生きていること、これすなわち呼吸していることです。
吸うだけ、吐くだけでは息切れするのは自明の理。呼吸の本質は異質のものとの共生にあります。動物が吐くものを植物が吸う。植物の吐くものを植物が吐くの共存。こうしたリンク、共生の中に生物は生きている。どんな生きものだって,いな生き物以外も共生のリンクにある。一人じゃ生きられないぞ、とか一人で生きてるんじゃないぞ、とか「活かされている」というのは、ここから来ているのだと思います。
ですから広い世界の中で、このちっぽけな自分だって、必要不可欠な存在なんだ、と自らの価値を自ら認めて、胸を張って生きていける。
それはいい。それが講じて、この俺様がいるから、おまえさんも、といったことになると、いかがなものでしょうか。自分の鼻が長く、高くなったことに気づくようならいいのですが、それがなかなか。内の中の自分は、外から見えない。外の自分も見えない。自分の内ですら、果たして見えているのか。おおぼつかないところですからね。
「かって」の私がそう。恥ずかしながら自分でまったく知らずして内弁慶、天狗になっていました。自分だけの世界を作り、それを大きくすることに他を顧みることもなく、外とのリンクを切るあり方をし、ただひたすら忙しくに夢中でした。忙しさを誇り、あらゆる言い訳に使い、それを当然のことと確信していました。まさに天動説論者。「かって」、と書きましたが、今も対して変わったいないのでは。
ただ今、わかったことは、それは誰のせいでもない。私の選択したことだ、ということです。ですから過去の選択に選択に言い訳はせず、それを改め除去し、新しい習慣を作り装填する。大変ですが、この私自身への革新を計っていきます。
遠回りかもしれませんが、やらねばなりません。大変かも知れませんがなさねばなりません。
なぜなら、もちろん私も含めですが、企業経営者に向かって経営革新を説く経営コンサルタン自らが、頑迷でし自らの革新に背を向けるのでは、まさに噴飯ものではないですか。
あの名作、映画「自転車泥棒」の父、子供の前で自転車を泥棒してしまった父のあの情けなさ、辛さ。胸がキューンと痛み始めます。ジキルとハイドならともかく自己矛盾に苦しまずに、自責の念なしに、平気で人様に経営革新、経営革新と、叫び続けることは、私には耐えられないのです。かっこうをつけるようですが、少なくとも、こうした仕事を通じて自己革新が図れれる、この仕事冥利のチャンスを大事にしたいのです。
ありがたいことに、仕事をする限り、仕事を通じて、自己革新を図れる。機会がもてる立場にあるわけですから。その意味で、もっともっと様々なリンクを広げていきたい。生きる世界を広げていきたい。世界の中心でないところで、そんなことを叫んでいるのです。
吸うだけ、吐くだけでは息切れするのは自明の理。呼吸の本質は異質のものとの共生にあります。動物が吐くものを植物が吸う。植物の吐くものを植物が吐くの共存。こうしたリンク、共生の中に生物は生きている。どんな生きものだって,いな生き物以外も共生のリンクにある。一人じゃ生きられないぞ、とか一人で生きてるんじゃないぞ、とか「活かされている」というのは、ここから来ているのだと思います。
ですから広い世界の中で、このちっぽけな自分だって、必要不可欠な存在なんだ、と自らの価値を自ら認めて、胸を張って生きていける。
それはいい。それが講じて、この俺様がいるから、おまえさんも、といったことになると、いかがなものでしょうか。自分の鼻が長く、高くなったことに気づくようならいいのですが、それがなかなか。内の中の自分は、外から見えない。外の自分も見えない。自分の内ですら、果たして見えているのか。おおぼつかないところですからね。
「かって」の私がそう。恥ずかしながら自分でまったく知らずして内弁慶、天狗になっていました。自分だけの世界を作り、それを大きくすることに他を顧みることもなく、外とのリンクを切るあり方をし、ただひたすら忙しくに夢中でした。忙しさを誇り、あらゆる言い訳に使い、それを当然のことと確信していました。まさに天動説論者。「かって」、と書きましたが、今も対して変わったいないのでは。
ただ今、わかったことは、それは誰のせいでもない。私の選択したことだ、ということです。ですから過去の選択に選択に言い訳はせず、それを改め除去し、新しい習慣を作り装填する。大変ですが、この私自身への革新を計っていきます。
遠回りかもしれませんが、やらねばなりません。大変かも知れませんがなさねばなりません。
なぜなら、もちろん私も含めですが、企業経営者に向かって経営革新を説く経営コンサルタン自らが、頑迷でし自らの革新に背を向けるのでは、まさに噴飯ものではないですか。
あの名作、映画「自転車泥棒」の父、子供の前で自転車を泥棒してしまった父のあの情けなさ、辛さ。胸がキューンと痛み始めます。ジキルとハイドならともかく自己矛盾に苦しまずに、自責の念なしに、平気で人様に経営革新、経営革新と、叫び続けることは、私には耐えられないのです。かっこうをつけるようですが、少なくとも、こうした仕事を通じて自己革新が図れれる、この仕事冥利のチャンスを大事にしたいのです。
ありがたいことに、仕事をする限り、仕事を通じて、自己革新を図れる。機会がもてる立場にあるわけですから。その意味で、もっともっと様々なリンクを広げていきたい。生きる世界を広げていきたい。世界の中心でないところで、そんなことを叫んでいるのです。