経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

新陳代謝

2008年06月06日 | Weblog
新陳代謝だど!と叫びたい

この新陳代謝こそ、生き続けるために不可欠なことなのだ。
それを、こともあろうに、新陳代謝を止める策を講じ続けてきた。
だから、商店街は衰退を加速した。


高齢者に、「年寄りは運動するな」では、さらに足は弱る。
過保護が、ダメをダメ押しする。

当然である。

自然の摂理、資本主義、ダーウインの法則に共通しているもの。
その本質こそ、「新陳代謝」といってよい。

それに逆らい、新陳代謝ができない、やらないとどうなるか。
自然も、人も、動物も、植物も、みな弱り、やがて死ぬ。

だから、神や仏、天の声、加護であろうと、国や市町村の施策であろうと、
この「新陳代謝」を妨げることを、やってはならない。
周囲の死の戦略に乗ってはならない。

それはむしろ、商店街にとっても、消費者にとっても
不幸を加速させ、死を早めることになるのだから。

国は、国民の血税を投じて、その血を腐らす施策を講じてはならない。

断定的に書けば、いや断定的に書かずとも、
私のこうした論には語弊があろう。
なければ、うそだ。

 「格差が生まれるじゃん!」
 「小店の切り捨てに繋がるやんけ、」
 「それって、強者優遇じゃないかい?」
 「ほないなこと、貧乏人は、死ねということになるんとちがいまっか?

といった、異論がなければ嘘だ。
あってしかるべき。

だが、根本には、新陳代謝を妨げてはならない。
このことをしかと踏まえた上で、大いに異論を出す。
みんなで議論、そして次への展開、と言って欲しいのである。

理念を踏まえた上での戦略、といったように、
重きを置く順位を間違えてはならない。

なにより優先すべきは、
血液さらさら、新陳代謝。

だからこの点を踏み外しての論議には、荷担しない。
私たちは、歴史において、理想主義者こそが、
その実、民を苦しめ、不幸を作ってきた。
そのことを忘れてはならないのだ。

 身体も街、お店も、政治家も、皆々
 新陳代謝だど、と叫びたい。(終わり)