過去のテレビの釣り番組というと、今の60歳代以上の方でなくてはご存じないかと思いますが、大橋巨泉氏司会の「11PM」がたいへん人気がありました。
この中での釣りコーナーは、一般の人々にも大変好評だったようで、私も毎週欠かさずに見ておりました。
服部善郎氏が釣り名人として登場し、楽しませてくれました。今も服部さんは、ケーブルテレビの「釣りビジョン」に元気に出ておられます。
そのメンバーで大阪支部長として有名だった故・中井戸嘉彦氏は、大阪の十字屋釣具店の店主としても、また仕掛け作りの本の著者としても有名でした。
11PM時代に一度、服部さん、中井戸さん、千葉の大竹さんらと小笠原まで取材でご一緒させていただきました。その中井戸さんは11PMを辞めた後、晩年は大阪府釣連盟の顧問として会員の面倒を見ていただきました。
服部名人とは数年前の中井戸さんの「偲ぶ会」で会って以来、会うことも少なくなり、フィッシングショーで大阪に来られた時ぐらいになりました。
この偲ぶ会では、小西和人氏といっしょに送る言葉を述べさせてもらいましたが、その小西さんの「偲ぶ会」がもうすぐあるわけでして、本当に寂しいかぎりです。
少し脱線しますが、小笠原諸島が返還された後、何度か釣りに行きました。飛行場が潰れていたので船で行くのですが、これが大変長い船の旅。夕方に竹芝桟橋を出て、3日めの朝に着くという40数時間の船旅です。
一度などは、帰りに台風に追いかけられ、ベッドにしがみついたまま飲まず食わずで東京まで帰ってきたこともありました。また、磯渡しの中継ぎの漁船の中で死んだようになったまま、波を被ったこともありました。
それでも何度か懲りずに行きました、この当時は底物のクエやバラハタなどの魚を追っていたために、小笠原にクチジロがいることさえも知りませんでした。いま考えると残念なことをしました。
磯釣りの時代分けからみれば、全関西磯釣連盟としてのカリスマ的な三木会長が作られた20年に渡る時代でした。
その後、分裂して各地に団体ができた時代、そして現在は各地でメーカーや磯釣りの団体が主催するトーナメントが盛んな時代、となるのではないのでしょうか。
現在、盛んである釣りの競技は、報知新聞社におられた故・佐古田修一氏が「釣り競技をスポーツ競技の新しいジャンルとして確立し、釣りを別の角度から掘り下げてみる」ために、魚種別の「報知釣り選手権」や「報知釣り名人戦」を企画・運営したと「阿波のつり」の中で書かれている。
これが、現在各地で行われているトーナメントのはしりだと思います。
佐古田修一氏は、平成20年5月16日に83歳で逝去されました、いまやトーナメンターを目指す方でこの方を知らない方はいないでしょう。ご冥福をお祈りします。
その後、「全日本釣り技術振興評議会」略してJFTという組織を設立されました。そして、アユ、ハエ、グレ、チヌ、の4魚種に絞っての選手権大会が毎年行われるようになりました。
そのJFTの釣り競技大会における名人さんが、阿波の国・釣り名人列伝に記載されています。
この第一回全国グレ釣り王座決定戦では、福岡の村上雅昭氏が優勝、2位に徳島の現在理事長である堀井頌通氏がなられておられます。
そしてその翌年、今度は堀井頌通氏が村上氏を破って王座になられています。
このようにして始まったトーナメントに名を連ねる方々を列記しますと、山元八郎氏は4種目すべてに優勝経験があり、キスでは伊丹一氏、チヌのカカリ釣りでは正木義則氏、兼松伸行氏、田中覚氏、またグレでは福良元宏氏の名前が挙がっています。私の記憶では、我が友、宮川明氏も優勝経験者だったと思います。
この中での釣りコーナーは、一般の人々にも大変好評だったようで、私も毎週欠かさずに見ておりました。
服部善郎氏が釣り名人として登場し、楽しませてくれました。今も服部さんは、ケーブルテレビの「釣りビジョン」に元気に出ておられます。
そのメンバーで大阪支部長として有名だった故・中井戸嘉彦氏は、大阪の十字屋釣具店の店主としても、また仕掛け作りの本の著者としても有名でした。
11PM時代に一度、服部さん、中井戸さん、千葉の大竹さんらと小笠原まで取材でご一緒させていただきました。その中井戸さんは11PMを辞めた後、晩年は大阪府釣連盟の顧問として会員の面倒を見ていただきました。
服部名人とは数年前の中井戸さんの「偲ぶ会」で会って以来、会うことも少なくなり、フィッシングショーで大阪に来られた時ぐらいになりました。
この偲ぶ会では、小西和人氏といっしょに送る言葉を述べさせてもらいましたが、その小西さんの「偲ぶ会」がもうすぐあるわけでして、本当に寂しいかぎりです。
少し脱線しますが、小笠原諸島が返還された後、何度か釣りに行きました。飛行場が潰れていたので船で行くのですが、これが大変長い船の旅。夕方に竹芝桟橋を出て、3日めの朝に着くという40数時間の船旅です。
一度などは、帰りに台風に追いかけられ、ベッドにしがみついたまま飲まず食わずで東京まで帰ってきたこともありました。また、磯渡しの中継ぎの漁船の中で死んだようになったまま、波を被ったこともありました。
それでも何度か懲りずに行きました、この当時は底物のクエやバラハタなどの魚を追っていたために、小笠原にクチジロがいることさえも知りませんでした。いま考えると残念なことをしました。
磯釣りの時代分けからみれば、全関西磯釣連盟としてのカリスマ的な三木会長が作られた20年に渡る時代でした。
その後、分裂して各地に団体ができた時代、そして現在は各地でメーカーや磯釣りの団体が主催するトーナメントが盛んな時代、となるのではないのでしょうか。
現在、盛んである釣りの競技は、報知新聞社におられた故・佐古田修一氏が「釣り競技をスポーツ競技の新しいジャンルとして確立し、釣りを別の角度から掘り下げてみる」ために、魚種別の「報知釣り選手権」や「報知釣り名人戦」を企画・運営したと「阿波のつり」の中で書かれている。
これが、現在各地で行われているトーナメントのはしりだと思います。
佐古田修一氏は、平成20年5月16日に83歳で逝去されました、いまやトーナメンターを目指す方でこの方を知らない方はいないでしょう。ご冥福をお祈りします。
その後、「全日本釣り技術振興評議会」略してJFTという組織を設立されました。そして、アユ、ハエ、グレ、チヌ、の4魚種に絞っての選手権大会が毎年行われるようになりました。
そのJFTの釣り競技大会における名人さんが、阿波の国・釣り名人列伝に記載されています。
この第一回全国グレ釣り王座決定戦では、福岡の村上雅昭氏が優勝、2位に徳島の現在理事長である堀井頌通氏がなられておられます。
そしてその翌年、今度は堀井頌通氏が村上氏を破って王座になられています。
このようにして始まったトーナメントに名を連ねる方々を列記しますと、山元八郎氏は4種目すべてに優勝経験があり、キスでは伊丹一氏、チヌのカカリ釣りでは正木義則氏、兼松伸行氏、田中覚氏、またグレでは福良元宏氏の名前が挙がっています。私の記憶では、我が友、宮川明氏も優勝経験者だったと思います。
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