経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

けんきょ 

2007年03月07日 | Weblog
先日のこと。

 午前中手早に仕事を済ませ、鹿児島に向かった。徳島の上勝町、株式会社いろどりの横石 知二さんの講演を聴くためである。
 もう徳島は18年前から、年数回はおじゃましているところだが、この町は一度通過したぐらいの記憶しかない。その町が、葉っぱで地域振興を図り、最近はマスコミで取り上げられ話題になっている。その中心人物が横石さんである。

 この前の別の講演(このブログで取り上げた)、Y県の観光カリスマ、「おれがやった、おれがやったおじさん」とは、全然違い、謙虚でいい話をされた。
 内容的にも素晴らしく、久しぶりに勉強したぞ、という快感を覚えた。それにパワーポイントを遣っての話し方は、これ、プロといってよく感服。だがその誠実さとうまさんに、以下触れる一抹の不安も覚えた。うまさは引っ張りだこの要素、誠実は、それを断れない要素になるからだ。

 私はテキストパワーポイントでテキストや企画書を作っても、実際の講演では使用しない。一枚一枚というしきりに囚われて、脱線や流れを阻害するのが気に入らないからである。もちろん枠を作って、それに縛られる自分が未熟なためである。

 講演には、のめり込んだら恐らく抜けられない悪魔の落とし穴がある。横石さんみたいな誠実で謙虚な、そしてたぐいまれなぐらいの郷土愛、そして実績ある方は、講演のうまい下手などどうでもいい。引っ張りだこにが続くに違いない。それがうまいと来ている。誠実と来ている。

 正直言って、講演は押さえるだけ押さえる。やるにしても、講演のプロじみて欲しくない。話し下手、ぼくとつであれば、悪魔の落とし穴に近づくことはなかろうから。

 思うに、おそらくあの「おれがやった、おれがやったおじさん」も、最初は謙虚な田舎のおっさんだったのだと思う。それがカリスマなどというお上のレッテルはられて、悪魔の穴にはいった。こう考えると同情に堪えない。

 謙虚、謙虚といいながら、尊大なひとより、威張っている、威張っているといいながら、実は謙虚の固まり、という人の方を、人々は歓迎し続けるのだ。

 検挙率を上げる警察より検挙する人がいないことを目指す警察が、庶民の評価でありたい。