大阪の大丸心斎橋店のイベントホールでおこなわれています、
山下清展を友人と見に行ってきました。
11時に行ったのですが、大変大勢の人がもう来られていました、
見学にこられている大半の方は中年以上の女性で、平日でしたので、男性は仕事が
あるためか少なかった。
これは、山下清の生誕90周年をきねんしての展覧会だったようですが、大変な量の
作品で、管理がたいへんだろうと思いました。
そのための山下清作品管理事務局というのもあるようです。
彼は1922年に東京浅草で生まれて、3歳の時に病気になりそれから軽い言語障害
をおこすようになった。
12歳で千葉県の養護施設「八幡学園」にはいり学園での「ちぎり絵」が清の画才を
発揮させ、彼独自の技法による貼り絵となった。
18歳になり突然学園から姿を消して放浪の旅に出た。
31歳に、アメリカの雑誌「ライフ」が清の作品を見て驚き放浪中のきよしの捜査を始
める、そして32歳で鹿児島で発見されて、清の放浪生活が終わった。
34歳で大丸東京店で作品展が開催され1ヶ月の入場者数が80万人を越す大反響
であった。
42歳で彼のライフワークとしての「東海道53次」の制作を始めた。
47歳になり高血圧による眼底出血をおこし自宅で療養生活を続けた。
49歳の7月10日の夜、脳出血で倒れ12日に亡くなった
清の最後の言葉は「今年の花火はどこに行こうかな」であった。
清は花火が好きだったようで切り絵も花火には相当の熱が入っているようでした、
彼はこないだけでなくヨーロッパにもいき貼り絵を作られておられます、見てきました
が大変根気のいる作品だなーと感心しました。