経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

その道、この道、とうりゃんせ

2007年03月11日 | Weblog
繰り返される企業犯罪を単なる事件として、一つずつ切り離し見てはなるまい。
共通の要素、普遍性的なものがそこにあるとしたら、それは何か、といったことを一連で極めておくことが、きわめて重要だと思い、私なりに考察を続けてきた。

その中間報告を、以下2点に、要約し,思うことを書き添えておきたい。

1 この際企業内の論理が、いかに世間の論理とずれがあり歪曲され勝ちという認識とともに企業外に受け入れられる理念に支えられた長期戦略が不可欠という理解を再認識しておくこと。
2 「企業の論理」がまかり通る限り、短期的にはその企業にとっては正義であっても、やがては消費者と社会から否定される、露見しなければ得といったとらえ方ではなく、露見するから大損害、時として命取りになると考え、他社の露見の都度自らを例外、対岸におかず、痛くない腹を自ら探っておくことで、失うはずであった利益と売上を確実に掌中にしておくしぶとさを身につけておくこと。

 ちなみに不二家、50億円の損失との報道があったが、これからも続くであろう見えない機会損失などを加えるとそんな揉んでは収まらない。

 少なくともこの10年間だけみても、それも著名企業だけを拾っても実に多くの経営者が、上の2つのことが出来ず、自分の企業を死に追い込む意志決定をなしたか。そしてこれからもなし続けることか。それはなんで、といったことを考えている。

 それは思うに、そのときの意志決定の基準が、「先に利を取り、不利益は先送り」、あるいは「今良ければ、後知らぬ」といった幼児的なものである、ことに尽きる。
たとえば、企業伸び盛りの頃、売上を大きく上回る借り入れをした企業は多かったはずである。だが、かりに会計に無知であったとしても、それがどんなことかぐらいは常識で分かるはずである。

 にもかかわらず、「よし、いけ!」と意志決定した。そのことはどう考えても経営者の判断でもない。大人の判断でもない。だから幼児的というほかはないのである。

 「ああ、あの時代はバブルで皆狂乱していた。そういった時代だったんだ」、といった述懐で済ましてはならない。これを極端なケース、一部の特定大企業の間題といった風に、逃げ、目をそらしてはならない。

 こうした幼児性は、他社や他者ではなく、自社に、自分の意思決定の中にも潜んでいるのではないか、そしてそれが時折、首をもたげてくるのではないか、そうしたことはこれまでなかったろうか。あの時代ではなくとも、この今、これからに、そうしたことがあるのではないか。こうした問いかけを自らになし、我が身と心を、冷厳にチェックし続ける姿勢が肝要と考える。

 獣が通った道を人が追い、その人の通った道を、次々と皆が歩む。そうして通ってきた道、あの道、この道を、また「いつか通った道」として慣れ親しみ、この慣れ親しみを、「安全、間違いのない道」と思いこんでしまいがちである。だが、ほんとうの安全は自らチェックし続ける姿勢で確保するところに、本来がある、と思うのである。
 「その道、この道、とうりゃんせ」と、どこからか誘いの声が聞こえてきたとしても、我が身と心を点検、制御することを心したいものである。