8月9日は私の亡き女房の5年目の命日です。
50年目の結婚記念を迎えることなく本人は亡くなったが、その本人が
なくなる前に私に言った言葉が「来年で50年やねと」・・・
(来年で50年やねとベッドから 語る甲斐なく 一人旅立ち)
なくなる寸前まで僕を自由気ままにさせてくれました、
釣りの世界にのめりこんで行ったのも彼女のバックがあったからで
つり始めたころはそこまで入り込むとは僕自身思ってなかった、
釣り道具やの坂本釣具店に出入りするようになりそこでクラブを作る手伝いから今有名な
チヌの名人兼松氏のお父さんと出会い、北摂フイッシングクラブという名の釣りクラブが
立ち上がった、初代が兼松氏で2代目が私となった、まだそんなに釣りのことがわかってないのに
当時60人近いメンバーがいたクラブを引き継いだ、それから30年ほどクラブを引っ張っていった
そして全関西磯釣連盟にも入り、その後の激動の連盟の波にもまれて大阪府釣り連盟を
立ち上げた今は亡き新大阪の新竹氏と、そして11年間会長を務めた後、大阪府釣り団体の会長を
そして大阪府の内水面委員を太田知事、橋元知事からも任命を受けた。
長い釣り歴史は全て亡き女房のおかげであると思っています。
後何年生きるか知れないが次の世に行ってあったらありがとうというつもり、今は独り身のようですが
実際は女房の妹の富子が面倒見てくれている事も ・・・