経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

「敵の敵は味方、強力な反対者は、強力な協力者」

2005年12月06日 | Weblog
メールのアドレスが、いつのまにか消え、その対策に没頭。バックアップソフトのお勉強していました。HPはWEBにアップしたものは、正しいのですが、これをソフトで更新出来なくなったのです。わたしは、ほぼ毎日更新しますから、これは困った。

 みるとindex画面の大半が消えており、これをWEBにUPすると、現在のWEB画面に上書きされ、壊れた画面のTOPになってしまう。
 
 それで、この消えた画面の改修に取りかかりました。以前の画面を作り直しして、やっと先ほどなんとか、さまに。眠たいです。

画面自体は、以前のに上書して作り直せばいいのですが、リンクをハルのが根気とまとまった時間が必要で、大変。

 原因は、わかりませんが、ウイルスではないようです。立ち上がりなど、時折異常音がしていますので、HDへの読み込みが、とぎれて、といったことかも知れません。
 
 外付けのHDに全面バックアップして、いざというときには備えているのですが、一部復元は、その該当ファイルを探し出すのは、莫大なファイルとにらめっこしなければならず、事実上不可能と言うことがわかりました。
 
 部分手直しより、なるほど全体修復のほうがやりやすい。明治維新のとき、志士たちが、手直し改革でなく、革命に立ち上がった理由は、こうしたところにあるのかもしれません。
 
  脳力開発の柱に、護身道というのがあります。相手の人の、反対する力と、こちとらの力を合わせて、相手を倒す。つまり敵の力に協力いただき、ことらの目的を果たす、という脳力開発の応用です。反対、意見の違う人を、協力者に説得することは難しいことですが、反対、違いをそのままに、それを活用する。

この習慣が身体に染みついていますから、なにかモンdさいが起きるたびに、大きく進歩発展するように、考え、持っていきます。

 さて、このことを具体的にはどうしたらいいだろう。と、昨晩から考えています。
 
 「敵の敵は味方、強力な反対者は、強力な協力者」。
 異論、意義、反論、不賛成、トラブル、マイナス、プラス、何でもないこと、困ったこと、嬉しいこと、哀しいことも、我が戦略を達成するための、戦術(材料)の1つ,と考えるのリーダーだからです。

 なにかをやろうとする人の偉大さと収穫は、その実現の構想と成功までのシナリオを動かすプロセスにあり、それ自体がより目的として意義がある、というところにあると考えています。


3つの理論、はて現状は?

2005年12月04日 | Weblog
1 追えば逃げる-競争の理論
▲追えば逃げる。ましてや、売り手に背を向けているお客の背後に迫れば、さらに逃げ足を早めるようなものだ。「大丈夫、私は足が速いから追いつけるから」という人もいよう。逃げるお客を追いかける売り手。両者のうち早いものが勝つ。売り手が早ければ売り手が買い手を捕まえられる。これで商談成立。めでたし、メデタシであろうか。もし相手の足が速かったらどうなるか。どこに逃げ込むかわかっていないとすると、逃げる相手が有利になる。

2 相手が早いほど有利-待ち伏せの理論

 もし相手が逃げる先がわかっているとしたらどうであろうか。お客の買いたいものや意向、価格等の主条件がわかっていたら、迷うことはない。ライバルより早くその商品を仕入れ、そのことを知らせさえすれば、お客は、その店で買う確率は高くなる。 しかし、少し疲れるかな。 それにお客の方も、だんだん面白くなくなるだろうな。なぜなら、自分の心を先読みされることと、消費者の選択権が奪われることは、面白くないから。         
 
3 待ち受けの理論-お客がふところに飛び込む
もしお客の方が、こちらへ向かって走ってきてくれればどうだろうか。欲しいものを求めて、あるいは貴重な情報を持って,。「あなたが好きだ。あなたのお店で買いたい」と叫びながら、飛び込んで来る。あなたは、ただ待ち受けしていればいいのだ。2との最大の違いは、消費者に主体性があるという点である。「できない?」.考えたことも、やったこともないのに、どうして否定だけはできるんだろう。私は、今このことをノウハウ化しています。


ある座談会で、「気づき泥棒」を語る

2005年12月01日 | Weblog
徳島市で、幼児教育の塾をやっておられるS先生とよく話するんですが、彼は、自分の仕事の実際は幼児教育ではなく、お母さん教育だ、といつもいっている。
でもお母さんは、子供の教育という看板でないとぜったい金払わないから。(笑い)。で、子供で釣って実はお母さん教育している。

 つまり大方の経営者は、自分以外が教育の対象と思っている、社長にとって売上げが上がらないのは、社員がわるいと。だから社員教育が大流行。

 私は原則として社員教育をやらないことにしている理由は、そのことがあるからです。脳が悪い人に、指に赤チンぬったってしょうがないですからね。事業の成否のすべては、「我(経営者)にあり」というのが、まず経営の本質。

 それに社員教育で、「教える、教わるという問題。行動しそこから気づき、自分なりの知恵、ノウハウ、コツといったことを修得する。これが教育の本質ですよ。それを、そとから教え込もうとする。最近とくに、こうした気づき泥棒が増えてきたようです。その典型が、S先生に言わせると母親と教師だというんですね。もっと突っ込んでいえば教育そのものが、気づき泥棒産業ではないか、と。少し、過激かな。それで彼は商売繁盛しているのだし(笑い)。

 何しろ、本来なら子供が行動した結果、気づく、貴重な発見と感動を、どんどん教えて頭に詰め込ませてしまう。これが教育と思っている。子供の世界だけでなく、大人の世界でもそうです。「気づきを教える講習会」、といったものまである。みじかでは、ほら、あのぅ、あれ、ほら、うーん、、、、、。司会のKさんが、押さえて押さえてと合図していますから、具体名は割愛しますが。恐ろしい世の中です。