が薄れ、
新しい世界を覗け、見れることに意識と関心が
移行していることを、はっきり自覚している。

そのこと自体が、読書や映画にまして、
私には、すばらしいことだった。

それはどういうことだろう。
言葉が好きな私は考えた。

「人生のふくらみ」

限られた直線的な人生に希望を持たせる目的は、
直線にふくらみを持たせることではないかと。
そしたら同じく120年間生きるとしても、
円周率(3.145倍)分、長くなる

虞や、虞や、いかんせん

2009年07月13日 | Weblog
講師のAさんには、校長が出迎え握手をしたが、
私にはしなかった、とする。

こうした場合、人間ができていない私は
別に男の手を握りたい、握られたい
といった趣味はないが、不快を感じる。


先に人との接し方は、大きくは三択であると書いた。

1-相手を感激させる接し方。

2-不快に思わせる接し方。

3-何にも感じさせない接し方。


1-2については、先に縷々触れてきた。

最後3。
裏付けになるデータを持っているわけではないが
この3が、ほとんどではないか、と私は思っている。

というのは人間は当たり前のことや普遍性の高いことには
意識、関心がむかず、特殊性に注目する習性がある。
またそのように慣らされているからである。

毎日メディアが実に多くの事件を報道しているが、
それは平和・平穏が通常であり
事件発生が希少性であるからである。

江戸川でイルカが泳いでいたニュースになるが、
太平洋でイルカが泳いでいても取り上げない。
いるかどうか、いやいないと思われるから話題になるのである。

「おもてなし」然り。
あまりにも当たり前のものとして、
その重要性が見過ごされている向きがある。

だから、おもてなしこそ盛衰を左右する、というと、

なんて、大げさな。
エライ人がそんなこと入ってないよ。
経営の本にそんなん、ないよ。
接遇の中の1つのスキルにすぎないやん、

といわれ、無視されるのがおちだ。


だが歴史を知る人は理解してもらえるはず。
「戦国策」、「三国志」、映画や司馬さんの「劉邦と項羽」
のなかに、何十万の兵隊を投じて手に入るかわからない強固な城を、
たった一人で敵のトップとの接点を持つことで、
開城させ、手に入れるといった事例は少なくないのである。

ちなみに調べてみたが、「劉邦と項羽」の場合、
事実がそうなのか後の作家の虚構なのだかわからないが、
無血開城の事例は劉邦の場合だけで、
項羽には見あたらない。

流血の量の多さが項羽が民の支持を失い、
四面楚歌の中で、愛妾、虞姫を前に

「力は山を抜き、気は世を覆う。時利あらずして騅逝かず。
   騅逝かざるを如何せん。虞や虞や汝を如何せん。」(垓下の歌)

と歌い、垓下から脱出し、川辺で自殺。

自滅を招いた因、そもそもどこにありや、と考えれば興味深い。


空気がなくなって、それが手元のお金より大事なモノだった、
と亡くなった本人が、棺桶から電話してくることはない。

当たり前のことには、
携帯電話などの経費も手間暇も掛けたがらない。
それは、生きている人間はなおさらのこと。

宿替え、その理由

2009年07月12日 | Weblog
現実には、接した相手を感動させる。

ここに狙いがあるおもてなしで、
相手を不快にさせることは珍しくはない。


現場ではこの商品天下一品、
そのおもてなし最高と評価されても

トップの不祥事やちょっとした心ない言動で
台無し、といったことは少なくない。


戦略の誤りを戦術で取り戻すことは出来ない。
同様、トップの誤った言動を、現場で正すことは難しい。

消費者、利用者は、現場の戦術でもって、
経営者の理念と戦略を推し量る。
すなわち、個々自分が接した接点が、
消費者、利用者にとってのその企業のすべて。
だからそのままでは、大げさに言えば
一生の印象を決めてしまう。

無能無知な経営者は、自分の誤りを、
現場接点で糺すことを計る。
幼稚丸見え、丸出し。見苦しきことよ。


以下、私事での実例。

青森市で定宿(2年で50泊ですぞ)していた大手ホテルW。
私はフロント係がSさんと覚えて,名前でやりとりしているのに。

2年間、これほど頻繁に宿泊しているのに
お客様で通され、固有名詞で呼んでもらえなかったこと。

私が用件を伝えているのに、かかってきた電話を取り、
私めを無視、待たせたこと。


ああ、こうしたことを書くたびに
自分の器の小ささが気になる。

そのことを含めて、これまで全国各地どこでもここに決めていた
このホテルがいやでたまらなくなり、

新しくできたSチェーンに宿替えした。


ここでは1年ぶり訪れても、
メールでの予約のやりとりでも
固有名詞でしてくれる。
博多に泊まっても、

「田上様、先日の青森でのご利用有り難うございます」

と、鼻をくすぐって頂けるのだ。

田上です。禁煙室の陸奥湾が見えるいつもの部屋でとメール。

田上様、お久しぶりです。 フロントのYです。
いつもの903号室をご用意しました。
今年は雪が多く寒さもひとしお・・・

ああ、他の人のことは知らず、俺のことを
覚えていてくれている。そういえばYさん、美人だったな。

余計な話だが、Yさんのこの対応を、称え、支配人と本社にメール。
ここだけの話だが、
さらに今後の「私」への待遇を良くしてもらうために、だ。



このことは、以前このブログで実名で書いた。
念押し。Wが忙しく、Rが暇だからでないのだ。

多分に経営者、あるいは総支配人の「おもてなし」の考え方。

Rの場合、これによって競合と差別化するといった戦略によるもの。
そして「おもてなし」とは何かが、
現場に理解されていることによる。

感激

2009年07月11日 | Weblog
私は初めての土地に旅をするとき、下調べをしない。
写真もみない。

動物園に行って、「あっ!動物がいた」と
驚く子供はいても,大人にはいまい。

生まれて初めてキリンを見た人と写真で見た人の感激は違う。


頭の中でなぞることで、感動を半減ささせたくはない。

私事続く。

仕事でも通常、先方から頂いた資料は事前にみない。
可能な限り、前泊し、それがかなわなかったら
早めに着き、例え1時間でも街を歩く。

街を歩き自分で体感したものこそ活きる、と考えているから。

その1時間に感動するものがあれば、
もうそれだけでこの街は、いい街だ。好きになる。
仕事にも力が入る。

どこでも見る人工的な街、商店だと、
ああこれがこの街の問題だ、と思ったりする。

頂いた資料やITでその街を掴むといった下調べは、
それから宿に戻って、講演なりが始まる間にやる。

なんで、と思われるかもしれないが、
計算式もないのに、答えをみるものはなかろう。
あんちょこの答えで、感動は生まれまい。

私は算数時代から数学は苦手だからわからないが
算数の醍醐味は、問題を解いて、
答えを発見することにある、と物の本にあった。

だが、こうしたこと私事。
皆さんに支持を得られることではないかも。



瀬戸内海にある小豆島(香川県)の寒霞渓だったか,
吉田喜重監督の映画『秋津温泉』のモデルとなった
岡山県の奥秋津(大釣温泉)へ行く途中だったか、

走るバスが、いきなり紅葉の中に飛び込む。

バスから、「うおっ!!」といったどよめきが、
いまでも耳に聞こえてくる。
今でも、その臨場感を思える。

あれが、感動だ、と今でも思う。



「あっ、ここ写真でみたとおりよ」。
「この感動、孫にみせてやりたいな」
「いやいや、これぞ感動、感動」

こうしたものを感動と言えるかどうか。

ましてや、
「感激、感動、感涙の破格的お値段」

感動たまあられ(古いなぁ)といった類のコピーを巷で見たり、
聞いたりするとこれはもう犯罪ではないか、と思ったりする。


感動が再現できるとしたら、その時の臨場感の再現だ。
感動の共感ができるのは、臨場感を共有する、させることだ。

自分だけ感動したそのときを思いだし、
夢中で再現するが、相手はきょとんといったことがある。
これは、臨場感の共有ができていない、といこと。


畢竟、経営では、とりわけ消費者との接点におい、
この臨場感の再現と共有が命題になる。

この「臨場」、横山秀夫さんの小説の舞台だけではない。
以下、次回。 09.6.28







盛衰を

2009年07月09日 | Weblog
企業の盛衰は何に起因しているものか。

その原点、起点の探求。
それが私の関心事である。

「勝敗は武家の常」。これは中国の言葉。

負けたときもその責任を問われないことを前提とした言。
負けたとき、慰めによく使われる言葉だ。


しかし現実には、負けたら処刑される事例が多い。
これはTOPが闘いの本質,論理を理解していないことによる。

ああ、このTOPはだめだな、と見たらいい。

理由は、これだ。

項羽との闘いで連戦連敗、負けに負けて最後に勝ち、
韓の初代皇帝になった劉邦のことでもわかるとおり、
個々の勝敗が、成功の本質でない。
このことは自明の理であるからだ。


では盛衰は何に起因し、どう関係するのか、しないのか。
以下、「おもてなし」を例にことを展開したい。


おもてなし、こうしたものが闘いの勝ち負け、
企業の盛衰、人の成功などに、大きな影響があるとは思えない。
思ったとしても最優先してあげる人は、まずいまい。


繰り返すが、こうした「もの」や「こと」が、
企業の盛衰に影響するものなのか、しないものなのか。
するとしたらどうしてなのか。

こうしたことを「おもてなし」の本質も含めて考えてみる。


おおよそ人が生きていく上で、
避けられないものがあるとしたら、

それは、人と接すること、人との関わりであろう。


その接し方は、大きくは三択である。

一つは、相手を感激させる接し方。

もう一つは、不快に思わせる接し方。

三に、何にも感じさせない接し方。


おもてなしは、「相手の自尊心(プライド)をくすぐり、
良い気持ちにさせる」といったことが、狙いであろう。

そのおもてなしは大なり小なり手間暇を含めたコストガかかる。
たとえば、手ずから手書きで書いた場合とワープロの定型文。
メールでいえば、打ち返しで返信を書いた場合と、
どちらがおもてなしの気持ちを感じてもらえるか。

と、いったことはわかっている。
わかっていても手ずから直筆で
といった面倒なことはまずはやらない。

ここに劉邦型、盛業、成功する人が、
着眼する盛衰の論理、コツがある。

2009年07月07日 | Weblog
たまたま、誇るなどといった気ではなく、
何気なく、メルマガを一人新聞の時代からカウントすると
27年も続けている、といった話をした。

すかさず、質問?を頂いた。

「それ、そんなに長く続けるって、「信念ですね」とか
「執念かな」と言われることがある。


物事を緊張と弛緩にわけたら、信念とか執念は前者に属しよう。

だが、緊張が長く続けられないことは、知られることである。
だから緊張、つまり力んで長く続けられるものではない

ならば、弛緩か。
はて、どうなんだろう。


ことを長く続けるほど、ふと迷いが生じることがある。
言葉は違うが、「魔がさす」に気分的には似ていて、
ふと気が緩む思いがすることがある。

それを声に出し言うとしたら、
「こんなこと続けて何になろ。もっとやるべき仕事があろうに」と。

緊張と緩和、否緊張していることが続けば、
その緩和を望み、弛緩する。
思うに弛緩状態の方が、楽だろうに。


さらに、頭の中のチャンネルが次々変わって、

「継続は力なり。やめることは今までを失うことになる」とか,
「これまでえらそうに言ってきた手前どうする?」

といったメンツがちらついたり.。
いやはや心の動きのかしましいことではある。



あるとき思いました。
やめて、空いた分を何とする。何をやりたいのだ。

今に代わるやりたいことが明確ではないために、
継続は力なりという言葉を借りて、
その実保守主義者に成り下がっているのかも。



それから、私としては珍しく真剣に考えました。

もしこの今が大成功していたとしたら、残りの人生を何としょう。


これはわかる。


しかし、この今が大成功どころか成功すらどうか、
といったことが現実だ。
それを残りの人生をどうしようと思うのは、
おかしいのではないか。



そもそもこの今とはなにだ。

今と思った瞬間に過去になる今って何だろう。

過去と今、今と将来、この接点はあるのか。ないのか。

迷いとかためらい、ってなにだろう。



これからやりたいことがあって、この今はその助走のための踊り場、
それが今なのかも、とも思いました。


自分はこれまでの延長線で、今と将来(さき)を考えているけれど、
その始点は、その以前の延長からきた終点に連結されて、
新たな起点が始まっていることはない。
つまり、父と母の命の延長に、子供の命があるわけなない。



そもそも、未来が今になり、過去に流れ去っていくのに、
過去の延長線に、今や将来があるはずがない。


未来は、この今作っていくものだ。朝顔が枯れたら、
朝顔の命を蘇がえらせるのではなく、
また新たな、そう、今度はひまわりの種を蒔く。
そしたら未来がこの今になったとき。
ひまわりの花を見ることができるのだ。



この実感を伴う気づきは、私に取っては大きかった。
未来を作れば、この今をいかようにも作れる。

そんな思いに浸ると、頭だけでなく胸まで
楽しさでいっぱいになってきたのです。

もう一つ、考えたこと。

未来というとてつもない大海に、粟の粒を見たすことは、
いくら命を延長しても、あるいは願望を何世代引き継いでも

不可能だ。


だがその粟を、一粒なりの粟を実らせることはできる。


そうか。そうだったんだ、

と気づき、一人で喜んだことでした。



海を埋めるのではない。
未来をバラで満たすことではない。

そんなことを考えてきたから、疲れもし、挫折感も味わったんだ。
満たすことではない。種を咲かせればいいのだ。
そのためには将来(さき)に咲かしたい花の種を撒き、育てれば咲く。

飽きたらまた次の「いいな」と思う花の種を植え、育て、咲かす。

それが人生ではなかろうか。
いや人生の定義や如何は々でもいい。

自分の一生は、それでいこ。

これが、私の最近の境地、心境です。

いい気持ちなので、この居心地の良さを
つなぎ止めておくために小理屈を貼り付けた、
という感じです。       

ええやん、それで

2009年07月06日 | Weblog
プロローグ:

売上不振の対策→売上を上げる努めること。
粗利の低下→利幅の高い商品の販売のウエイトを高め、かつ値引きをやめること。
経費の増大→無駄な経費を削減すること。

左が問題点。矢印の右が、経営コンサルタントか示した対策としよう。

どうするか。

答えは簡単である。
即このコンサルタントを排除することである。


*

成功したという自らの実感は、その瞬間から奢りを招く。
奢りは、上からの押さえつけ、横、左右からの引っ張り合い、
下からの引き下ろしを生みやすい。

こうした人の嫉妬を招く因は、畢竟、自分の奢りである。
それも無意識の奢り。だから怖い。だから自戒か魔除けと必要だ。


無意識に高い位置に立ち人を見下ろす。
その視界の広さは己の力を無限と錯覚させる。

奢りが招く、こうした幻想の酔いは、
観察眼を曇らせ、情勢判断を見誤らせる。

超大型ダンプの運転手から実際に聞いた話。
運転台に座ったとたん、下にいる社長が虫けらに見える、と。
私も隣に乗せてもらったが、まさに実感。


奢りは、さらに危機意識を払底し、改革の意欲を減退させる。
人でも組織でも、現状に満足してそれを守ろうとした瞬間から、
その崩壊が始まる、とされる。

奢りは、怖い。謙虚でなければ。
大方の人は、そうしたことは百も承知なはずだ。
それで、そうしたことに関連する本を読む。


奢りから免れるためには、
1に、自らの人間としての志を神仏に近い高いところにおいておくこと。
2に、人としての志と無機質である目的は、根本的に違うということを認識しておくこと。

昔 何かの本で読んだことだと思う。古い手帳の抜き書きを見つけて、
今の、私が笑う。

「こんなん、できへんわ。できへんことに、赤線引いてたんや」


といった誰しも、いと易しく陥りやすい「奢る」への対策として、
難しいというか、まず出来ないことを示す

へぼコンサル、評論家と同じではないか。



他の人はいざ知らず、できなかった私がここにいる。
出来ることしかやらない自分がここにいる。
わかる話しか、わかった顔が出来ない自分がここにいる。
難しい本はやめて易しくおもしろい本ばかり読む自分がここにいる。
暑いときは日陰を、寒いときは日向を乞う、揺れる自分がここにいる。

*
エピローグ:
「むつかしいこと、いやや」
「ええやん、それで」

自問自答する、自分がここにいる。