経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

一本の線

2005年10月01日 | Weblog
 私のライフワークである脳力開発、MMAP、田上理論、経営革新・経営計画が、やっと実感として、一本の線で結びついた。29日、徳島での脳力経営塾で、話してる最中にその手ごたえが頭の中を走った。

 「同じ人間がやってるんだから、当然だろう。」
 「結びつけようとしたら、何でも結びつくものな」

 どうかそんなつれない言い方をしないでほしい。そうした思いが自分自身の心にあって、あったからこそ、むしろ慎重に、理論的な裏付けに時間をかけたてきたのである。自分の夢が、自分の夢であるがゆえに、自分に都合のいいように、自分自身が歪曲ししまうことが、いちばん恐かった。

 「せっかく経営革新をやっても、これまでの数字だらけの経営計画に繋いでしまうのですからね。なんにもなってない」、といった塾生の一人で、友人の川人税理士の一言が示唆になり、その瞬間、まちがいなく繋がったことを実感した。

 そうなのだ。最初から繋がっていた一本のものを、バラバラに区分けし、結びついていないものと思いこんで、一本として見ていなかっただけだったんだ。
 結びつけるという意識そのものが、一本ではないという思い込みの証。それを時には繋ぐ順序を違えたり、改めて繋ぐといって一息を入れる、と言った具合で、一本である事実に気付かなかったのだ。

 なんと言ったらいいのだろう。つまり、個々それぞれ違うものとして、繋ごうと力んでしまったために、どこに何が「モジュライト」が必要だと、かってに思い込んでしまっていたのだ。

 あるいはひょっとしたら、一方につながることで、自分のライフワークがたちまち3つ失い、一つになることを本能的に恐れたのかもしれない。
 お金とおんなじで、夢も沢山あった方が、なんだか豊かに思える。そんな欲張りからくる錯覚があったのかも知れない。
 そうだとしたら、数を惜しんで、大切なことを、見落とすところであった。
 命が、一本の線であるとしたら、その線から生み出されるものも一本の線の如く繋がっているもの。それが本来なのに。