経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

虞や、虞や、いかんせん

2009年07月13日 | Weblog
講師のAさんには、校長が出迎え握手をしたが、
私にはしなかった、とする。

こうした場合、人間ができていない私は
別に男の手を握りたい、握られたい
といった趣味はないが、不快を感じる。


先に人との接し方は、大きくは三択であると書いた。

1-相手を感激させる接し方。

2-不快に思わせる接し方。

3-何にも感じさせない接し方。


1-2については、先に縷々触れてきた。

最後3。
裏付けになるデータを持っているわけではないが
この3が、ほとんどではないか、と私は思っている。

というのは人間は当たり前のことや普遍性の高いことには
意識、関心がむかず、特殊性に注目する習性がある。
またそのように慣らされているからである。

毎日メディアが実に多くの事件を報道しているが、
それは平和・平穏が通常であり
事件発生が希少性であるからである。

江戸川でイルカが泳いでいたニュースになるが、
太平洋でイルカが泳いでいても取り上げない。
いるかどうか、いやいないと思われるから話題になるのである。

「おもてなし」然り。
あまりにも当たり前のものとして、
その重要性が見過ごされている向きがある。

だから、おもてなしこそ盛衰を左右する、というと、

なんて、大げさな。
エライ人がそんなこと入ってないよ。
経営の本にそんなん、ないよ。
接遇の中の1つのスキルにすぎないやん、

といわれ、無視されるのがおちだ。


だが歴史を知る人は理解してもらえるはず。
「戦国策」、「三国志」、映画や司馬さんの「劉邦と項羽」
のなかに、何十万の兵隊を投じて手に入るかわからない強固な城を、
たった一人で敵のトップとの接点を持つことで、
開城させ、手に入れるといった事例は少なくないのである。

ちなみに調べてみたが、「劉邦と項羽」の場合、
事実がそうなのか後の作家の虚構なのだかわからないが、
無血開城の事例は劉邦の場合だけで、
項羽には見あたらない。

流血の量の多さが項羽が民の支持を失い、
四面楚歌の中で、愛妾、虞姫を前に

「力は山を抜き、気は世を覆う。時利あらずして騅逝かず。
   騅逝かざるを如何せん。虞や虞や汝を如何せん。」(垓下の歌)

と歌い、垓下から脱出し、川辺で自殺。

自滅を招いた因、そもそもどこにありや、と考えれば興味深い。


空気がなくなって、それが手元のお金より大事なモノだった、
と亡くなった本人が、棺桶から電話してくることはない。

当たり前のことには、
携帯電話などの経費も手間暇も掛けたがらない。
それは、生きている人間はなおさらのこと。

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