こうした本を読むのは、
飛行機や新幹線では、似合わない。
広島で新幹線を下車。在来線に乗り換える。
在来の山陽線の広まで、鈍行で小一時間。
ここで40分の待ち合わせ。
プラットフォームのベンチで過ごす。
それから、呉線で竹原へ。約60分。
この間、宮城谷昌光さんの「史記の風景(新潮文庫)」を読み続けた。
中程に「宮廷料理人」(P114-115)という小さな章がある。
そこに「包人は調和すれど敢えて食わず、故に以て包と成すべし」
という「呂氏春秋」にある一文に、釘付けになった。
以降、竹原に着くまで、ページめくりを止めた。
氏の意訳によると、
「料理人は調理をするが、自分では食べない。
それ故に料理人でいることができる」
という意味である。
これを読んで、決めた。
自分の会社を清算しよう、と。
「経営コンサルタントは、
他者の経営指導をするが、自分では経営しない。
それ故に経営コンサルタントでいることができる」。
「いることができる」、これを反語的に言えば、
そうしなければ、「いることは出来ない」ということになる。
「い続けたい」
以前、なんども公言したことがあるが、
私にとってこの仕事は天職である。
この「仕事でいること」を続けたい。
最低でも93歳までは、と思っている。
そのためにも、この先達の教えに従わねば。
ここ数年、考えていたことだ。
決断即実行型の私が、思っていても踏み切れなかったのは
1に、踏ん切りになる理屈と切っ掛けがなかったこと。
2に、多忙の中での精算にともなう様々な煩雑さ
これが、いやだったこと。
たとえば車や電話の名義変更といった世話ごとの煩わしさ、
こうしたものから、逃げていたのである。
器用ではないし、1つに打ち込んだら、他を投げ出し、
その分のエネルギーを寄せ集めなければ
力が乏しく、出てこない私には、
自分の会社の存在が、徐々に重荷になっていた。
広島・竹原のホテルから、
一番尊敬している友人、税理士
の岩元先生に、この煩わしをお願いすることにして
その夜、メールをした。
「会社、地方産業経営研究所を今期で精算することに。
つきましては精算の手続きを・・・・・」
もともと、会社経営の体験のために作った会社。
自分の会社があるメリットより、自分の会社があることで、
個人として、人間として、経営コンサルタントとして、
やりたい気儘なことの足枷になる、
そのデメリットが大きいと感じた。
自分の会社の損得を考える煩わしさが、
他者、他社への判断を迷うようなことがあったら、
まさに、それは主客転倒だ。
言うまでもない。
私にとっての、「主」は、
関わりある私を必要としてくださる
中小企業の皆さんなのだから。
自分に囚われると、力が出ない、
自分のことになるとからきしダメな人間、
そうした弱い人間だ、ということはわかっている。
それだけに、この精算が完了したら、
心身共に軽くなり、思い切り天職に没中できる。
そんな気がして、
今、かってこの会社を創設したおり、
しばらくは浮き浮きしたときの
、気分になっているのだ。
包人、いや法人として享年25年。
若すぎるかも知れないが、いい。
包人として、93歳まで長らえるための、
「包人、敢えて食わず」、なのだから。
飛行機や新幹線では、似合わない。
広島で新幹線を下車。在来線に乗り換える。
在来の山陽線の広まで、鈍行で小一時間。
ここで40分の待ち合わせ。
プラットフォームのベンチで過ごす。
それから、呉線で竹原へ。約60分。
この間、宮城谷昌光さんの「史記の風景(新潮文庫)」を読み続けた。
中程に「宮廷料理人」(P114-115)という小さな章がある。
そこに「包人は調和すれど敢えて食わず、故に以て包と成すべし」
という「呂氏春秋」にある一文に、釘付けになった。
以降、竹原に着くまで、ページめくりを止めた。
氏の意訳によると、
「料理人は調理をするが、自分では食べない。
それ故に料理人でいることができる」
という意味である。
これを読んで、決めた。
自分の会社を清算しよう、と。
「経営コンサルタントは、
他者の経営指導をするが、自分では経営しない。
それ故に経営コンサルタントでいることができる」。
「いることができる」、これを反語的に言えば、
そうしなければ、「いることは出来ない」ということになる。
「い続けたい」
以前、なんども公言したことがあるが、
私にとってこの仕事は天職である。
この「仕事でいること」を続けたい。
最低でも93歳までは、と思っている。
そのためにも、この先達の教えに従わねば。
ここ数年、考えていたことだ。
決断即実行型の私が、思っていても踏み切れなかったのは
1に、踏ん切りになる理屈と切っ掛けがなかったこと。
2に、多忙の中での精算にともなう様々な煩雑さ
これが、いやだったこと。
たとえば車や電話の名義変更といった世話ごとの煩わしさ、
こうしたものから、逃げていたのである。
器用ではないし、1つに打ち込んだら、他を投げ出し、
その分のエネルギーを寄せ集めなければ
力が乏しく、出てこない私には、
自分の会社の存在が、徐々に重荷になっていた。
広島・竹原のホテルから、
一番尊敬している友人、税理士
の岩元先生に、この煩わしをお願いすることにして
その夜、メールをした。
「会社、地方産業経営研究所を今期で精算することに。
つきましては精算の手続きを・・・・・」
もともと、会社経営の体験のために作った会社。
自分の会社があるメリットより、自分の会社があることで、
個人として、人間として、経営コンサルタントとして、
やりたい気儘なことの足枷になる、
そのデメリットが大きいと感じた。
自分の会社の損得を考える煩わしさが、
他者、他社への判断を迷うようなことがあったら、
まさに、それは主客転倒だ。
言うまでもない。
私にとっての、「主」は、
関わりある私を必要としてくださる
中小企業の皆さんなのだから。
自分に囚われると、力が出ない、
自分のことになるとからきしダメな人間、
そうした弱い人間だ、ということはわかっている。
それだけに、この精算が完了したら、
心身共に軽くなり、思い切り天職に没中できる。
そんな気がして、
今、かってこの会社を創設したおり、
しばらくは浮き浮きしたときの
、気分になっているのだ。
包人、いや法人として享年25年。
若すぎるかも知れないが、いい。
包人として、93歳まで長らえるための、
「包人、敢えて食わず」、なのだから。