お盆が終わった。
停止した時間が動き始めた感がある。
お盆の時期は、78年前の大戦終結と重なって、平和を考える記事が新聞やテレビで特集されていた。
そのなかで「異様」さを放っていたのが産経、読売だ。
「首相は核抑止の重要性語れ」(産経)「抑止力強化が侵略を未然に防ぐ」(読売)という社説が。
ともに「憲法改正」を主張している新聞だ。
広島、長崎の両市長は「核抑止」を批判した。
岸田首相は「広島ビジョン」を持ち上げ、アメリカの追随した「核抑止」を正当化している。
あなたの心に「嫌韓・嫌中」がないだろうか。あればメディアが作り出した幻影だ。
「嫌韓・嫌中」の広がりとともに「他民族蔑視」につながる流れが強められている。同時に「日本が攻められる、攻撃される」という不安感の増幅とともに、「防衛」の名のもとに「大軍拡」が進められている。
まさに78年前の「戦前」に似ていないか。
自民党や公明党の先輩たちが、軍事独裁政権を支え、国民の戦争協力へ、マスコミとともにあおった歴史を彷彿とさせる。
しかし違うのは、戦争の「悲惨さ」を伝えるメディアがあり、とりわけ反戦を100年以上貫いてきた日本共産党が、国会や地方議会でがんばっている。
メディアではまだまだ少ないが「加害」の事実を紹介している。
侵略国は、必ず「腐敗・退廃」化していく。今のロシアが良い例だ。
ベトナム戦争当時のアメリカも麻薬などが蔓延していった。
日本国民310万人、アジア2000万人、世界では6000万人ともいわれる途方もない人命を失った第二次世界大戦。そこから生まれたのが「国連憲章」であり「日本国憲法」だ。
ここに立ち返ることこそ必要なことではないか。
今、ロシアのウクライナ侵略に端をはっして、経済と軍事ブロックが頭をもたげている。
メディアもロシア・中国の艦船や爆撃機が通過したと報道している。
相手国からみれば、日米の軍事演習が脅威を受けていると。
日本はアメリカの戦争に協力する体制に着々と進めている。
経済までも「軍事」優先、軍事支配につきすすんでいる。
「防衛」という言葉ですべてが口をつぐむ事態は危険だ。
この政治の流れを変えること。
そのためにこそ「市民と野党共闘」の再強化、小選挙区制のもとでの野党候補の一本化という流れが必要だ。