列王紀下 22:1-2
「ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年の間、世を治めた。母はボヅカテのアダヤの娘で、名をエデダといった。 ヨシヤは主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった。」
南ユダ王国は、主に聞き従う善王と、主に逆らい偶像礼拝を行う悪王が交互に出てくる、不思議な歴史をたどります。これは黙示録に記されている世の終わりの兆候にも似ているように思えます。善王ヒゼキヤの後、南ユダ王国を偶像礼拝とあらゆる罪で満たした悪王マナセとアモンを経て、再び主に全き心で聞き従うヨシヤ王が立てられました。ヨシヤは幼くして王となりましたが、主の目に適うことを行い、ダビデのような心で右にも左にも曲がらない信仰の持ち主でした。世の終わりに必要なものは、世の罪に染まることなく主の御言葉を忠実に守り行うきよい信仰です。
http://bible.com/81/2ki.22.1-2.ja1955
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列王紀下 22:3-5, 7
『ヨシヤ王の第十八年に王はメシュラムの子アザリヤの子である書記官シャパンを主の宮につかわして言った、 「大祭司ヒルキヤのもとへのぼって行って、主に宮にはいってきた銀、すなわち門を守る者が民から集めたものの総額を彼に数えさせ、 それを工事をつかさどる主の宮の監督者の手に渡させ、彼らから主の宮で工事をする者にそれを渡して、宮の破れを繕わせなさい。
…
ただし彼らは正直に事を行うから、彼らに渡した銀については彼らと計算するに及ばない」。』
ヨシヤ王が成人し、その治世が確立したとき、マナセ王によって荒らされた主の宮の修復に取りかかりました。主イエス様の十字架を信じて救われても、心の中にある主の宮は罪の生活で荒らされたままになっていないでしょうか。私たちは自分の生活が安定すればそれで良しとする利己的な自己満足に陥ることなく、主の御名が置かれる教会と、自らの心の内に住まう聖霊様の留まる主の宮を繕い、守り続けなければなりません。
そして宮大工たちはヨアシ王の神殿修復のときと変わらず、経費を偽ることなく正直に仕事をしました。私たちも神様の御前に誠実に歩み、主から全幅の信頼を寄せられる信仰生活を送る者でありたいと願います。
http://bible.com/81/2ki.22.3-5,7.ja1955
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列王紀下 22:8
『その時大祭司ヒルキヤは書記官シャパンに言った、「わたしは主の宮で律法の書を見つけました」。そしてヒルキヤがその書物をシャパンに渡したので、彼はそれを読んだ。』
ヨシヤ王の神殿修復の際に、主の宮からモーセの律法の書が発見されました。これはおそらくレビ記か申命記ではないかといわれています。驚くべきことは、神の国であるイスラエルで、それまで長い間、律法の書がその存在すら知られないまま放置されていたことです。私たちにとっても、聖書は持っていても、読まずに本棚に積まれたまま、あるいは鞄の中に入りっ放しになっていては、それこそ宝の持ち腐れです。私たちは生ける神の御言葉である聖書を、もっと真剣に読まなければなりません。
http://bible.com/81/2ki.22.8.ja1955
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列王紀下 22:8, 11-13
『王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。 そして王は祭司ヒルキヤと、シャパンの子アヒカムと、ミカヤの子アクボルと、書記官シャパンと、王の大臣アサヤとに命じて言った、 「あなたがたは行って、この見つかった書物の言葉について、わたしのため、民のため、またユダ全国のために主に尋ねなさい。われわれの先祖たちがこの書物の言葉に聞き従わず、すべてわれわれについてしるされている事を行わなかったために、主はわれわれにむかって、大いなる怒りを発しておられるからです」。』
律法の書を読み聞かされたヨシヤ王は、その場で衣を引き裂いて悔い改め、主の御心を尋ね求めるために、祭司と、家臣と、国政を司る重鎮たちを、直ちに預言者の下に遣わしました。聖書の御言葉は聞く者に霊的覚醒をもたらす力があります。御言葉を聞いたならば直ちに悔い改め、主の御心を尋ね、憐れみを乞い求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/2ki.22.11-13.ja1955
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列王紀下 22:14-17
「そこで祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャパンおよびアサヤはシャルムの妻である女預言者ホルダのもとへ行った。シャルムはハルハスの子であるテクワの子で、衣装べやを守る者であった。その時ホルダはエルサレムの下町に住んでいた。彼らがホルダに告げたので、 ホルダは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられます、『あなたがたをわたしにつかわした人に言いなさい。 主はこう言われます、見よ、わたしはユダの王が読んだあの書物のすべての言葉にしたがって、災をこの所と、ここに住んでいる民に下そうとしている。 彼らがわたしを捨てて他の神々に香をたき、自分たちの手で作ったもろもろの物をもって、わたしを怒らせたからである。それゆえ、わたしはこの所にむかって怒りの火を発する。これは消えることがないであろう』。」
女預言者ホルダは、ヨシヤ王から遣わされた国の要人たちに、マナセ王の悪行によって決定的となったユダ王国に対する裁きは変わらないことを告げました。ここで重要なことは、神様はその人の社会的地位や階級、貧富の差、性別に関係なく、へりくだって主の御言葉に聞き従う者を用いられるということです。自分の置かれた立場に安住することなく、常にへりくだった心で神様の権威の前にひざまづく私たちでありますように。
http://bible.com/81/2ki.22.14-17.ja1955
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列王紀下 22:18-20
「ただし主に尋ねるために、あなたがたをつかわしたユダの王にはこう言いなさい、『あなたが聞いた言葉についてイスラエルの神、主はこう仰せられます、 あなたは、わたしがこの所と、ここに住んでいる民にむかって、これは荒れ地となり、のろいとなるであろうと言うのを聞いた時、心に悔い、主の前にへりくだり、衣を裂いてわたしの前に泣いたゆえ、わたしもまたあなたの言うことを聞いたのであると主は言われる。 それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは安らかに墓に集められ、わたしがこの所に下すもろもろの災を目に見ることはないであろう』」。彼らはこの言葉を王に持ち帰った。
女預言者ホルダは、律法の書を読んで悔い改め、直ちに神様の御心を問うために重臣たちを遣わしたヨシヤ王に対して、ユダの国に対する裁きはその治世の間はとどめることを約束されました。神様はへりくだって主の御言葉に聞き従う者に対しては裁きを行われない、憐れみ深いお方です。
http://bible.com/81/2ki.22.18-20.ja1955
「ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年の間、世を治めた。母はボヅカテのアダヤの娘で、名をエデダといった。 ヨシヤは主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった。」
南ユダ王国は、主に聞き従う善王と、主に逆らい偶像礼拝を行う悪王が交互に出てくる、不思議な歴史をたどります。これは黙示録に記されている世の終わりの兆候にも似ているように思えます。善王ヒゼキヤの後、南ユダ王国を偶像礼拝とあらゆる罪で満たした悪王マナセとアモンを経て、再び主に全き心で聞き従うヨシヤ王が立てられました。ヨシヤは幼くして王となりましたが、主の目に適うことを行い、ダビデのような心で右にも左にも曲がらない信仰の持ち主でした。世の終わりに必要なものは、世の罪に染まることなく主の御言葉を忠実に守り行うきよい信仰です。
http://bible.com/81/2ki.22.1-2.ja1955
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列王紀下 22:3-5, 7
『ヨシヤ王の第十八年に王はメシュラムの子アザリヤの子である書記官シャパンを主の宮につかわして言った、 「大祭司ヒルキヤのもとへのぼって行って、主に宮にはいってきた銀、すなわち門を守る者が民から集めたものの総額を彼に数えさせ、 それを工事をつかさどる主の宮の監督者の手に渡させ、彼らから主の宮で工事をする者にそれを渡して、宮の破れを繕わせなさい。
…
ただし彼らは正直に事を行うから、彼らに渡した銀については彼らと計算するに及ばない」。』
ヨシヤ王が成人し、その治世が確立したとき、マナセ王によって荒らされた主の宮の修復に取りかかりました。主イエス様の十字架を信じて救われても、心の中にある主の宮は罪の生活で荒らされたままになっていないでしょうか。私たちは自分の生活が安定すればそれで良しとする利己的な自己満足に陥ることなく、主の御名が置かれる教会と、自らの心の内に住まう聖霊様の留まる主の宮を繕い、守り続けなければなりません。
そして宮大工たちはヨアシ王の神殿修復のときと変わらず、経費を偽ることなく正直に仕事をしました。私たちも神様の御前に誠実に歩み、主から全幅の信頼を寄せられる信仰生活を送る者でありたいと願います。
http://bible.com/81/2ki.22.3-5,7.ja1955
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列王紀下 22:8
『その時大祭司ヒルキヤは書記官シャパンに言った、「わたしは主の宮で律法の書を見つけました」。そしてヒルキヤがその書物をシャパンに渡したので、彼はそれを読んだ。』
ヨシヤ王の神殿修復の際に、主の宮からモーセの律法の書が発見されました。これはおそらくレビ記か申命記ではないかといわれています。驚くべきことは、神の国であるイスラエルで、それまで長い間、律法の書がその存在すら知られないまま放置されていたことです。私たちにとっても、聖書は持っていても、読まずに本棚に積まれたまま、あるいは鞄の中に入りっ放しになっていては、それこそ宝の持ち腐れです。私たちは生ける神の御言葉である聖書を、もっと真剣に読まなければなりません。
http://bible.com/81/2ki.22.8.ja1955
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列王紀下 22:8, 11-13
『王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。 そして王は祭司ヒルキヤと、シャパンの子アヒカムと、ミカヤの子アクボルと、書記官シャパンと、王の大臣アサヤとに命じて言った、 「あなたがたは行って、この見つかった書物の言葉について、わたしのため、民のため、またユダ全国のために主に尋ねなさい。われわれの先祖たちがこの書物の言葉に聞き従わず、すべてわれわれについてしるされている事を行わなかったために、主はわれわれにむかって、大いなる怒りを発しておられるからです」。』
律法の書を読み聞かされたヨシヤ王は、その場で衣を引き裂いて悔い改め、主の御心を尋ね求めるために、祭司と、家臣と、国政を司る重鎮たちを、直ちに預言者の下に遣わしました。聖書の御言葉は聞く者に霊的覚醒をもたらす力があります。御言葉を聞いたならば直ちに悔い改め、主の御心を尋ね、憐れみを乞い求める私たちでありますように。
http://bible.com/81/2ki.22.11-13.ja1955
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列王紀下 22:14-17
「そこで祭司ヒルキヤ、アヒカム、アクボル、シャパンおよびアサヤはシャルムの妻である女預言者ホルダのもとへ行った。シャルムはハルハスの子であるテクワの子で、衣装べやを守る者であった。その時ホルダはエルサレムの下町に住んでいた。彼らがホルダに告げたので、 ホルダは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう仰せられます、『あなたがたをわたしにつかわした人に言いなさい。 主はこう言われます、見よ、わたしはユダの王が読んだあの書物のすべての言葉にしたがって、災をこの所と、ここに住んでいる民に下そうとしている。 彼らがわたしを捨てて他の神々に香をたき、自分たちの手で作ったもろもろの物をもって、わたしを怒らせたからである。それゆえ、わたしはこの所にむかって怒りの火を発する。これは消えることがないであろう』。」
女預言者ホルダは、ヨシヤ王から遣わされた国の要人たちに、マナセ王の悪行によって決定的となったユダ王国に対する裁きは変わらないことを告げました。ここで重要なことは、神様はその人の社会的地位や階級、貧富の差、性別に関係なく、へりくだって主の御言葉に聞き従う者を用いられるということです。自分の置かれた立場に安住することなく、常にへりくだった心で神様の権威の前にひざまづく私たちでありますように。
http://bible.com/81/2ki.22.14-17.ja1955
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列王紀下 22:18-20
「ただし主に尋ねるために、あなたがたをつかわしたユダの王にはこう言いなさい、『あなたが聞いた言葉についてイスラエルの神、主はこう仰せられます、 あなたは、わたしがこの所と、ここに住んでいる民にむかって、これは荒れ地となり、のろいとなるであろうと言うのを聞いた時、心に悔い、主の前にへりくだり、衣を裂いてわたしの前に泣いたゆえ、わたしもまたあなたの言うことを聞いたのであると主は言われる。 それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは安らかに墓に集められ、わたしがこの所に下すもろもろの災を目に見ることはないであろう』」。彼らはこの言葉を王に持ち帰った。
女預言者ホルダは、律法の書を読んで悔い改め、直ちに神様の御心を問うために重臣たちを遣わしたヨシヤ王に対して、ユダの国に対する裁きはその治世の間はとどめることを約束されました。神様はへりくだって主の御言葉に聞き従う者に対しては裁きを行われない、憐れみ深いお方です。
http://bible.com/81/2ki.22.18-20.ja1955