佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

西区の庭(靭公園)5

2020-04-25 19:07:23 | 日々の思い

今年2番目の靭公園の花開いた2つの薔薇

季節は正直です、ポツリポツリと花は咲いてくるようです

蕾がまだ見えてないようなバラの木もたくさんありますが

これから一気に咲いてくるのでしょうか、

公園を歩いて今年2番目の花を見つけましたので見てもらいます

同じ枝でもまだ一部ですが

 

スパニッシュ ビューテイ(スペイン)

 

 

 

ツルマリアカラス (フランス)

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私の釣り日記(釣り三昧)小笠原その2-2

2020-04-24 19:29:27 | 釣り

昨日の続き

この小笠原には今回が4回目になるのかな、一番初めの時に帰るときに台風に会い大変な目にも

合ったのにも関わらず、よく何度も来たものです、釣り師ほど性懲りもなくというのがあてはまるのかも

しれないなー、と思いました。

この最初の時に東京の初芝桟橋を出て南に1000キロ、途中伊豆7島を過ぎると、次は青ヶ島、そしてベヨネーズ列岩

そして鳥島をすぎ、聟島列島、嫁島父島、母島、妹島、姉島につづきその先に硫黄島があります。

伊豆7島を過ぎるともう一切の船も見えない航海です、夕方に出船するのですから翌朝目が覚めてからは、

四方海しか見えない、そして船の影もない航路です、お昼過ぎに突然甲板場が騒ぎ出したので何事かと見たら

潜水艦が浮上してきていたのです、退屈していた私たちには、なんだなんだという感じ映画では見るが実際に

浮上してくるのを見るのは初めて、潜水艦の浮上と潜水までの楽しみでした。

友達に話すと42時間もかけてよういくなーと、なぜ飛行機で行かないのという、だれもがそういうのですが

戦地中は確かにあったそうですが今は使用できなくなっているという、逆にいまは不便な方が人がドット

押し寄せなくてよいのではないだろうか、緊急時は硫黄島の自衛隊の基地からヘリが来るという、

出なければ日本の最後の楽園と言われるところもあっという間にただの観光地となり果てるであろう

めったに来れない釣りの別天地であるからこそ不便なままでいいのでしょう?

先にも話しましたが、この大きな船から迎えに来る遠洋の航海の漁船に乗り移り、その船から再度小舟をおろして

乗り換えて磯近くまで行ってもらい磯際に止めた小舟から飛び亘るという危ないことをするのです、今の各地にある

渡船のように磯に押しつけるなどはしてくれません、釣具を放り投げておいて飛ぶか泳ぐかです。

この当時は若い者しか磯渡りできませんでした、(わたくしも若かったのです)

ただ上がりさえすれば大物が入れ食いします、仕掛けを投入したものから順に竿を抱えてたすけてくれと応援を

求めてるという状態です、低い磯の小穴にいるイイダコ?を捕まえて、それをエサとして釣ることもできた。

このように楽しい釣りの楽園でしたが、1度などはの海が荒れてきて磯から小舟に渡り、それから漁船に

のり移ったのは良かったのですが本船に帰るまでに酔ってしまい大揺れの胴の間にうつぶせになったまま動けず、

頭の上からザンブザンブと波をかぶって死んだようになって身動きができない目にもあった。

それまでして何故釣りに行くのかと・・・その時はもう2度と行かないと思って帰ってきているが、日にちが立つと

いい釣りだけが思い出してまた行きたくなる、そこに魚がいるからだ!と・・・・

いい思い出だけの魚拓が今も我が家の玄関に飾ってあります。

追伸・・亡き中井戸嘉彦さんの事、

    11PMの大阪支部長をされていて私の当時の大阪府釣り連盟の顧問もしていただいていた。

    世界をまたにかけて服部さんと釣り歩かれていた、温厚な方でした、中井戸さんのお家にも

    行かせてもらい美しい宝塚出の奥さんにも合わせてもらいました。

    その時にいただいた思い出の品、手塚治虫コレクションの近畿版ふみカード(今はもう手に入らないと思います)

    と、中井戸さんの名前入りのウキ

 

 

 

 

 

 

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私の釣り日記(釣り三昧)

2020-04-23 18:32:13 | 釣り

小笠原釣行記 その2-1

1972年11月、夕暮れ迫る神戸中央突堤に白い船体が繫がれた、にほん丸(3000トン)に乗船した時は、これから又

小笠原に釣りに行けるのだ!という思いだけで心がときめき胸がわくわくしている。

過去に3度も釣行しているのに、この実感はいつにもなく新鮮である。

11PM、大阪支部長の中井戸さんに服部名人、名古屋の大物釣り師の井ノ口さん、関東の大竹さんと言ったメンバーに

11pmの撮影陣も乗り込んで、小笠原の釣りの撮影にドラの音とともに一路小笠原へと1000キロの船旅に・・・

小雨けむる母島沖に停泊したのは、神戸を出て40数時間たった早朝であった。

迎えに来てくれるはずの小笠原漁協の神徳丸がなかなか来なくて3時間ほど待たされて釣り人のむくれる事しばし、

いつもながらここの段取りの悪いことは先刻ご承知ではあるが、観光客と墓参りのメンバーはのんびりと、島を眺めて

迎えの船を待っている。

磯上りは船の中でグループ分けしてあったので私は京都、姫路、神戸のメンバーと5人一組となって、こさめが少し

止みかけたころに磯上りした。

そして各人が思い想いの場所に分かれて、仕掛けつくりにかかった、私の仕掛けは、竿がオリンピックの大鵬に

リールはペンの68に道糸はトトの60号、ハリス、ワイヤーの33番7本より、そしてハリは、がまのネムリ32号と

ある程度の魚なら対応ができるつもり、エサは持参のイカの1匹刺しという大物狙いの仕掛けである。

それでは第1投と紺碧の海に投げ込んだ、その餌が海底に着くのを待ちかねたように一気に竿が舞い込んだ。

まずは1番乗りと両隣に声をかけて、竿を立ながら、ポンピングの要領で巻き上げた、第1号は南方に多い70センチクラスの

アカダイであった。この小笠原に多いのは、アカダイ、バラハタ、タマミ、クエの類で、その他、上物仕掛けには

ヒラアジ、カンパチの類が多く釣れるのだが一番いやなサメ類も多い。

この小笠原が米国より返還されて、墓参の船がここに来れるようになり、それに釣り人が便乗出来て、多くの釣り人が

この別世界に来れるようになった。

 

 

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西区の庭(靭公園)4

2020-04-22 19:21:47 | 日々の思い

沢山ある靭の薔薇今はまだ蕾です

 

 

 

 

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だぼ鯊の戯言(たわごと)八木禧昌作

2020-04-21 19:45:50 | 釣り

釣り界の文壇での八木さんのことは多くの皆さんがご存じと思いますが、

知らない方はこの世界の潜りと言わざるを得ない。

この、だぼ鯊の戯言(たわごと)は長く全関西の機関紙いそつりに書かれていたものです、

当時の会員さんは読まれておられたことと思いますが、もっと一般の方々にも読んでもらいたく

八木さんの許可を得て掲載しているものです。

今回は以前私も書かせてもらった、伝説の人、豊中の森岡氏の話です。

「けんもん」はUMA

 

八木禧昌

 

 

だぼ鯊の戯言(たわごと)⑦

八木禧昌

 

 釣りはロマン…言い古されたフレーズです。到底叶えられそうにない夢や冒険にあこがれるのがロマンとすれば、クエやイシダイの超大物を追い続ける「磯釣野郎」の心意気もまたロマン以外の何物でもないでしょう。と言えば、全関西磯釣連盟屈指のロマン男、伝説の離島遠征釣り師・故森岡秀泰(治)さん=OAC=を措いては語れません。でも、ちょっとお待ちを。森岡さんのロマンの対象は「魚」にとどまらなかった、と言うのが今回のお話です。

 

「けんもん」はUMA

 

 森岡さんは類希なる強靭な精神力と実行力の持ち主でクエ、イシダイ釣り師の夢=全日本無人島岩礁処女登磯=をロマンに終わらせず、およそ十年の歳月をかけ自らの手で現実に手繰り寄せた荒磯界の、言うならばラストサムライ。

その彼をして、九三歳で生涯を閉じるまで、捉えようとしても、スルリと手から抜け、なかなか現れず、容易に近づけなかったのが奄美大島に棲む謎の生物「けんもん」だったのです。

森岡さんが、けんもんを知ったのは民俗学者柳田國男の著書「日本の妖怪」で「奄美大島の妖怪、眷門(けんもん)は樹の上にいて人を襲う」の記述でした。もともと科学で説明のつかない超自然現象に興味のあった彼は荒磯釣りで奄美を訪れるたびに「けんもんの話」の取材、収集に意欲的に取り組んだ。その結果、「けんもん」の数々の目撃談、遭遇談を収集、柳田國男が「妖怪」として位置付けた「けんもん」は、物の怪や魔物などとは違い、多分に実在性がありながら、決定的な証拠として確認されていない、例えばヒマラヤの雪男と同じようなUMAUnidentified Mysterious Animal)=未確認不可思議動物=ではないかと言う思いに到達するのでした。

例えば森岡さんの収集した奄美大島宇検・屋鈍でのある女性の目撃談はこうです。

《夜明け前の薄明に、屋鈍の浜の上の山腹の道を歩いていてふと砂浜を見下ろすと、不思議なものが目に映った。ちょうど招き猫が後ろ足で立ち上がり、前脚でおいでおいでと沖の海に向かって誰かを引き寄せているような格好で、チョコチョコ歩いていた。やがて岩角に消えたが、不思議に思って砂浜に下りあとを追うと、あっと驚いたのは、その足跡。

それはまるで「すりこ木」で押したようなくぼみで、爪痕もなく、二十センチほどの間隔で、山に向かって「一直線」だったのが強烈な印象として残っている》

森岡さんの数多の取材リポートは紙数の関係でこれ以上書けませんが、ここに取り上げた「奇異な足跡」は、場所や時、人を違えて複数の共通項をなしており信ぴょう性が極めて高い情報です。ほかにも多くの共通項があり偶然とは思えません。いつの日か森岡版「けんもんの話」を小冊子にまとめたいと考えています。

さて、世界自然遺産登録推進に取り組む奄美では、伝説のけんもん(現地ではケンムン)をとおして、奄美大島の自然や文化に目を向けるきっかけを作ろうと平成二十三年から毎年夏休みに「ケンムンふぇすた」 を実施、小学生から一般までを対象に「ケンムン」を描いた作品を募集するなど「けんもん」のロマンを風化させない様々な取り組みが為されています(奄美パーク←検索)。その意欲は頼もしく、とても嬉しいことです。(イラストも・からくさ文庫主宰)

 

 

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