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佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

拓正会創立45周年展-

2022-07-25 19:10:29 | 釣り界の歴史

ヘラブナ・・松永正津会長

   松永会長の力作でしょう、いかにも魚が泳いでいるようです

 

アユ・・・・松永正津会長

アート魚拓の紹介をされています、日頃釣った魚を自分で魚拓にするのとは

一味も二味もちがいますね。記念の魚を釣られたらお願いしたら・・・

 

ヤリイカ・・前川奈津子氏

小西英人氏の「釣魚1400図鑑」によりますと一口にイカと言っても20近くの種類のイカがいるようです。

釣り人に喜ばれているのは、アオリイカ、そして一般的に知られている仲間にはスルメイカ・ケンサキイカにこのヤリイカでしょう。

 

 

 

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拓正会創立45周年展-

2022-07-20 19:24:28 | 釣り界の歴史

マダイ・・林 周広氏

   魚拓での描き方を逆にしたもので、少し言い訳かな?

 

サメガレイ・・山脇湖栄氏

*ぼうずコンイャクの市場魚貝図鑑に詳しく乗っています。

モンスターブラウン・・白井栄治氏

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日本の磯の開拓者ー10

2022-07-19 19:40:25 | 釣り界の歴史

日本の磯の開拓者としての題名で9回にわたり、現代釣魚文化研究所の八木さんが書かれた、今は亡き森岡治氏の「宇治群島遠征記」昭和34年(1959年)~昭和35年(1960年)の内、昭和34年度の分をのさせてもらいました。

私の知る限りの昭和30年代の開拓者としてこの方に、もう一人大阪天満におられた、大井巌氏のお二人が両横綱ではないかなと思っております。

この森岡氏の昭和35年(1960年)の分はまた後日掲載いたします、この方のリターンマッチとして再度挑戦されたものです。

森岡氏や大井氏と違った面で磯の開拓者というか、釣り名人として各地に出掛けて名を上げられておられる方も多くおられます。

その釣り名人としての昭和50年代の釣り名人として読売新聞に掲載されていたのをまとめられて出された本に、佐古田修一氏の「現代釣り名人列伝」というのがあります。この本は当時の色々な釣りの名人さんをかかげられたものですが、離島の開拓者としての名は出ていませんが石鯛釣りの九州の栗林峯太氏や、今は亡きGAMAKATSUの社長さんの藤井繁克氏さんらもその一人ではないのでしょうか、また懐かしい11PMでの活躍されていた、「離島の大物釣り」という本を書かれた井ノ口和男氏も。

この佐古田さんの本はもうないかもしれませんが表紙の写真だけ見て下さい、このような本も、もう出ないのではないでしょうか?

この表紙はグレ名人と言われた和歌山の亡き志賀さんです。

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日本の磯の開拓者ー9

2022-07-18 18:55:28 | 釣り界の歴史

アラ2本

さて、船は錨を上げて一路阿久根へ向かったものの夜半にいたって強風豪雨の完全なシケ模様となり、船はピッチング、ローリングの猛烈な揺れ方、島影から島陰へ風を避けて逃げ回り、やっと少し安全な湾に入ったがその間、伝馬はロープがきれて流失、その上海水漏れが甚だしく、到底寝ておれない。

夜が明けてもシケは一向に静まる気配もなく、午後の2時前になって漸く雨が止み、風も少しおさまった。それで直ちに意を決して出発、7時間ばかりも揺れに揺れて、やっと午後9時近く手打ちの島の灯を見ることが出来た、その時の嬉しかったこと。組合の人や旅館の人々が大変心配してくれて波止場まで迎えに来てくれた。その夜は手打に1泊、翌朝幸親丸で阿久根まで送ってもらうトロ箱5つに魚と氷をつめ、大あわてに慌てて霧島の小荷物に積み込みそれからスシ詰めの車内に乗り込んだ。

後で、宇治群島のあの時の大釣りの模様を、いくども思いだしてみようと努めたが、記憶はそこの所だけが空白で、どうしてもハッキリとは思い出せない。ただ無性にしんどかったことが記憶に残っている。

やはり石鯛釣りの愉しさというものは、釣れたり釣れなかったりする確率の少なさにあるようで、あんなに滅多やたらに喰いついてきては、苦しさだけがあって、スリルも期待もギヤンブルめいた愉しみもあったものではない。そこが大もの釣りと小もの釣りの違うところだろう。要はモノはホドホドに、ということだ。

それに又考えればこちらでコツコツ釣っておられるヒトに対しては、あのような荒稼ぎは、まるで射的競技に機関銃を持ち出したようで、甚だ申し訳ない気がする。何か折角のレースの面白味をブチこわしたような気がしないでもないので九州での記録を私のそれから抹消してくださっても一向に差し支えがない余りに釣れないが故にこそ、石鯛釣りは面白い、遅まきながらそう悟れたことが、今回の遠征のもっとも大きな収穫であった。

 

 

 

 

 

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日本の磯の開拓者ー8

2022-07-16 19:55:28 | 釣り界の歴史

アラ2本

夕方から急に南西の風がつよくなった。空も暗雲が低く、どうやら今夜あたりからシケらしい。この調子では明日の出漁は到底難しい様子なので、一応帰投をかんがえたものの、クエが1本もないのはなんとしても寂しくそれで最後の夜釣りを決行することにした。午後6時、薄気味の悪い大きな洞窟の入り口のハエに上がる。水が古沼のように青黒くよどみ、ひたひたと足元を洗う波が夜光虫のせいか、蛍光灯のように青白く光る。空には月影もなく、生暖かい潮風が嵐の来るのを予告して、クエには絶好の晩である。

昼の疲れで、少しウトウトし始めた頃、ストップレバーを外してあったリールが、突如ジリジリと鳴る。「スワッ来た!」とばかり、飛び上がって

パチンとストップを入れ、手袋をした手で、グイと六分の道糸を引っ張った、しかし昼のヒサのことを思うと、ずいぶんと軽く頼りないことおびただしい。簡単に取り込んでランプに照らすと、二貫五百目あまりの小さいやつ、いささかガッカリする。

取り込むとき、余り強引にやり過ぎたので、竿の穂先が折れて、ダメ、それで今度はロープに仕掛けを結んで抛り込んだ。

この仕掛けはこの地方独特のもので、オモリがなく、従って底が取りにくいが、それでも魚の重みでどうにか沈む。ハリはこれがまた、この地方独特のものでゼンマイ型にくびれていて、絶対に根係する心配がなく、それでいて一旦魚が食い込んだら地獄という重要なもの。

こいつを抛り込んでしばらくすると、コマセた2貫の撒き餌が利いてきたのか、海底の辺りがポーッと青白く光ってきた。南宴の海は夜光虫が多いせいか物が動くと凄くよく光る。「アラです、来ましたヨ」林氏の声に緊張して待つ間もなく、手にしたロープがズルズルとゆっくりと引かれていく、これは絶対に波の引きではない、しめたッ、とばかり、ソロソロト2ヒロほども送り込んでやってから、グイと力一杯たぐると、何と浮遊物でもひっかけたようなズッシリ重いだけの感触、たぐり寄せると、ズルズルとついてきて、至極簡単に波の上に浮いてしまった。

ランプを当てると、それでも3貫4百余りのまあまあのヤツそれにしても味気ないことおびただしい。

この頃から,雷鳴しきり、それにボツボツ雨も落ちてきて、風が次第に強くなる,折角喰いが立って来たのに、と残念至極だったが、早々に切り上げて船に帰る、船頭も2貫2百ぐらいのを一つあげていた。

船の生け簀を開けて覗くと、石鯛やクエが運命を達観したように悠然と泳いでいる、誠に壮観であった。

 

 

 

 

 

 

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