経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

売上げどんどん

2009年07月26日 | Weblog
これまでこの仕事に転じてからの自分を、
否定し、捨てることは、自分が思っていた以上に
恐怖を感じた。
ああ、これが物の本に書いてある自己否定の一種かな、
と思ったりした。


事の発端は、単純。子供じみた理由である。
端的に言えば、仕事がおもしろくなくなった。倦いた。
だからそれを磁石として、いやなことばかり目につく。
やめたい理由がどんどん蓄積されていく。それです。

もともとわがままだ。
生き方にしろ仕事にしろ、好き嫌い、楽しいかそうではないか、
といったことを基準に、文句なし前者を選択する、ということで、
好きな仕事を選択してきたつもりだ。
それがおもしろくないのですから、私にとってはことは深刻だ。

そうした時には、実にたくさんの誘惑があることを改めて実感。
それも外部からというより自分の内部からなのだ。
たとえば、「年だよ。気力の衰えってあるんじゃない」
「男にも更年期障害があるんだ。それかも?」、
「そもそも仕事はおもしろくないもの。そう割り切ったら」
といった声。自分が自分に言い聞かせる声が聞こえてくる。

外部の声ならこれまでもあったし、なれっこ。
耳や目を塞げばいい。場を変えればいい。
しかし内部の声というのは始末に負えない。
馬鹿は死ななきゃ直らないという。
こうした内部の声も死ななきゃ止まらないのかと思った。

しかし こうした声のお陰か、以外に早く
その理由を見つけることが出来た。。
それは、「脳力開発」のインストラクターでしみこんだ習慣。
「人から言われたら、その反対を考える」、
それに性格的にも天の邪鬼。このことが幸い、幸運した。

加えて生業の経営指導の仕事を通じて、
「売れるには売れる理由がある。売れないにもその理由がある」
その理由さえ押さえれば、それに対応する形で、
売れて儲かるしくみを構築すれば、売れる。このことを確信していたこと。

この2つがおもしろくなくなった私自身を助けてくれた。


年だ、年のせいだ、といわれたらどうにもならない。
年を減じることは、サミエルソンとて不可能だ。

彼は、心は年取らない、といっている。
そのことは肉体はそうではないと、彼とて認めていることになる。
その上での、彼のあの著名な詩ができているのだ。

わかったのです。
 
上に潮流の変化、と記し、潮流が変わっているのに、
私は、これまでの「対応」でもって、対応していた。
具体的に手段としてのあれこれといったことではなくて。

恐竜が、氷河時代への対応を
巨体であるが上に、肌で感じ取ることができずに
不適応品種化し、滅びてしまったように。

今の自民党もまさにそう。脱線。

対応できていないのなら、ことは簡単。対応させればいい。
理由がわかれば対応は難しいものではない。

これは解決できる。対応策はある、と私は確信した。


閑話休題
売る努力をして目標達成
これは、鞭でたたかれた後の快感と、どう違うのか。

努力をすれば報いられる。
では、報いられなかったらどうなのか。

努力をしなくても報いられるってことはないのか。
あるとしたら 努力をしなくて売り上げどんどん、といった
あり方、やりかたが存在するはずだ。
それこそ時流適応、潮流適応の本来ではないか。
その発掘こそが、自分の仕事ではないか。

何であろうと命じられてやるのはサラリーマン時代で卒業だ。
だから天命などではない。
まさにこれぞ自分が倦むことなくやれるライフワークではないか。

この 「努力をしなくて売り上げどんどん」のあり方が
徳島の中谷さんとのやりとりの縁の下にあるということを発見。
そのことを書くつもりが、例によって前書き、背景、横道、余談と
展開し長くなった。