佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

自分の生い立ち記ー1

2022-01-03 20:06:24 | 日々の思い

83年生きてきてこの2月に84歳になりますが、よく生き永らえたものだと思って

ます、7人兄弟の一番末っ子として生まれ育ちました。戦時中は、小学1年生で、

親元離れての集団疎開大阪アベノから和歌山県の妙寺というお寺に預けられました。

終戦を迎えて大阪の阿倍野に帰ると近所は焼野原で、私の家の近所だけ残っていま

したその阿倍野の家で結婚するまで育ちました。

小学校は歩いて10分かからない丸山小学校、中学は歩いて20数分の松虫中学、

そして高校は歩いて30数分の市立工芸高校ですべて歩いて行ける所でしたので、

高校に入って皆さんが定期券を持っているのに、僕はないので、無理やり電車で遠回

りして乗った記憶がありました。

大学2年の時、肺結核にかかり、入院3年間をして職場に復帰しました。

退院後無理はできないとの事で、工芸の山本恩師の計らいで立ち上げられたばかりの

設計事務所(泉設計事務所)にお世話になり勉強指導して頂いた、いま設計事務所と

してやってこれた基礎です、亡き長谷川氏にしかられながらも5年間ほど勤めて、そ

こにいた、会計や経理などを任されていた中邑和子と結婚しました。

そして1969年(31歳)にて独立して事務所を持ちました、この独立しての

きっかけは今は亡き日本上下水道設計の村上取締役にお世話になり,金沢から

沖縄までに至る各地に上下水道の施設の建設設計に(130か所以上)かかわる事が

出来た、このお二人のお陰と今も感謝しています。

その中でも一番長くかかわりあったのは、日本の最大手の設計事務所である、N設計

さんのお手伝いの大阪津守のポンプ場でした、約7年間タッチしました、それの大き

さは、約100M×90Mで最深地下35M、というバカでかいものでしたから、立ち上っ

てくるまで地下水の影響で大変な工事であったと思いますがこれも良い思い出です。

工事にまつわる色々な思い出がありますまた読んでもらいます。

    

 

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