ついに全巻48巻&スペシャル1巻、見おえる。
寅さんシリーズ「男は つらいよ」だ。
渥美 清の後半の人生の28年間を
2ケ月足らずに、見おえることになる。
42巻「私の伯父さん」から、
事実上主役は、寅さんから満雄に交代している。
渥美の病気が進行したからである。
42巻あたりから、画面を通しても
そのしんどさが伝わってくる。
山田監督も、寅さんの出番を押さえるだけではなく、
座るシーンを増やし、渥美を気遣っている。
だが45巻、「寅次郎の縁談」は
香川の小さな島の高台が舞台。
そこまで登る石段は、事情を知る観客(私のことだが)
胸を締め付けさせる。演技上、しんどがるシーンだが
実際にしんどいが、そのまま出ている。
ここまで来るともう関心は、映画ではなく、
ストリーではなく、渥美清の命との戦いに、心をとられる。
だから笑うシーンを笑えない。
いや笑うシーンで涙が出てくる。
47巻「拝啓、車 寅次郎様」になると、
唄も声ももう完全に、尋常ではない。
渥美の声ではない。
立っているシーンより腰掛けてのシーンばかり。
おなじみのタコ社長とのつかみ合いの喧嘩も、
つかみ合いはほんの数秒でカット。ト
ラヤの2階へ上がるシーンもない。
厚塗りの顔がアップに耐えきれない、
不気味ほどのや連れが見える。
ストーリーも、快活場面ではなく、全体的に暗くなる。
ここまでして、喜劇を撮る、山田監督の心情はいかに。
常連のキャストも、渥美の体調がただごとではない、
とわかってはいたろうが、まさか。
というのは、
渥美は、他のプライベートなことも含めて、
一切病状は伏せていた。
それで、山田監督は、49作目で、
滿雄とその恋人 泉を結婚させる
シーンを撮リ終えていたとか。
そのことからも、渥美が病状を身近なものにも
ひた隠しにしていたかが、うかがい知れる。
それにしても渥美の死去で、
若い二人の結婚シーンが、
オクラになったのは、返す返すも惜しまれる。
今年は、シリーズ誕生、40周年記念。
オクラから取り出して、
第49作と本来の最終作となるはずだった第50作を
放映して頂けないだろうか。松竹様
ともあれ、
42巻以降、喜劇にして喜劇にあらず。
喜劇にして、涙なくして見れぬ
哀しい映画だ。
最後の48巻。
「お世話になりました」
関西大震災復旧地での挨拶が、
俳優としての、最後のセリフ。
寅さんシリーズ「男は つらいよ」だ。
渥美 清の後半の人生の28年間を
2ケ月足らずに、見おえることになる。
42巻「私の伯父さん」から、
事実上主役は、寅さんから満雄に交代している。
渥美の病気が進行したからである。
42巻あたりから、画面を通しても
そのしんどさが伝わってくる。
山田監督も、寅さんの出番を押さえるだけではなく、
座るシーンを増やし、渥美を気遣っている。
だが45巻、「寅次郎の縁談」は
香川の小さな島の高台が舞台。
そこまで登る石段は、事情を知る観客(私のことだが)
胸を締め付けさせる。演技上、しんどがるシーンだが
実際にしんどいが、そのまま出ている。
ここまで来るともう関心は、映画ではなく、
ストリーではなく、渥美清の命との戦いに、心をとられる。
だから笑うシーンを笑えない。
いや笑うシーンで涙が出てくる。
47巻「拝啓、車 寅次郎様」になると、
唄も声ももう完全に、尋常ではない。
渥美の声ではない。
立っているシーンより腰掛けてのシーンばかり。
おなじみのタコ社長とのつかみ合いの喧嘩も、
つかみ合いはほんの数秒でカット。ト
ラヤの2階へ上がるシーンもない。
厚塗りの顔がアップに耐えきれない、
不気味ほどのや連れが見える。
ストーリーも、快活場面ではなく、全体的に暗くなる。
ここまでして、喜劇を撮る、山田監督の心情はいかに。
常連のキャストも、渥美の体調がただごとではない、
とわかってはいたろうが、まさか。
というのは、
渥美は、他のプライベートなことも含めて、
一切病状は伏せていた。
それで、山田監督は、49作目で、
滿雄とその恋人 泉を結婚させる
シーンを撮リ終えていたとか。
そのことからも、渥美が病状を身近なものにも
ひた隠しにしていたかが、うかがい知れる。
それにしても渥美の死去で、
若い二人の結婚シーンが、
オクラになったのは、返す返すも惜しまれる。
今年は、シリーズ誕生、40周年記念。
オクラから取り出して、
第49作と本来の最終作となるはずだった第50作を
放映して頂けないだろうか。松竹様
ともあれ、
42巻以降、喜劇にして喜劇にあらず。
喜劇にして、涙なくして見れぬ
哀しい映画だ。
最後の48巻。
「お世話になりました」
関西大震災復旧地での挨拶が、
俳優としての、最後のセリフ。