経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

明暗自在

2009年07月17日 | Weblog
ブログには、暗闇に鉄砲的なところがある。

それだけにそうした書き込みがあるということは、
「反応」であり、手応えであり、
とりわけ内容に対しての反応あれば嬉しい。

ブログに書いた内容を受けてのコメントであれば、
それが肯定的なものでなくとも、それが示唆になり、
新しい思いや考えが浮かんだりすることも
しばしばあるから実に嬉しい。


以下、記すことは、上に述べたことを揺るがすものではなく、
それはそれとしてと、ということだ。
そして、当然といえば、当然のことである。

ブログに書いた内容にあるキーワードに関連して
その関係の広告がリンクされる。
前後して書き込み、メッセージ、コメントが書き込まれる。
あるいは、何の書き込みもない場合もある。


書いた言葉の中に、「健康」とあれば、健康の関連のそれら。
書いた言葉の中に、「経営」とあれば、経営の関連のそれら
書いた言葉の中に、「農業」とあれば、農業の関連のそれら

書いた言葉の中に、「肥満」とあれば、
「肥満」と「ダイエット」経営の関連のそれら

書いた言葉の中に、「豆乳」とあれば、
豆乳となぜか巨乳とかいった関連のそれら

そこにいわゆる「引き寄せの法則が働いていることがわかる。

これらを俯瞰的に、かつ抽象度をあげてみると、

悲しい話には悲しい話。
楽しい話には楽しい話。
明るい話には明るい話
暗い話には暗い話

ということになる。

こうして実際に並べて書き出していて、気がついた。

悲しい話を選択し、書いたのは私だ。
楽しい話を選択し、書いたのは私だ。
明るい話を選択し、書いたのは私だ。
悲しい話を選択し、書いたのは私が。


ならば、どちらを選択するのは、自分の自在ということになる。

自分のブログの内容、キーワードに連動して広告が動く。
この彼らのシクミを活用して、私が貼り付けられる広告を動かせる。

明るくしたいという私のブログを
彼ら大勢の協力で、さらに明るくできる。
彼らだけに,私が協力する片道ではない。
つまり登り坂は下り坂にである。
引き寄せの法則は引き寄せられの法則でもある。
また剥ぎはがしの法則でも,剥ぎ話されの法則も成り立つ。

A=Bは、B=A,である。

この当たり前のことを当たり前として
考えていなかったという自己反省である。


だから、以下に記すことは、上に述べたことを
それはそれとして、さらに話を進めたい。


メッセージ、コメントは一括送信やスバルを除けば、
こちらの書いた内容に対応してくださる。
こちらが明るい話題なら明るい対応。

これまでのゲストの対応、
ここまでは望まないにしてもそのゲストのブログも、
暗い話題から明るい話題にという可能性だってなきしにあらずだ。

それはまたA=Bは、B=Aである。

だから、私も他の人の明るいブログにより、
明るい気分に浸れるということになる。

情報に置き換えるとこれまた然りだ。

ブログの効用はブログに止まらず、限定されない。
普遍性があるということになる。


自在とは、自分の択一選択だ、ということ。
コップに何を入れるか、の話で続けたい。
コーラをコップに入れれば水ではなくコーラが飲める。
水をコップに入れればコーラではなく水が飲める。
脳や運命の袋に何を入れたか、ということだ。

コーラを選択しておいて、これは水だといういう。
これは誤りだということだ。
暗い部屋に入って、ここが明るいというのは嘘つき。

陽転思考の誤解は、ここにある。
暗ければ、暗さを認め、
1に、暗さを活用する。
2に、明るくするか。

2者択一することだ。

用に転じる思考と行動を陽転思考というのなら、
それはまさに正しい。


世の中が明るくする、というのは、畢竟、ここにある。


党利党略をコップにみたし、「これ国のため、民のため」
と国民を欺く、欺瞞の選択者たちが姦しくしても
国が陽転、明転するはずがない。
彼らこそ暗そのものなのだから。
明に入れ替えなければ,明るくなるはずがない。