経営革新塾でのMMAP。
グループ討議でのこと。
「実は、それこういうことです」、
「それは、お客の誤解です」
この人は、仲間の指摘に対して
、一つずつ弁明している。
だから素人は困るんだ、といった意識がありありである。
消費者は他人である。
素人である。
しかもおおむね不特定多数。
ここで、弁明している内容が
100%正しいとしても、
その弁明をどうして伝えられるのだ。
店頭に、弁明を張り紙をするか。
チラシでも撒くか。
そんなことをしたら、
なおいっそうお客は来なくなるであろう。
こちらから言う誤解は、向こうから見たら
正解なのである。
よしんば議論に勝っても、売上げ落ちる。
現場指導での場でのこと。
「お客様は、これがいいと言っています。」
「お客様は、ここのはおいしいと、ほめてれます。」
「お客様は、みなうちの店を知っておられますから」
全部のお客様が、そう言ったということはない、
と思うのだが。
経営者の母親がでてきて、息子を制し弁明する。
かりに100%そうだったとしたら、
どうしてこんなにも、客数が減少しているのか。
両者共通して、お客に振っている。
不振企業の経営者に見られるパターンである。
10人の経営者のうち、2ー3人はいる。
人の言を、どんどん取り入れて自分の得にする。
そうしたどん欲さがある経営者であれば、、
聞く耳が育ち、それが栄養となって
企業はすくすく育つ。
彼らは、その栄養をおいしければ
受け入れ、
苦いと拒絶する。
その栄養の偏りが、経営を偏らせ、
傾かせる理由になっている。
こうした経営者も、私のお客様なのだ。
いや彼らこそ私の本来のお客様。
そうした企業をいい方向へ持って行くのが、
私の生業、仕事なのだ。
そう思っている。思ってはいるが、
思いながらあの落語の、そばの話。
通は、ほんのちょっぴり。
だが、一度ええいいから
つゆをたっぷりで、
喰ってみてぇもんだ。
この話が
見にしみいるのも事実だ。
そして、その実、私も彼ら同様、
間違いなく、問題を
自分のお客様に振っているのだ。
彼らを革新させず、何が仕事か。
何で嗤えよう。
いやはや、この道26年。
我、未だ未熟、
彼らを笑えない自分を
嗤っている。
グループ討議でのこと。
「実は、それこういうことです」、
「それは、お客の誤解です」
この人は、仲間の指摘に対して
、一つずつ弁明している。
だから素人は困るんだ、といった意識がありありである。
消費者は他人である。
素人である。
しかもおおむね不特定多数。
ここで、弁明している内容が
100%正しいとしても、
その弁明をどうして伝えられるのだ。
店頭に、弁明を張り紙をするか。
チラシでも撒くか。
そんなことをしたら、
なおいっそうお客は来なくなるであろう。
こちらから言う誤解は、向こうから見たら
正解なのである。
よしんば議論に勝っても、売上げ落ちる。
現場指導での場でのこと。
「お客様は、これがいいと言っています。」
「お客様は、ここのはおいしいと、ほめてれます。」
「お客様は、みなうちの店を知っておられますから」
全部のお客様が、そう言ったということはない、
と思うのだが。
経営者の母親がでてきて、息子を制し弁明する。
かりに100%そうだったとしたら、
どうしてこんなにも、客数が減少しているのか。
両者共通して、お客に振っている。
不振企業の経営者に見られるパターンである。
10人の経営者のうち、2ー3人はいる。
人の言を、どんどん取り入れて自分の得にする。
そうしたどん欲さがある経営者であれば、、
聞く耳が育ち、それが栄養となって
企業はすくすく育つ。
彼らは、その栄養をおいしければ
受け入れ、
苦いと拒絶する。
その栄養の偏りが、経営を偏らせ、
傾かせる理由になっている。
こうした経営者も、私のお客様なのだ。
いや彼らこそ私の本来のお客様。
そうした企業をいい方向へ持って行くのが、
私の生業、仕事なのだ。
そう思っている。思ってはいるが、
思いながらあの落語の、そばの話。
通は、ほんのちょっぴり。
だが、一度ええいいから
つゆをたっぷりで、
喰ってみてぇもんだ。
この話が
見にしみいるのも事実だ。
そして、その実、私も彼ら同様、
間違いなく、問題を
自分のお客様に振っているのだ。
彼らを革新させず、何が仕事か。
何で嗤えよう。
いやはや、この道26年。
我、未だ未熟、
彼らを笑えない自分を
嗤っている。