今朝の読売新聞で、読売新聞が大阪発刊70周年という記事を見て、私も過去に
振り返り、長く読売新聞とかかわりあってるなと思いだしました。
読売新聞が大阪にて発売されることになった、1952年中学2年生だった、
大阪の阿倍野の地区の新聞配達場所に我が家の玄関先の板の間を提供することになり
親父と一緒に配達することになった、阿倍野区の5丁目のアベノ警察の横から、
丸山通りを下がっていき西成迄今考えたら遠くまで配達していたのだなと思う。
中学2年生から高校の卒業前の修学旅行までの5年間、新聞配達をした、いま考えたら
よく頑張ったと思う、毎朝午前4時ごろから起きて新聞のトラックが来るのを待ち、
それぞれが配る数を勘定して持ってでていくが、半分眠気眼で配っているためによく
間違えもした、帰ってきたら手元に1部残っていたり、最後に配達する分が足りなか
ったりもした。
今朝の新聞で70年というのを見て、長く読んできたのだなーと思った。
この新聞配達のためにみんなと一緒に行く遠足は行く事がすくなかった、なぜなら
遠足に行くと夕刊が配れなくなり迷惑をかけるからでした、それが一番つらかった
のを思いだします、帰ってきてのみんなの話がうらやましかった。
高校時代は皆が、学校を終わって映画を見に行ったりして翌日に物まねなどをして
話してくれたのが、うらやましいが楽しみでもあった、今も当時の同級生の物まねの
姿が思い出されるのです。
最近は学生さんの新聞配達はあまり見かけないように思うが、僕の所に来てくれて
いる方は、学生さんのようですが、頑張って続けてほしいものです。