経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

学ぶの本質は、日常性にあり

2005年10月09日 | Weblog
 1939年に上映されたフランク・キャペラ監督の「スミス都へ行く」という名作がある。昨夜、何十年ぶりかみて、政治の本質、政治家の関心は、本来どこにあるべきなのか、あらためて感じさせられた。。

 全知全能の神様には学びが必要なのか。必要だ、と断定して良い。では誰から学ぶのか。そのことを考えてみたい。
 神様はなぜ学ばねばならないか。彼の上には誰もいないが、地球上に人間だけで63億人、それもどんどん生まれ、死ぬから入れ替わる。トップの位置にいるからこそ、彼は人間だけでも63億に、個別対応しなければならないのである。(神様の仕事は個別対応を無視しては成り立たない)。だから、凡夫の私たちより学ばねばならないことになる。63億の皆に名前があり誕生日が違うのだから、それはそれは大変、忙しいはずだ。
 
 この神様を経営者トップのあなたに置き換えてみよう
 トップはトップであるが故に、その学びの場も、情報源も上ではなく下にある。否、下にしかないのである。
 なぜあなたは、上から学ぶことに夢中するのか。少なくともあなたが学び、情報を得る中心は、下からであるはずだ。
 
 消費者を対象としている事業であれば、彼らが購買するかしないかで、事業の死活が決まるのである。だから彼らと、彼らとの接点を持っている販売員からの学び、情報収集がまずは優先されるのは当然である。
 同様、消費者との空間を共有すること。特殊な場より日常性に重きを置かねばならないのは自明の理だ。
 
 で、ここで自問自答していただきたい。この1ケ月。上と下、非日常と日常、業界関連人と一般消費者と区分して、あなたが時間を割いたのはどちらだろう。そのウエイトは、どうだろう。

 以前触れたが青森・日専連で全職員のMMAP研の会をやったとき、常務のOさんは、最初から、中抜けもなく、一般社員と同様、参加されていた。
 ここで100名が平均30のカード(情報)をポスト・イットに書いた。Oさんは、2時間で3000の情報を得たことになる。
 彼のようなスタンスを取る人こそ情報の本質をわかっているトップである。