経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

感激

2009年07月11日 | Weblog
私は初めての土地に旅をするとき、下調べをしない。
写真もみない。

動物園に行って、「あっ!動物がいた」と
驚く子供はいても,大人にはいまい。

生まれて初めてキリンを見た人と写真で見た人の感激は違う。


頭の中でなぞることで、感動を半減ささせたくはない。

私事続く。

仕事でも通常、先方から頂いた資料は事前にみない。
可能な限り、前泊し、それがかなわなかったら
早めに着き、例え1時間でも街を歩く。

街を歩き自分で体感したものこそ活きる、と考えているから。

その1時間に感動するものがあれば、
もうそれだけでこの街は、いい街だ。好きになる。
仕事にも力が入る。

どこでも見る人工的な街、商店だと、
ああこれがこの街の問題だ、と思ったりする。

頂いた資料やITでその街を掴むといった下調べは、
それから宿に戻って、講演なりが始まる間にやる。

なんで、と思われるかもしれないが、
計算式もないのに、答えをみるものはなかろう。
あんちょこの答えで、感動は生まれまい。

私は算数時代から数学は苦手だからわからないが
算数の醍醐味は、問題を解いて、
答えを発見することにある、と物の本にあった。

だが、こうしたこと私事。
皆さんに支持を得られることではないかも。



瀬戸内海にある小豆島(香川県)の寒霞渓だったか,
吉田喜重監督の映画『秋津温泉』のモデルとなった
岡山県の奥秋津(大釣温泉)へ行く途中だったか、

走るバスが、いきなり紅葉の中に飛び込む。

バスから、「うおっ!!」といったどよめきが、
いまでも耳に聞こえてくる。
今でも、その臨場感を思える。

あれが、感動だ、と今でも思う。



「あっ、ここ写真でみたとおりよ」。
「この感動、孫にみせてやりたいな」
「いやいや、これぞ感動、感動」

こうしたものを感動と言えるかどうか。

ましてや、
「感激、感動、感涙の破格的お値段」

感動たまあられ(古いなぁ)といった類のコピーを巷で見たり、
聞いたりするとこれはもう犯罪ではないか、と思ったりする。


感動が再現できるとしたら、その時の臨場感の再現だ。
感動の共感ができるのは、臨場感を共有する、させることだ。

自分だけ感動したそのときを思いだし、
夢中で再現するが、相手はきょとんといったことがある。
これは、臨場感の共有ができていない、といこと。


畢竟、経営では、とりわけ消費者との接点におい、
この臨場感の再現と共有が命題になる。

この「臨場」、横山秀夫さんの小説の舞台だけではない。
以下、次回。 09.6.28







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