経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

命と空間

2009年07月14日 | Weblog
計ったことはないが、私には空間は無限大と思える。

空間は広い。
こうして私の目を通して見える範囲だけでも大きい。
そして人の数だけあるから、すごい。

対して私の知る空間は、大海に粟粒以下の小ささ。
それも見るのは私を通しての空間一つである。

自分の持つ空間は小さい。
時間軸で言えば自分の持つ時間は、最大でせいぜい120年。

体が丈夫で行動には差し支えない、
とはいえ、その行動範囲も限定的だ。
一日中、事務所にこもる日など、
机からせいぜい100M四方が行動範囲。

広い無数の空間にたいして、超極小のたった一つの空間。

それが私。私の人生、命。

そのことを思うと、がっかりもする。

むなしさもある。

焦りもある。

そしてあきらめもある。

だが、あるとき思った。
きっかけは、人の話だったか本だったか。

本を読みなさい。 映画を観なさい、と。

空間が広がる。その中にたくさんの、様々な人生が見える、と。


小さいときから本好きだった。
中学の時は、図書館の本を
何メートルという単位で友と目標を決め、
端から端まで競って読んだ。

好きなことを勧められたらすぐ乗るたち。

乗った。そのとおりだった。
ここに、こんな人生あり。空間がある。歓喜した。



映画も好きだった
最初に観た映画の題名は今でも覚えている。

小学2年だから父母が連れて行った
熊本県菊池郡 隈府の映画館だったような。

とすればこんな田舎でも当時は映画館があったのだ。

二階席の暗がりで、女の人が男を風呂に沈めるシーンをみて、
声を上げ、母に叱られたことを思い出す。

そのことからか、題名「悪魔のような女」を覚えている。
父母と一緒に観た映画の記憶はそれしかない。

小遣いをためては高校時代から裕次郎、吉永小百合がでているのは全部見た。
入れ替えのない時代だったから、1日2回、3回もみた。

それは他に娯楽がない時代だったからと言えば
にべもないが、映画は楽しかった。

以来、毎日欠かさず、映画は見続けている。
泣き、笑い、悲しみ、喜んだ数だけ自分の空間が広がっていく。
手応えを感じている。


それをなんだ。最近の自分は。
命の空間拡大のためなど、と理屈をつけて映画三昧している。
自分の体験したことしか自分の一生、命ではないとしたら、
上に触れたが、なんとしても悔しい。
せっかく生を受けたのに、この世の粟粒だけの空間を
世界と見て終わるのはなんとしても惜しまれる。

そんなことをつよく考えるようになったのは、いつ頃であろうか。

脱サラしてこの仕事を通じて、
勤務していた会社の接点を通じての世界しか知らなかった。
時たま新宿や渋谷の繁華街の雑踏を歩くとき、
これだけ大勢の人たちの中にいるにもかかわらず、
私はひとり。

こんなに大勢の人たちがいるのに、関わりがない孤独な自分がいる。


脱サラして、田舎に帰った。
故郷とはい5歳までいたに過ぎない。
この町の幼稚園も、小学校も中学校も縁がない。
友達もいない。
都会にいたとき懐かしかったふるさとは、
都会以上に孤独の地であった。


だが、少しずつこの仕事を通じて
たくさんの人、様々な業種業態の会社や経営者と知り合う。
そしてたくさんの、それぞれの世界があることを知った。
仕事冥利に尽きる。

生業(なりわい)のためが、だんだんその意識が薄れ、
新しい世界を覗け、見れることに意識と関心が
移行していることを、はっきり自覚している。

そのこと自体が、読書や映画にまして、
私には、すばらしいことだった。

それはどういうことだろう。
言葉が好きな私は考えた。

「人生のふくらみ」

限られた直線的な人生に希望を持たせる目的は、
直線にふくらみを持たせることではないかと。
そしたら同じく120年間生きるとしても、
円周率(3.145倍)分、長くなる

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