佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

種子島のシマアジ釣り/1990・10 

2009-07-15 21:23:35 | 釣り
連盟の仲間である千里釣友会の10周年記念の釣り大会に中山会長より招待を受け、6日午前に伊丹空港へ。全員で20名の集合となった。

この時期は台風のシーズンでもあり、南方上空に台風が停滞しているとのことで、飛行機が飛ぶのかどうか危ぶまれたが、定刻前になり台風の進行が遅れているとのことで、飛ぶとの放送があった。

しかし、向こうに着いても台風に向かっていくのであるから釣りはとても無理だろうと言いつつも、成り行き任せでの搭乗となった。

何度かのエアポケットに悩まされながらも、何とか種子島空港に着いた。出迎えに来てくれた島崎渡船の車で、当時建ったばかりの島一番の観光ホテル、岩崎ホテルに入った。このホテルはプライベートビーチまで持っている豪華なホテルである。

鹿児島の大手観光会社が経営しているという話だが、今日はさすがに観光客も来ていなくて、我々20人の泊まり客だけである。飛行機も我々の乗った便が最終であったらしい。

覚悟の上で来たというものの、強風と窓を打つ雨。終日、麻雀とAVテレビを眺めながら2日を過ごした。

その間、主催者の中山氏と顧問の黒野氏の気の使いようは気の毒なくらいであった。毎食事にホテルにいって、特別食を作らせていた。海を眺めてため息をついている釣り師のために、せめて食事でも豪華にとの心遣いであった。

3日目の早朝、台風がどうにか通り過ぎた模様で、風向きが変わり青空が見えだした。前夜、ベランダの扉を少し明けたところ、閉めることが出来ないぐらいに
風が強かったのだが。

昼前になって、島崎船頭から何とか船が出せそうという連絡があり、待ちかねていた全員が慌ただしく準備をして波止に向かった。

船頭さん曰く、「今日はまだマキエのつもりで、明日に期待してや」との話。そこそこにマキエをして、それぞれの船が小型シマアジを釣って帰港した。まだまだ波は高く、シマアジ釣りには少し無理のようであった。

翌4日目、午前5時起床、6時に出船。それぞれの船にメンバーが分かれ、近場であるが小型の数が出るところと、少し遠いが大型の出るところとの二手に分かれての出船となった。

この島崎渡船の乗り場は、国産ロケットの打ち上げがある発射場の近くにあり、太平洋の荒波を受けて建つ波止には、智美丸、幸栄丸、南海丸、末吉丸等が係留されており、それぞれに乗り込んで出港するのだが、台風の残り風が大変きつくて出港するのに一苦労だった。

大型シマアジを狙う私は今回の釣行を全面支援された黒松氏との2人だけの乗船となった。彼はこの種子島には毎週釣りに来ていて、この島に黒松の里を作るのだと言う。本業が不動産屋で土地の事がよく解っているからと、少しずつ土地を買っているという。

いま日本中で1番シマアジを多く釣っている人であろう。とにかく大型シマアジを釣るのが目的で仕掛けも人より大型で、一般的にはハリス8号から10号ぐらいなのだが、彼の場合は最初から14号である。

船頭さんから「それでは食いが悪いよ」と言われても押し通し、小型のシマアジはいらないのだと言う。

私もそれなりの大物釣り師を志しているのだから見習うことにした。しかし磯で
狙うイシダイやクエと違って要領を得ない。そのうえ船には弱いときているので困ったもんだ。しかし、黒松氏に迷惑をかけるだろうと思いながらも付いていくことにした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なに言うてんねん!! | トップ | 種子島のシマアジ釣り/続き »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

釣り」カテゴリの最新記事