JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

8月15日

2015-08-15 11:17:38 | 日記
 今日は70回目の終戦記念日です。
 国のために戦ってなくなられた多くの御霊と無差別な爆
弾投下の犠牲でなくなられた多くの一般国民の犠牲者に深
く頭をたれご冥福を祈ります。

 「戦争はしてはならない」は全人類の願いであることは
間違いないはずなのですが、いまだ世界中を見ればいさか
いが続いております。

 振り返って先の大戦の過程を見つめると、三つの段階が
あったという分析があります。
 まず第一段階は昭和12年の日中戦争の始まりです。
 朝鮮半島から満州とその勢力を伸ばした日本がさらに中
国にちょっかいを出して始めた戦争。侵略といわれればそ
の通りでしょう。

 第二段階はアメリカへの宣戦布告、実際は宣戦布告が遅
れて真珠湾のふいうちになりました。
 しかし後にマッカーサーが言ったようにこれは日本の自
衛のための戦争開始だったと私は解釈したいです。
 経済封鎖に軍縮とじわりじわりと周りから固められて日本
をどうしようもない立場に追い込んでいったのはアメリカで
す。
 欧州でナチスドイツがポーランドをはじめ次々と電撃的に
勢力を伸ばしつつあり、イギリスはアメリカの参戦を促すが
戦争には加担しないことを公約して大統領に選ばれたルーズ
ベルトはどうしたらイギリスを助けることができるか苦慮し
たあげく、日本に戦争を仕掛けさせる手を打ったというのが
本当のように思えます。事前の情報で真珠湾から多くの空母
と艦載機を退避させ、温存していたのは事実です。

 そして第三段階はポツダム宣言を受諾した後、満州になだ
れ込んだソ連の思いもしなかった攻撃です。
 ドサクサ紛れに攻め込まれ、敗走しかなかった関東軍と一
般人の悲しい事実です。
 60万人を越えるシベリア抑留。
 山崎豊子の「大地」の第1巻は読むのがつらく感じました。

 日中戦争の相手は後に台湾に追い込まれた蒋介石軍で、当
時は今の中国共産党はまだ揺籃期だったし、朝鮮半島では日
本の占領が続いておりましたから別に戦闘があったわけはな
いことは知っておかねばならないことでしょう。
 中国では戦争がありましたから、一般住民の犠牲も確かに
あったので、日本政府の謝罪があって当然でしょう。

 高校の歴史の時間は時間が足りず、明治時代ぐらいまでし
か教えてくれませんでした。今もあまりそれは変わっていな
いことでしょう。
 しかし昔のことより、現代史のほうが今生きている世界を
考えるとき重要なのではと考えます。長かった昭和史を中心
に教育することは非常に重要なのではと思います。
 先日も昭和40年代生まれの若い人と話しをしましたが、
昭和史を知らないし、話すとものすごく関心を示しておりま
した。


 

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