列王紀下 2:1-3
『主がつむじ風をもってエリヤを天に上らせようとされた時、エリヤはエリシャと共にギルガルを出て行った。 エリヤはエリシャに言った、「どうぞ、ここにとどまってください。主はわたしをベテルにつかわされるのですから」。しかしエリシャは言った、「主は生きておられます。またあなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません」。そして彼らはベテルへ下った。ベテルにいる預言者のともがらが、エリシャのもとに出てきて彼に言った、「主がきょう、あなたの師事する主人をあなたから取られるのを知っていますか」。彼は言った、「はい、知っています。あなたがたは黙っていてください」。』
エリヤが主によって天に上げられようとするとき、エリシャは一人で出て行こうとするエリヤから片時も離れずについて行きました。預言者の仲間たちがエリヤが主に取られることを知って助言しましたが、それでもエリシャは黙ってエリヤについて行きました。私たちもまた主の側から離れることなく、最後まで忠実に従い通す主の僕でありたいと願います。
http://bible.com/81/2ki.2.1-3.ja1955
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列王紀下 2:7-10
『預言者のともがら五十人も行って、彼らにむかって、はるかに離れて立っていた。彼らふたりは、ヨルダンのほとりに立ったが、 エリヤは外套を取り、それを巻いて水を打つと、水が左右に分れたので、ふたりはかわいた土の上を渡ることができた。 彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。エリシャは言った、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。 エリヤは言った、「あなたはむずかしい事を求める。あなたがもし、わたしが取られて、あなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見ないならば、そのようにはならない」。』
ヨルダン川の水を分けて渡り、エリシャと二人きりになったエリヤは、まさに天に上げられようとするときに何を求めるかと尋ねたところ、エリシャはエリヤの2倍の霊を求めました。私たちはこの世的な貪欲には気を付けなければなりませんが、こと霊的な求めに関してだけは、エリシャのように貪欲であるべきです。
しかし霊的な賜物が与えられるかどうかは神様の領域であり、いかに偉大な預言者とはいえ人に過ぎないエリヤが決めることのできないものです。エリヤはエリシャに、自分が主に取られるところを見るならば与えられるであろうと答えるにとどめました。霊的な目が開かれていない者には、主の霊は注がれません。すべてを主に委ねるエリヤの謙虚さと共に、神様の領域には決して立ち入らない言動も私たちは身に付ける必要があります。
http://bible.com/81/2ki.2.7-10.ja1955
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列王紀下 2:11-14
『彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。 エリシャはこれを見て「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、再び彼を見なかった。そこでエリシャは自分の着物をつかんで、それを二つに裂き、 またエリヤの身から落ちた外套を取り上げ、帰ってきてヨルダンの岸に立った。 そしてエリヤの身から落ちたその外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言い、彼が水を打つと、水は左右に分れたので、エリシャは渡った。』
エリシャがしばらくエリヤと共に歩んでいると、主が火の車と火の馬をもってエリヤを迎え、つむじ風によって天に上げられるところを見ました。しかしエリヤはあっという間に天に上げられて再び見ることができなくなり、ただ彼の外套だけが残されました。エリシャは今まで身に付けていた自分の外套を裂き、たった一つ残されたエリヤの外套を取ってヨルダン川を打つと、エリヤが行ったように川の水が二つに分かれて乾いた地を渡ることができました。
砂漠気候のイスラエルでは外套は命の次に大事なもので、モーセの律法にも決して質草にとってはならないものとされています。自分の外套を捨ててエリヤの外套を取ったエリシャの行為は、古い自分に死に、新しい霊的な人と生まれ変わったことを意味しているのではないでしょうか。そしてヨルダン川を二つに分けて通ったこともまた、モーセの出エジプトと、ヨシュアのヨルダン徒渉、そして洗礼をも意味しているのではないかと思います。エリシャはエリヤから主の霊を受け継ぎ、新しい、きよめられた者と変えられたのです。私たちもまた洗礼を授かり、主の霊を受けて罪きよめられた者として相応しい新しい人生を歩む者でありたいと願います。
http://bible.com/81/2ki.2.11-14.ja1955
『主がつむじ風をもってエリヤを天に上らせようとされた時、エリヤはエリシャと共にギルガルを出て行った。 エリヤはエリシャに言った、「どうぞ、ここにとどまってください。主はわたしをベテルにつかわされるのですから」。しかしエリシャは言った、「主は生きておられます。またあなたも生きておられます。わたしはあなたを離れません」。そして彼らはベテルへ下った。ベテルにいる預言者のともがらが、エリシャのもとに出てきて彼に言った、「主がきょう、あなたの師事する主人をあなたから取られるのを知っていますか」。彼は言った、「はい、知っています。あなたがたは黙っていてください」。』
エリヤが主によって天に上げられようとするとき、エリシャは一人で出て行こうとするエリヤから片時も離れずについて行きました。預言者の仲間たちがエリヤが主に取られることを知って助言しましたが、それでもエリシャは黙ってエリヤについて行きました。私たちもまた主の側から離れることなく、最後まで忠実に従い通す主の僕でありたいと願います。
http://bible.com/81/2ki.2.1-3.ja1955
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列王紀下 2:7-10
『預言者のともがら五十人も行って、彼らにむかって、はるかに離れて立っていた。彼らふたりは、ヨルダンのほとりに立ったが、 エリヤは外套を取り、それを巻いて水を打つと、水が左右に分れたので、ふたりはかわいた土の上を渡ることができた。 彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。エリシャは言った、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。 エリヤは言った、「あなたはむずかしい事を求める。あなたがもし、わたしが取られて、あなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見ないならば、そのようにはならない」。』
ヨルダン川の水を分けて渡り、エリシャと二人きりになったエリヤは、まさに天に上げられようとするときに何を求めるかと尋ねたところ、エリシャはエリヤの2倍の霊を求めました。私たちはこの世的な貪欲には気を付けなければなりませんが、こと霊的な求めに関してだけは、エリシャのように貪欲であるべきです。
しかし霊的な賜物が与えられるかどうかは神様の領域であり、いかに偉大な預言者とはいえ人に過ぎないエリヤが決めることのできないものです。エリヤはエリシャに、自分が主に取られるところを見るならば与えられるであろうと答えるにとどめました。霊的な目が開かれていない者には、主の霊は注がれません。すべてを主に委ねるエリヤの謙虚さと共に、神様の領域には決して立ち入らない言動も私たちは身に付ける必要があります。
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列王紀下 2:11-14
『彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。 エリシャはこれを見て「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、再び彼を見なかった。そこでエリシャは自分の着物をつかんで、それを二つに裂き、 またエリヤの身から落ちた外套を取り上げ、帰ってきてヨルダンの岸に立った。 そしてエリヤの身から落ちたその外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言い、彼が水を打つと、水は左右に分れたので、エリシャは渡った。』
エリシャがしばらくエリヤと共に歩んでいると、主が火の車と火の馬をもってエリヤを迎え、つむじ風によって天に上げられるところを見ました。しかしエリヤはあっという間に天に上げられて再び見ることができなくなり、ただ彼の外套だけが残されました。エリシャは今まで身に付けていた自分の外套を裂き、たった一つ残されたエリヤの外套を取ってヨルダン川を打つと、エリヤが行ったように川の水が二つに分かれて乾いた地を渡ることができました。
砂漠気候のイスラエルでは外套は命の次に大事なもので、モーセの律法にも決して質草にとってはならないものとされています。自分の外套を捨ててエリヤの外套を取ったエリシャの行為は、古い自分に死に、新しい霊的な人と生まれ変わったことを意味しているのではないでしょうか。そしてヨルダン川を二つに分けて通ったこともまた、モーセの出エジプトと、ヨシュアのヨルダン徒渉、そして洗礼をも意味しているのではないかと思います。エリシャはエリヤから主の霊を受け継ぎ、新しい、きよめられた者と変えられたのです。私たちもまた洗礼を授かり、主の霊を受けて罪きよめられた者として相応しい新しい人生を歩む者でありたいと願います。
http://bible.com/81/2ki.2.11-14.ja1955