伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/01/09

2017-01-09 09:50:02 | 一日一章・聖書通読日記
列王紀下 1:1-4
『アハブが死んだ後、モアブはイスラエルにそむいた。 さてアハジヤはサマリヤにある高殿のらんかんから落ちて病気になったので、使者をつかわし、「行ってエクロンの神バアル・ゼブブに、この病気がなおるかどうかを尋ねよ」と命じた。 時に、主の使はテシベびとエリヤに言った、「立って、上って行き、サマリヤの王の使者に会って言いなさい、『あなたがたがエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして行くのは、イスラエルに神がないためか』。 それゆえ主はこう仰せられる、『あなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」。そこでエリヤは上って行った。』

政治的には有能であった王アハブが死ぬと、モアブの国がイスラエルに敵対するようになりました。そしてアハブの跡を継いだアハジヤは、高い展望台から落ちて病気になりました。これらはイスラエルの国威が失墜し始めたことを意味しているように思えます。この後も「昇る」「降りる」などの高さに関する言葉が出てきますが、これらは物理的な高さを意味するだけでなく、国勢や信仰の状態をも示唆しています。彼が高殿から落ちたのは、権力や経済力に任せて高ぶった心を裁かれ、自由の利かない身へと失墜させられたのではないでしょうか。

ところが病気になったアハジヤは、イスラエルの神、主ではなく、エクロンの偶像の神に、病気が癒されるかどうか尋ね求めました。父アハブの影響を受けて熱心な偶像礼拝者であったことを物語っています。そこで神様はエリヤを遣わし、なぜイスラエルの神に御心を求めないのかと問われ、懲らしめを受けても気付かず、主の御前に遜ることをしないアハジヤに、神様は死を宣告します。最後まで罪を悔い改めず、心の高ぶった者の行く末は、永遠の滅びしかありません。私たちはこのような愚かな選択をしてはなりません。

http://bible.com/81/2ki.1.1-4.ja1955

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列王紀下 1:5-8
『使者たちがアハジヤのもとに帰ってきたので、アハジヤは彼らに言った、「なぜ帰ってきたのか」。 彼らは言った、「ひとりの人が上ってきて、われわれに会って言いました、『おまえたちをつかわした王の所へ帰って言いなさい。主はこう仰せられる、あなたがエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようとして人をつかわすのは、イスラエルに神がないためなのか。それゆえあなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」。 アハジヤは彼らに言った、「上ってきて、あなたがたに会って、これらの事を告げた人はどんな人であったか」。 彼らは答えた、「その人は毛ごろもを着て、腰に皮の帯を締めていました」。彼は言った、「その人はテシべびとエリヤだ」。』

思ったよりも使者が早く帰ってきたのを不審に思ったアハジヤは、その理由を問いただしたところ、エリヤが使者たちに主の御言葉を告げたことを悟りました。アハジヤも父アハブのように、自分に都合の悪い不吉な預言ばかりするエリヤを目の仇にしていたことが見て取れます。

私たちも主の御言葉を聞くとき、自分にとって都合の良い、心地よい平安の御言葉ばかり選り好みして聖書を開いてはいないでしょうか。そのような御言葉との接し方は誤りです。むしろ耳の痛い、心にグサリと突き刺さるような鋭い御言葉の剣に自らの信仰を改め、切磋琢磨する機会とするのが正しい御言葉との向き合い方です。

http://bible.com/81/2ki.1.5-8.ja1955

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列王紀下 1:9-10
『そこで王は五十人の長を、部下の五十人と共にエリヤの所へつかわした。彼がエリヤの所へ上っていくと、エリヤは山の頂にすわっていたので、エリヤに言った、「神の人よ、王があなたに、下って来るようにと言われます」。 しかしエリヤは五十人の長に答えた、「わたしがもし神の人であるならば、火が天から下って、あなたと部下の五十人とを焼き尽すでしょう」。そのように火が天から下って、彼と部下の五十人とを焼き尽した。』

不幸を告げ知らせるエリヤの預言に怒ったアハジヤは、50人隊長を遣わして、自分の所に来いと命じました。50人隊長は口では「神の人よ」と言っていますが、心の中では神様よりも王の命令の方が上位にあると思っていました。しかしエリヤは、上から目線のアハジヤと50人隊長の命令に対して、もし自分が神の人であるならば、自分がアハジヤの元に下るかわりに天から火が下ると答え、50人隊長とその部下はたちまち天からの火で焼き尽くされてしまいました。

私たちがの心の中では、神様が最上位におられるでしょうか。もし神様以外のもの、権力や経済力、この世の栄誉や快楽、趣味などが神様よりも上位に位置するようであれば、私たちもまた心を改めなければなりません。

http://bible.com/81/2ki.1.9-10.ja1955

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列王紀下 1:13-14
『王はまた第三の五十人の長を部下の五十人と共につかわした。第三の五十人の長は上っていって、エリヤの前にひざまずき、彼に願って言った、「神の人よ、どうぞ、わたしの命と、あなたのしもべであるこの五十人の命をあなたの目に尊いものとみなしてください。 ごらんなさい、火が天からくだって、さきの五十人の長ふたりと、その部下の五十人ずつとを焼き尽しました。しかし今わたしの命をあなたの目に尊いものとみなしてください」。』

エリヤの元に遣わした50人隊長と部下たちが天からの火で滅ぼされたことを聞いても、アハジヤは態度を改めることをせず、エリヤを連行するために合計3度も50人隊長を派遣しました。2回目の50人隊長も最初の者と同様に高圧的にエリヤに接したため天からの火で滅ぼされてしまいましたが、3回目に遣わされた50人隊長はエリヤの前に遜り、先に遣わされた者のように滅ぼさないでくださいと懇願しました。

私たちは人である以上、失敗は付き物ですが、この3回目に遣わされた50人隊長のように、過去の失敗から賢く学び、自らのいのちを救うために神様の御前に遜ることが肝要です。

http://bible.com/81/2ki.1.13-14.ja1955

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列王紀下 1:15-17
『その時、主の使はエリヤに言った、「彼と共に下りなさい。彼を恐れてはならない」。そこでエリヤは立って、彼と共に下り、王のもとへ行って、 王に言った、「主はこう仰せられます、『あなたはエクロンの神バアル・ゼブブに尋ねようと使者をつかわしたが、それはイスラエルに、その言葉を求むべき神がないためであるか。それゆえあなたは、登った寝台から降りることなく、必ず死ぬであろう』」。 彼はエリヤが言った主の言葉のとおりに死んだが、彼に子がなかったので、その兄弟ヨラムが彼に代って王となった。これはユダの王ヨシャパテの子ヨラムの第二年である。』

3度目に遣わされた50人隊長の遜った姿を見て、神様はエリヤに、彼と共にアハジヤの元に下るようにと命じられました。しかし態度を改めないアハジヤに対する神様の裁きは変わりませんでした。エリヤはアハジヤの前で、王を恐れることなく、主から託された預言をそのまま語りました。イスラエルの神、主に頼らずわ異国の偶像の神々に頼ったアハジヤは、エリヤの言葉の通り、たった2年間の治世で世を去ることとなりました。

治世が長く続かず、王位も自分の子どもに継がせることができなかったのは、当時の考え方では祝福されない生涯とみなされます。父アハブとは異なり最後まで主の御前に遜ることなく、偶像の神々を信奉したために哀れな結末を迎えたアハジヤの短い生涯は、後の世代の人々への教訓でもあります。私たちはこのような生き方を反面教師として、まことの神様に寄り頼んで信仰の実を結び、次の世代へと確実に受け継ぐことのできる、勝利と祝福の人生を歩ませていただきたいと願います。

http://bible.com/81/2ki.1.15-17.ja1955
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【今日の聖句】 2017/01/09

2017-01-09 06:50:40 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 15:7
「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」

洗面台で蛇口をひねると水が出るのは、水道管につながっているからです。私たちの祈り願いも同様に、主につながっていなければ与えられません。神様という源泉から湧き上がるいのちの御言葉に満たされ、御心に適うきよい願望を叶えていただく恵みに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.15.7.ja1955
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