昨日、1995年の日経連の打ち出した「新時
代の日本的経営」にふれたが、「労働力の
流動化」に、もう少しふれたい。
この提言では、労働者を三つのグループに
分けていく考えを示している。
・長期蓄積能力活用型グループ
・高度専門能力活用型グループ
・雇用柔軟型グループ
その後の流れはご存知のとおりだ。
3番目の雇用柔軟型が「非正規」を大量に
生みだし、格差と貧困を拡大させていった
からだ。自公政治が、法律を変えて見事に
応えていった。
もうひとつ、これに対応する人材、いわば
教育も変えていった。
同じごろ教育提言も行った。当時、これに
は私も驚いた。
子どもたちを「天才・鬼才・秀才・凡才」
と区分けし、必要なのは天才を見つけ出す
ことであり、凡才はそれなりの教育で従順
な労働者になってもらえという、とんでも
ない教育論であった。
すべての人間の可能性を否定し、ただ資本
にとって利益をもたらすかどうかを尺度に
して人間を分類する、非人間的な教育観だ。
この時から、教育の格差と教育現場の疲弊
がひどくなっていった。
当然に、自由と民主主義も後退していった。
安倍首相の考え方は、極端な財界最優先・
アメリカ最優先だ。国民の生活を顧みない。
憲法9条改正まで、あらゆる禁じ手まで使っ
て。その後は「野となれ山となれ」の状況
を作っている。
このままでは、日本が壊される。