経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

こだまよ、今夜もありがとう

2008年08月13日 | Weblog
商人塾とか、経営革新塾とか、
単発でないセミナーが終わる。
孤独感と寂寥感を感じるときである。

終わった後も、参加者の皆さん方の何人かと、
メールのやりとりなど交流が続くこともある。

3年前の、経営革新戦略コースの塾生の一人、
Fさんから、6ケ月の長期コースを終えた直後、

「学んだことを、取り組み始めました」

といったメールを戴いた。

「取り組み始めました」、
といったメールは、稀有である。
だから最高に嬉しいかったことを覚えている。

そのFさんから3年ぶりにメールを戴いた。

「昨年度の決算では、学んだことが実り、
   創業以来最高の増収増益になりました」

 私、いや私たちの仕事は、
講演会の壇上で話をしながら、
どこかで「木霊(こだま)」を期待している。
それも、即、その場の木霊を期待している。
観客に拍手をせがむ芸能人(芸のない人)の如く。

いわゆる「受け」である。
拍手、表情、終えた後の質問から、
「今日は、受けた」という実感は、
この仕事の冥利である。

逆に言えば自分の話したことが
山に吸い込まれ消えることに、寂しさを覚える。

長くやっていると、その理由も自分にわかるから、
「どうしたんだろ。今日の出来は。情けないな」と、
自分に戻ってきて、実のところ辛い思いをする。
だが、これが進歩発展に欠かせないことなのだ。
将棋が一局終わると、プロの棋士は、差し戻しをする。
それと同じである。
だが、木霊は欲しい。ないのは寂しい。

だが、私たちの仕事は、
そのときの反応だけを一喜一憂していたのでは、
失格者といってよい。私は、そう思う。

それは、受講生が、学んだことを実践し
その結果、期待通りの成果を得る、ということ。
それが、本来の目的である、と言い聞かせている。

単発の講演では難しいにしても、
こうした長期コースでは、成果が形に結実しなければ、
受講生にしたら投資がムダになったと言うこと。
また講師にしたら、そのときの金は得ても
次の仕事は難しい、といったことになるから当然だ。

だから、このように時間をおいて、
木霊がかえってくれることほど嬉しいことはない。

しかもFさんの場合は、私が発した声より、
遙かに大きく確かな木霊であった。

木霊は嬉しい。木霊がないのは寂しい。
だが木霊の最高の感激は、
帰ってこないと思って背を向けた、
その私の背中を叩くように、
時間をおいて帰ってくる木霊である。

今晩戴いたFさんに、改めて教えられた。
御礼は、私の方だ。
愛飲日、酒がうまい。コップ片手に
小声で、歌う。

 「木霊よ、今夜は有り難う」