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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.7.13 息子と家庭科

2012-07-13 20:50:33 | 日記
 私が高校生だった頃、男子は家庭科の授業はなかった。私たち女子が、校舎の一番端っこにいかにも申し訳なさそうにあった家庭科室で裁縫だの調理だのをやっている時、彼らは校庭で汗にまみれて体育をやっていた、という記憶がある。
 だが、現在ではカリキュラムが変わり、男子校に通う息子も中学から家庭科が必修になっている(いつだったか、どこかの進学校で、学習指導要領では必修科目だが受験に関係しない教科を履修させず、単位不足で卒業が危ぶまれる生徒が多数いることが判って問題になったが・・・)。

 先日、息子が「明日は4時間目が調理実習だから、エプロンと三角巾を持っていく。」と言うので「じゃあ、お弁当作らないでいいのね。」と手ぶらで出かけさせた。帰宅後「何を作ったの?」と聞いたら、なんとシンプルにも塩むすびだけで、梅干しはおろか海苔もついてなかった、とのこと。それは調理実習とは言わないのではないか、と思ったが、後の祭り。売店でパンを買って凌いだらしい。皆が売店に殺到したらとても足りなかっただろうから、パンにありつけただけでもラッキーだったのか。

 昨日は塾の日だった。普段はいったん帰宅後、おやつを食べてから、私が帰宅するか否かの時間に出かけるのだが、待てど暮らせど帰ってこないし連絡もない。間に合わないから直行したのか、と開始時間を30分過ぎた段階で塾に電話したら、行っていないという。
 その後30分近くして公衆電話から連絡があった。家庭科の課題が終わらずに残ってやっていたという。まあ、車に轢かれたとかトラブルに巻き込まれたとかいうことではなくて良かった、と胸をなでおろしたのだが、「もっと早目に連絡してよ。」と言ったら「スマホを学校に持たせずにそんな無理を言うな。」と来た。塾にメールで遅れるという連絡が出来なくてストレスだった、と。何とも殊勝なことだ。普段は電話やメールとしての機能は全く果たしていないのだが・・・。

 さて、その家庭科の課題であるが、ハーフパンツ作りだったそうだ。昨日が夏休み前の最終授業。終わらなければ自動的に自宅持ち帰り、夏休みの宿題になったようだが、それは絶対嫌だったし、諦めて家に帰ってお母さんにやってもらった他のクラスの子は、先生に一発で見破られて「単位はあげるけど“2”だよ。」と言い渡されたことを聞いて、居残りしたらしい。
 器用にさっさと終えた子もいたようだが、クラスで半数が居残り、うち半数が諦めて帰った模様。前後ろにポケットを合計4つつけるのが完成形だったらしいが、1個でも可ということで1個だけつけて提出してきたそうだ。
 悪天候で臨時休校になった日の科目で、授業中にお喋りをしていて終わらなかったということでもなさそうなので、気の毒と言えば気の毒なのだが、「うちはお母さんにやってもらうのはなしだな、と思ったから仕方ない。」とサラリと言われてしまった。偉い。

 お裁縫等は、出来ればやりたくないオーラが出ている私だ。針と糸を持つのはよっぽどの時だけ、ボタンつけ等最低限に限られる。私の母は洋裁が得意だったし、専業主婦だったから、私はといえば家庭科のスカートやらパジャマ作り等、困ると最後は「ママ、お願い・・・」だったということからすれば、息子は実に偉い。
 母に頼れなければ、自分でやるしかないのだから。「まあ、頼むならお父さんに頼むよ。」だそうだ。
 そう、針と糸を持つことに対するハードルは、夫の方が断然低い。私に頼むより自分でやった方が早いからだろう。妻と母の面目など(今更どうこうしようとも思わないのが我ながら情けないが、苦にならない方がやる、その方が合理的ではないか、とも思う。)、とっくにどっかに行ってしまっている。
 近々、息子が持って帰ってくるだろう(クラス全員で色を選んだという)ピンクのハーフパンツを見るのが楽しみのような怖いような・・・。

 昨日の豪雨で、九州地方で沢山の方が亡くなった。痛ましいことだ。こちらでは、夜来の雨が朝には止んでいたが、雨に濡れた木々に朝の光が当たってとても眩しかった。明日からは三連休、お天気もだんだん良くなって気温も上がるという。そろそろ梅雨明けが近いのかもしれない。
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2012. 7.11 先週の通院日以降に読んだ3冊

2012-07-11 20:38:54 | 読書
 先週は久しぶりに3冊読んだ。
 1冊目は石田衣良さんの「6TEEN」(新潮文庫)。
 裏表紙には「あれから2年。テツロー、ナオト、ダイ、ジュンは高校生になった」とある。そう、これは「4TEEN」のその後、四人組が駆け抜ける16歳の青春である。
 自分の16歳の頃を思い出すと、高校時代は友人にも先輩にも恵まれて本当に楽しかったし、部活だ文化祭だ、体育祭だ、と退屈なんかしている暇はなかった。すっかり過去が美化されているのかもしれないが、帯にある「16歳。セカイは切ない。中学生のころはすべてぼんやりとした灰色の雲のようだったのに、十六歳になると憂鬱も退屈も不安もずっと具体的になるのだ。この社会のなかにぼくの生きる場所はあるのだろうか。」という気持ち-ちょうど息子と同い年の少年たちの気持ち-が分かりたくなって一気に読んだ。
 舞台は月島。もんじゃ焼きが有名な街。高層マンション、聖路加病院、築地や銀座等、土地勘もあるし、リアルに情景が迫ってくる。
 解説で瀧井朝世さんが書いておられる「このシリーズの特徴の一つが、家や学校でのシーンが少ないことなのだが、そこから飛び出していくだけで、こんなにも世界はワクワクすることに満ちていると教えてくれている。」には、本当にそうなのだろうな、と思う。家では親に、学校では教師に管理されている彼らは、マグマのようなエネルギーを持て余しているのだから。
 それにしてもテツロー君の語りに惹きこまれつつ、頑張れ!とドキドキしながら応援してしまう読者としての私と、うーん、こんなこと自分の息子にされては大変かも、と思う母の私が混在して、最初から最後までなんだかとっても忙しかった。
 次回作「8TEEN」を期待して待っていて良いのだろうか。今から楽しみである。

 2冊目は川上未映子さんの「オモロマンティック・ボム!」(新潮文庫)。
 帯には「話題の芥川賞作家による『週刊新潮』の人気コラムの待望の文庫化。【笑いとロマンティックがボムッと爆発。】」とある。“オモシロいのとロマンティックなのと爆発が一緒になった感じ”ということで、連載の通しタイトルからそのままついた題名だという。
 裏表紙には「恋人の隠し事に突然ひらめくピッコン!の謎。原稿料を巡る文筆業界の秘密。大破したタクシーで血まみれ運転手が見せた驚きの行動―。ときにゆるり、ときにぴーんと。いろんな視点で眺めれば、日常が隠す不思議のタネは、みるみる哲学に育つ。」とあるが、毎週ひとつずつコラムを書き続けるなんてこと、とてもできるわけがないやないの、と言いつつも、とても軽々と書いている感じ(実際はそうではないのだろうけれど)がなんとなく癒された1冊だった。出産後となる第2弾の文庫も、おそらくうんとオモロマンティックな視点が増えているに違いない。

 3冊目は荻野文子さんの「ヘタな人生論より枕草子 美しい生き方ができる大人になるために-」(河出文庫)。
 荻野先生といえば、予備校の古文講師でマドンナ先生との誉れ高かった方。私は習ったことがないが、今はフリー講師として活躍中だという。
 帯には「日々の振舞い、仕事、恋愛…『品性』を貶めない生き方をするには?」とある。裏表紙には「インテリ女性が好き放題書いたエッセィ、しかし、「枕草子」を荻野流に読み解くと別の顔が浮かび上がる。それは・・・どれほど現実が酷くても「みっともなく、みじめなこと」を忌み、「打鵜が」のなんたるかを忘れなかった清少納言の美意識から、私たちが学ぶことは多い。」とあるとおり、ああ、高校時代、何もわからず古典の授業を聞いていたけれど、齢50にしてようやく読むに足りる年になったのか、という感想をもった。
 省みる、躾ける、磨く、交わる、修める、の5章から成り、それぞれにくきもの、人ばへするもの、めでたきもの、いとほしげなきもの、うれしきもの、から始まりその意味、現代訳文の後に、荻野先生の鋭い視点のエッセィが続く。ハンサムウーマンを地で行くような、甘ったれた人たちに対する一刀両断な物言いに胸がすく思いだ。
 特に印象深かったのは、「いとほしげなきもの(気の毒な感じがしないもの)」にあった先生の体験談から「同情心ほど、バランスのとりにくい感情はない。「かわいそう」と思えるのは、人間関係に一定の距離を保っていられる間で、相手が無遠慮に覆いかぶさってくると、一瞬のうちに「迷惑」に転じる。逆に、こちらが必要以上に手を差し伸べると、その「愛情」は支配的となり、知らぬ間に相手の自尊心を浸蝕する場合もある。」のくだりだった。
 もう一度、古典に触れるのもいいかな、と思える一冊だった。

 梅雨の季節とは思えないほど朝から青空の眩しいいいお天気・・・というのは、涼しい部屋の中から外を見ている時の感想で、朝も昼も外は暑くて、ぐったりした一日だった。7月も中旬に入ったのだから、もう夏本番でもおかしくないのだが。昨年のうだるような蒸し暑さの事務室とうってかわって、今年は空調が効いているので、羽織る物が必須だ。

 上野動物園で24年ぶりに生まれたパンダの赤ちゃんが、肺炎で死んでしまったという。パンダのぬいぐるみと一緒に寝ていたくらいパンダ好きの息子は、冬になったらうんと可愛いだろうから会いに行こうと楽しみにしていたのだが・・・。痛ましいことだ。
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2012.7.10 “その時”を受け容れるために

2012-07-10 21:08:55 | 日記
 いつかもこのブログで、朝日新聞の医療サイト「アピタル」から日野原重明先生の連載を紹介した。10年日記を書かれていて、その効用についての内容だったと記憶している。
 そして、昨日の記事がとても考えさせられるテーマだったので、以下転載させて頂く。
 たまたま、日曜日に合唱の練習で「河口」という歌を歌ったばかり。上流で誕生し、最後には海に注ぐという川の一生を混声合唱組曲とした、その終曲(フィナーレ)の歌だった。

※  ※  ※(転載開始)

生と死が混じり合う人生の河口( 100歳 私の証 あるがまゝ行く 2012.7.9)

 近ごろホスピス医療が大きく変わってきました。以前はがんの手術をした後、再発して全身に転移すると、それ以上施せる治療がなく、ホスピスでは痛みをやわらげ、安楽な死を迎えるしかありませんでした。しかし医学が進歩し、がんの化学療法や放射線療法などにより、全身に転移しても、数カ月かそれ以上、生きられる事例が増えてきました。
 こうした中で有意義なのは、ホスピスやPCU(緩和ケア病棟)に短期間(1~2週間)入るという新しい発想「レスパイト(respite)」入院です。英語で「現場を離れた一時的な精神の休養」という意味で、つまり患者は一時的な休息のために入院・入所し、そこで気持ちを整理して、いつでも死を迎えられる心の備えをするのです。
 英語にリトリート(retreat)という言葉もあります。日々の雑事から一時的に離れ、自然の中で心を洗い、生きる意義を感じることです。米国の飛行士チャールズ・リンドバーグの妻アン・リンドバーグには、『海からの贈り物』という名著があります。5人の子どもの母親でもあった彼女は、ひととき家庭を離れ、海辺の家を借りて、浜辺で貝殻を拾って持ち帰っては毎夜、思索にふけります。これこそリトリートの精神です。
 36歳の女性が、私の設立したホスピス、ピースハウス病院にレスパイト入院をしてきたことがあります。乳がんの手術を受けた後、肝臓などに転移し、自分の命はそう長くはないと知ってのことでした。残される7歳と9歳の2人の男の子がそれぞれ20歳になるまで、毎年自分の誕生日に「ママからのメッセージ」を渡せるように、それを書く準備のため、10日間入院したのです。彼女は2カ月後、自宅で亡くなりました。前日には、美容院で髪をセットしてもらったそうです。
 人生という川の流れの行き先は、死という海です。河口の淀(よど)みは流れも緩やかで、海水が逆流し、生と死が混じり合います。ホスピスに入った患者は淀みの中で人生を振り返り、その先の死と向き合い、「まだやって行けそうだ」と思ったら、ホスピスから出て「自分の終わりを作る」ことが可能です。レスパイト入院が日本で更に普及することを願っています。

(転載終了)※  ※  ※

 穏やかに自分の最期を受け容れ、迎え入れるため、人はどんな準備が出来るのだろう。
 冒頭の文章のとおり、以前なら、乳がん遠隔多発転移の私だってこんなに何年も治療を続けることなく、とっくにホスピスで河口に達していたのかもしれない。人生を川の流れに譬えると、最終地点である海は死。なるほどそこでは、生と死の分岐点はすっきりと線が引けるものではなく、淀み、逆流し、混じり合う場所なのだろう。

 「レスパイト(一時休止、休息)入院」という言葉がこうした意味を持つことを初めて知った。“在宅介護で介護者がバーンアウトしないために一時的に患者を移す”ということだけではなく、“ターミナル期のがん患者が自分の終わりを自分で納得したものにするため、自らの来し方を振り返り、迫りくるフィナーレを自分らしく演出するために自ら準備する”ための入院でもあるのだ、ということを。

 私は“その時”が近づいてきたことを感じたら、潔く心穏やかに準備が出来るだろうか。先生が例に出された36歳のお母さんのように、冷静に成人に達しない息子に向けたメッセージを書くことが出来るだろうか。
 リンドバーグ女史の「海からの贈り物」は、ちょうど入院中に病院の文庫棚から借りて読んだが、私が、この「リトリート」の精神を持って生きる意義を考えることが出来るだろうか。
 きっと見苦しくもジタバタオロオロしてしまうのだろうな、と思う。今は体調が落ち着いていることもあり、自分がそうなるのだ、とリアルに想像が出来ないけれど、だんだんと衰弱し、自分で出来ることがひとつずつ減っていけば、その現実を受け容れざるを得ないのだろう。
 欲張り出したらきりがないとは思うけれど、日々やりたいことをきちんとやって、日々伝えたいことをしっかり伝えて、神のみぞ知る“その時”がやってきたら、「いい人生だった、ありがとう。」と最後の息をしたいものだと思う。

 明日は早朝都心会議のため、今日もいつもの宿に前泊する。一人で考える時間・・・、この前泊も私にとって一種の「リトリート」である。

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2012.7.9 ノーマルな反応はちょっと淋しい

2012-07-09 20:05:32 | 日記
 月初めの実力テストやら校外模試が終わり、先週末からとりわけまったりと過ごしている息子である。予定(とらぬ狸の皮算用)では昨日、英検二次試験の受験日ということだったが、残念ながら僅差で一次に不合格。フリーの日曜日となった。

 ボーナス支給後で何となく懐も暖かい夫が「試験も終わったことだし、予定がなくなったなら一緒に○○線に乗りに行かないか。」と誘っていたが、息子からは「友人と映画を観に行くから」とのそっけないお答え。ものの見事に振られていた。

 夫は「もう好きな鉄道をエサに誘ってみても、親より友達なんだな~」とポツリ。
 だって、高校2年男子である。いつまでも親と一緒にお出かけするわけがない。我が身を振り返ってみても、高2の時に親と喜んでお出かけした記憶はない。もっと小さいうちから“一人でお留守番”の方が好きだったし、夏休みといっても合宿やら何やらあったので、親との旅行だって高校時代には殆ど記憶がない。
 「親<友達」という選択はノーマルな反応に違いないが、夫の一抹の寂しさは私にもひしひしと伝わってきた。

 しっかり手をつないでペタペタくっついて、一緒にお出かけしてくれる期間は本当に短いものなのだ、と今更のように思う。
 職場の沢山のワーキングマザーの先輩から、「子育ては短い期間だから、うんと楽しんでおかないと。」と言われたけれど、渦中の時は必死で心底楽しむ余裕はなかったのが悔やまれる。
 小学校高学年になり手をつないでくれなくなり、その後まもなくして地元では一緒に出歩かなくなり・・・(今では、地元に加えて学校の友人がいそうな場所には決して私たちと一緒に行きたがらないが、美味しい食事やら何やらに釣られて遠くに旅行することは嫌とは言わない。何とも現金な奴である。)と、ノーマルに成長することを喜ばなくては。

 そして、今、まさに子育て真っ最中の後輩たちには、声を大にして同じことを言っている私である。
 「楽しめるうちに子育てをうんと楽しんでおかないと!」と。

 新しい週が始まった。今日も梅雨はひと休み、陽射しはすっかり夏!の一日だった。朝から2回洗濯機を回してお弁当を3人分作ってフル回転。去年は7月8日に梅雨明けをしたというが、今年はもう少し遅れそうだという。
 職場を出る頃には、涼しい風が吹いて、とても爽やかだった。

 昨日一昨日と鋭気を養ったはずの週の初め。朝起きると胸骨周辺の痛みが鬱陶しい。いつかも感じた、息苦しいようなペタリと喉元に張り付いてせりあがってくるような痛みだ。
 ここのところ、ロキソニンのお世話にもならず、ずっと元気だったのだけれど、無理せず様子を見ながら過ごしたい。
コメント (4)
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2012.7.8 校友会音楽祭合唱練習、今年もスタート!

2012-07-08 22:37:44 | 合唱
 今年で連続4回目の参加となる校友会音楽祭。
 今日は午前中にちゃちゃっと掃除をして、先月末から始まって今日は2回目になる合唱練習に初参加してきた。これからコンスタントに隔週の練習を続けて、本番は10月中旬だ。
 8月以降の治療のスケジュールや副作用の程度によっては、当日舞台に立てるかどうかはまだわからないが、とりあえず練習だけには参加したい、と思っている。

 同期の友人が参加するか否か確認してはいなかったが、昨晩、同じパートの同期の友人からメールが入った。「参加することにしました。明日の練習には行きますか?」と。誰かには会えるだろうな、と思っていたが、ほっとした。彼女はこの合唱団以外にもあわせて3つ掛け持ちをしているとのことだから、そのパワーは大したものだ。
 日傘を片手に坂道を登って、いつもの練習場に向かう途中の見慣れた風景を確認しつつ、今年もまた練習に参加出来ることをしみじみ有り難いと思う。

 日曜日の午後、発声練習から始めて、間に2回ほどの休憩を挟んでも、合計4時間の練習。これは健康な人たちにとってもなかなかハードなものではないかと思う。今年もこれまでと同じ指揮者(彼も午前中別の合唱団の練習後、こちらで指揮者をやり、夜はまた別の合唱団の練習へ向かうという。何ともお疲れ様なことである。)の姿を見て、ああ、無事一年が経ったのだな、と感慨深かった。

 参加者名簿を見ると、登録しているのはソプラノで僅か7人ほど。今日は現役生が一人、助っ人に来てくれていたが、8期上の先輩が一人、20期下の後輩と同期の友人と私の合計5人だった。アルトは10人ほどの名前があったが、やはり出席者は7人ほどだったろうか。一人、ベビーカーに乗った4か月の赤ちゃん連れで歌っている後輩がいた。おばあちゃんと言ってもいい先輩が抱っこしたり、あやしたり。練習の合間に赤ちゃんの声が聞こえて、なんだかほんわかした気分になった。
 それにしても残念なことに、1年上のテナーの先輩以外は、年の近い先輩や後輩は誰も登録していなかった。うんと若い後輩と、かなり上の先輩だけで、中間が抜けた状態だ。同期はメールをくれたソプラノの友人だけ。ちょっぴり寂しいことだ。

 前回の練習では手が回らなかったというピアノ伴奏つきの2曲を、前半丁寧に時間をかけて歌う。ピアノ伴奏をしてくれたのは現役の男子学生さん。後半はアカペラの曲を中心に歌った。こうして合唱曲を歌うのは昨年10月の音楽祭以来だから、当然のことながら最初はろくに声など出ない。昨夜慌てて楽譜を見ながら、音取りのために用意されたCDをさらっと聴き流しただけの劣等生の私だ。今日は歌うというよりも、周りの人たちに歌ってもらって感じを掴むというのが目標だったのだが、自分ひとりで音取りをしながら口ずさむよりも、皆が歌うハーモニーの中に入れてもらうだけで、不思議と歌の中に入れてしまうのが嬉しい。

 次回の練習は2週間後。その頃には梅雨は明けている頃だろうか。
 こうして日曜に都心まで出かけて、贅沢にも自分の好きなことに時間を費やすことが出来るのも、「夕食の支度は任せて」と言ってくれる夫のおかげ。帰りにはご機嫌伺いのために、夫の好きな苺のケーキを買って帰った。

 鋭気を養った2日間が終わり、明日からまた新しい1週間が始まる。
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