池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書) | |
池上 彰 | |
文藝春秋 |
♪「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」池上彰著 文春新書
新聞を読んでいて、相変わらず中東問題とかテロとか石油問題とかが理解できない。これはやっぱり宗教から勉強しないとわからないよなと思い、本屋に寄った。最初は中東の諸問題と宗教を関連付ける本を探していたけど、世界の宗教そのものを解説する本書が面白そうで買ってしまった。
仏教、キリスト教、イスラム教、神道等のそれぞれのオーソリティー(僧侶や研究者)に池上彰がインタビューする形で、各宗教に対する素朴な疑問や抱える問題点などが浮き彫りにされる。
当然、各宗教のことをちゃんと理解するまでには至らないが、入り口のところはそれなりに理解できた、かな?
仏教ってなに?坊さんは葬式で儲けているだけ?仏教の将来は?
キリストはなぜ迫害された?世界の終りが来て、天国行きか地獄行きかの最後の審判が下される?
日本人は無宗教?いや、すべてのものに神が宿る?八百万の神って?
イスラム教のコーランって?ユダヤ教とキリスト教とどう違うの?
やっぱり宗教って難しいなぁ~。日本人は決して無宗教、無信心ではない。だって神社を通りかかればお賽銭を投げ込み拝む。初詣には律儀に出かけるし、結婚式は教会だったり神前だったり。子供が生まれればお宮参りに行くし、クリスマスには教会に行く人も多い。そして人生の最後は仏式でお葬式。
普段だって朝日に向かって手を合わせる。キリスト教徒やイスラム教徒に負けないぐらい祈ったり拝んだりしている。
ただ、一つの神に絞り切れないんだね。一神教は向いていないのだろう。それから神様は敬うけれど、信じ切って頼り切ることはあまりない。だから殉教という精神もない。なので自分は「無宗教」という意識が一人ひとりにあるんだろう。
本書の中で、臨済宗神宮寺住職の高橋卓志氏は「寺は人の苦しみや辛さに寄り添い支えるべき」と仰っている。その考え方で、末期患者の緩和ケアや高齢者のケアをやっているそうだ。
そうなんだよねぇ。お寺は、やっぱりもっと地域の中核をなすコミュニティー的役割を果たすべきだと思う。葬式だけのお寺はダメですよ。日頃からお年寄りや子供たち、地域の住人が拠り所とするような存在じゃないと。
高橋曰く、亡くなった人の葬式を行うとき、坊さんはその人たちの生前の喜びや苦しみ共有していて、その人に合った葬式を組み立てる。それが理想というわけです。なるほどね、まさにお寺のあるべき姿だと思う。
そういう意味ではキリスト教の教会のほうが。信者が寄り集まるコミュニティーの役割を果たしている。毎週の日曜学校、教会のバザー、クリスマスのミサ、結婚式も葬式も、他人でも気軽に教会に集まって祝福したり見送ったりできる。悩みがあれば牧師さんに打ち明け、救われる。聖書が口語で書かれ、牧師の語る説教も理解しやすい。
お寺もそういう役割を果たさないとねぇ。100年後にお寺は残っているんでしょうか?
中東問題を宗教から理解するという目的は叶わなかったけど、別な意味で勉強になった。そうなんだよ、僕も基本的にはキリスト教のほうがピンと来るし、教会にも通ってみたいんだよね。
一方で、仏教ももっと勉強したくなった。う~ん、年を取った証拠か…。
オヤジさんは昔から本が好きだったのですね・・・。これからもブログで興味深い本、素敵な本を紹介してください。
前にこのブログでも取り上げましたが、遠藤周作の「沈黙」が、そういうクリスチャンの葛藤に深く切り込んだ小説ですよね。
読みましたか?
PS)
前回のコメントは、多少?酔っていたのか誤字がいっぱいありましたね。恥ずかしい…。
簡単に直せないので、そのままにします。
本文の内容を修正した箇所も読ませていただきました。
オヤジさんのブログ、これからも楽しみにしています!
Lunaさんの揺らぎは何が原因ですか?
日本人は欧米やその他の職の人たちみたいに、心から髪を信じることは出来ないんでしょうね。でも神社でもお寺でも、朝日でも山でも海でも、八百万の神に手を合わせることで安心するんです。
結構便利な国民です(笑)。
ある意味単純に髪を信じられる欧米人や他国の人たちが羨ましい…かな?
私自身はキリスト教をずっと長い間信仰してきましたが、ここ何年かで信仰のゆらぎが生じてしまい、今は仲間のクリスチャンとも距離を置いています。神と仲間の愛から自分が離れていきそうで、時々すごく不安になりますが、今後どうするのか、戻るのか、辞めてしまうのか、まだ分かりませんが、ゆらぎが生じてしまった以上、ゆっくり考えたいと思っています。
オヤジさん、お仕事お忙しそうでうですが、お身体を大切にしてくださいね。