経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

正しい企業の論理

2008年06月09日 | Weblog
経営に関する仕事をしている。
 当然だが、経営に対する自分なりの思いがある。
 
 その思いをもって、これぞという経営感が感じられる経営者は、そう多くはない。

 ここでいう「これぞ」とは、これぞ。

 感覚的だが、その考え方、姿勢といった何事において、
 当たり前のことの積み重ねが、貫かれ、それが続いていること。

 これを、一言で言えば、
 1-真の企業論理を持っている
 2-やることなすことにブレがない

 この2点である。

 とりわけ、2のブレは、
 最近とみに私の気持ちの中では、重きを増している。
 
  言動不一致。
  変節。
  流行を追う。
  上り詰めが速い。
  偽装、嘘つき
  飾り、きれいごと。
  借りてきた言葉
  ヨコ文字の多様

 こうした語の背景に経営者のブレを感じ取れるからである。

 それは、
  人間性が乏しい。
  哲学がない。
  信念がない。
  理念がない。
  長期戦略性に欠ける、

 と言ったことではないか。

 では、どうしてそうなったか。
 その原因を、次の2点に要約。

 第一に、とにかく消費者を知らない。日常の生活を知らない。
 メーカーを例に取る。

 自企業で製造した製品が、エンドユーザーの生活空間の中で
 どう位置づけられているのか知らない。いや関心すらない
 これが実感である.

 そんな細かいことは経営者ではなく現場の者が知っていればいい、
 と反論がありそうだが、それを間違いだ。

 経営とは、畢竟、生活の流れと営みに係わるもの。
 これが経営の語源、本質なのだから。
 生活を知らないで、経営を知ることは出来ない。

 第二に、業界の常識や自企業のルールが、彼らの常識という点。
 つまり、内の論理が業界外の広い世界にも通用する、といった考え
 こうしたものが、根強く、浸透しているということである。

 だから彼らにとっての当たり前のことが、広い世間では非常識である。
 
 それがわかっていない。
 受け入れられない。

 受け入れられない思想を持った企業で製造された製品が、
 世に受け入れられには、並大 抵なエネルギーと努力がかかることになる。

 それらは本来は不要な、かつ無駄なエネルギーの費消である。

 そもそも企業は、消費し喜ばれること。
 それをなすことで、消費者から受け入れられ、支えられ、存在する。

 こう考えれば、
 それに反し対立する考えが企業の論理であるはずはない。
 消費者の利便、自由選択権などを阻害するものであるはずがない。

 つまり、企業の論理とは、
  人間性
  哲学。
  信念。
  理念。
  長期戦略性、
 
 こうしたものが、「あり、備わってこそ企業の論理」なのだ。
 でなければ、企業、経営の概念そのものが存在し得ないからである。

 だから、この今、本来の企業論理をもういちど見直して欲しい
 と切望したいのである。

 ちなみに本来の企業論理を、私なりに定義すると、こうだ。

 企業や己の利益追求ではなく、他の人々を喜ばせ、
 利するという視点から、消費者サイドに立った革新性を身に付けること。
 このことで、未来永劫的に進歩発展し続ける論理」。


 ゆがんでしまったままの論理でもって何をなしてもうまくいかない。
 その夥しい実例が、毎日新聞に載る企業犯罪である。

 誤まった企業論理からは、経営の誤りしか生まれない。
 ましてや新しい事業の創生、革新が生まれるはずはない。
 
 と、断言したい。

 100メートル競走ならいい。
 だが、未来永劫的な繁栄を構築するのが経営者である。
人間性、哲学、信念、理念、長期戦略性

 この5つをもって、企業の論理を糾し、正して欲しいものである。