しまちゃんの愛し糸島ブログ

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オウム真理教の死刑囚が7人死刑に

2018年07月06日 23時35分32秒 | ニュース・テレビ関係

地下鉄サリン事件が起きたとき、僕は東京でデザイナーをしていました。あのサリンが撒かれた朝、千代田線の霞ヶ関駅を、サリンが撒かれる約30分前に僕は通過しました。

千代田線から丸ノ内線が銀座線に乗り換え、銀座のクライアントに、徹夜で仕上げたデザインカンプを届けに行きました。あさイチ届けの約束だったので、家に帰らず届けました。ちょうど仕事が増え始めたころで、仕事に打ち込んでいたころでした。帰りに同じ線で帰ろうとしたら、帰り方面の地下鉄の電車が動いていませんでした。

遠回りで、有楽町から山手線で恵比須駅に戻り、会社に戻りました。そのとき何が起きているか知りませんでした。僕の帰りが少し遅くなっていたのですが、その日はニュースを知ることもなく忙しく過ぎていき、深夜までの作業をしてタクシーで帰宅しました。

翌日同じルートをまた通りました。千代田線の霞が関駅のホームの一番端にたくさんの花が手向けてありました。そこに一人の駅員さんがいて。何があったのか聞くと、なんとかの毒が電車の中で撒かれたとのことでした。その日の午後、ある食堂のテレビで注意して観たニュースで何があったかを初めてちゃんと知りました。

それから、あのホームを通るたび、花がささげられた場所を観ていたのですが、後30分遅い電車に僕が乗っていたらなんて思うことはありませんでした。しかし、それよりずっと日が経って、日野原重明先生のNHKの番組で、聖路加国際病院に地下鉄サリン事件の時、被害者がたくさんの救急車で運び込まれている映像を観て、初めてどれだけ被害が大きかったのかを実感しました。そして、30分遅い電車に僕が乗っていたら、僕も聖路加病院に運び込まれていた患者の一人になっていたかもしれないと、思い始めて、急にぞっとしました。そういえば、僕の友達の(1回だけ会ったことがある)友達がオウムがどうてろこうてろ言っていたけど、彼はどうしているだろうと思いました。大手ゼネコンで優秀な社員で、慶応出だと紹介されました。見かけもよくスーツをぴしゃり決めていました。僕は当時、今と同じくボロボロでした。なんかオウムの集会に行くと美人や可愛い女の人がいっぱいいて楽しいとのことでした。当時僕は仕事に夢中で自分の時間を仕事に費やしていたように思います。その誘いを僕は断りました。その時は何も思いませんでしたが、彼の誘い文句で、ああ俺は可愛い女で釣られるもてない奴だと思われたのかなあと、後で思いました。

ちなみに、当時の僕の上司のディレクターが若かりし日の麻原彰晃が荻窪で近所に住んでいて、いかがわしいお札を路上で売りつけようとしていたのを何度か見かけたと話してくれました。当時麻原はもっと痩せていて、汚かったそうです。近所でも変人で通っていたようです。

さて僕の持っているオウム麻原情報を全部吐き出しました。

やりたいようにやった人の末路が死刑でした。頭のいい奴が洗脳され、我欲がより強い者に支配されるとどうなるかという一つの啓示になったかもしれませんが、格差社会がもっと進むと、テロが革命と呼ばれるようになります。権力者が正義から外れると、革命が起きることを世間は期待します。今の権力者たちの行動は正しくない。このままで済むはずがありません。

僕は新しいリーダーの登場を期待しています。

7人の死刑で何か一つの時代の区切りがついた感じがしますが、何かの始まりのような気もします。

オウム真理教が何をやったのかを、忘れかかっている僕ら大人に、そして、このことを知らない若い世代にしっかり伝えてほしい。マスコミは知的に「人間はこんな残酷なこともできるのだ。」ということを知らせてほしいと心から思いました。

 


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