ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.7.4 のぞみ225号に乗って・・・雅な夜を過ごす

2015-07-04 22:13:45 | 
 今日から京都にやってきている。息子が所属している合唱団のジョイントコンサートを聴くのが目的だ。乗ったのが奇しくものぞみ225号。あの衝撃的な焼身自殺事件があったのぞみ号である。
 今日は駅のアナウンスで、手荷物等不審物への注意喚起が繰り返されていた。
 巻き込まれて亡くなった女性のご冥福を祈りたい。お伊勢参りに行く途中だったと伺い、本当にやるせない思いである。生きていることは宙ぶらりん、明日、自分の身に何があるかわからないことを改めて想う。 
 ちょうど小田原を超えたあたりだ。トンネルの中で発生したらもっと大惨事になっていただろう、と今朝のニュースで話していた。この辺りだねと夫と言いながら、その時乗り合わせていた方たちがどれだけの恐怖の中にあったのかを想って胸が苦しくなる。

 さて、あいにくの曇天、ガスも濃く富士山を望むことは出来ず。今日の旅のお供は柴門ふみさんの「大人のための恋愛ドリル」(新潮文庫)。久々のサイモン節全開にニヤニヤしながら読み進む。京都駅では、相も変わらずホームにも構内にも修学旅行生たちが列をなしている。
 息子のコンサートは明日の夕方。「今日はリハーサル、明日は本番、明後日は授業だから今回は全く会えない(一緒に食事をする時間もとれない)けれどね」とのこと。それでも来てほしいという息子は何様なの?と腹を立てながらも、こうして夫婦雁首揃えてコンサートを聴きに来るのだから、馬鹿親と言われればそれ以外の何物でもない。それでも、息子の部屋の掃除や洗濯からも解放されている今回の旅のテーマは「見ぬもの清し!の夫婦お気楽旅」である。
 
 そんなわけで、息子からつれなく振られた私達。今日は夕方から「京の夏の旅 宮廷鵜飼と夕景の嵐山」の観光バスを予約した。かつて平安王朝の貴族たちが優雅な舟遊びとして楽しんだという宮廷鵜飼船に乗船し、夏の夜の古典絵巻・鵜飼を楽しむことが出来るという夏季限定のコースだ。
 就職してすぐの頃、長良川の鵜飼を経験したことがあったが、夫は鵜飼を見るのは初めて。あいにくの雨降りで、ツアーキャンセルになるかもしれないということだったので、連絡を待ちながらホテルの部屋でギリギリまでお茶をしながらのんびり。
 この位なら催行しますということで、44人乗りの大型バスに乗り込んだ果敢な14名様御一行が定刻通りに駅を出発、一路嵐山を目指す。このところ嵐山には何度も訪れているが、夕方にやってくるのは初めて。いいお天気だったらさぞや夕焼けが綺麗だったろうな、とちょっと残念。
 土砂降りの中、バスガイドさんを先頭に渡月橋を渡り、嵐山山腹にあり十三詣りで有名な古刹・法輪寺へ向かう。約100段の石段を登れば、境内から京都市内の素晴らしい眺望が望めるとのことで、しんがりを決め込んでゆっくり歩く。ご本尊の虚空蔵菩薩は京都の人々から「嵯峨の虚空蔵さん」と呼び親しまれているそうだが、参拝は出来ず。境内からはお天気が良ければ嵯峨野一帯から市内は京都タワーまで見晴らせるというが、今回は残念ながら靄でけぶってわからない。

 その後、夕食前に若き鵜匠による鵜飼の説明を聞く。腰ミノに黒い衣装で、籠には一羽、やんちゃ盛りの5,6歳という鵜を連れて登場。クリッとした目で愛嬌があり、喉はまるでペリカンのようによく伸びる。質問タイムとツーショットタイムを終えて、夕食は川畔に店を構える明治30年創業の老舗料理旅館で玉手箱のような京料理に舌鼓。ちょうど七夕祭りを控えており、店内にあった笹飾りに夫と2人短冊にお願いを書いてつるしてきた。

 お腹を満たしたところで、宮廷鵜飼船が停泊する川縁へ向かう。パンフレットには、船頭さんは貴族に仕える白丁の平安装束姿を基調とした衣に烏帽子を付けた姿で船を操るとあったが、残念ながら雨降りなのでレインコート姿。船は紫や赤の幕で王朝風に装飾されて、御簾と鵜が描かれた吊灯籠が掲げられている。雨よけのビニールカバーがちょっと無粋だ。
 漕ぎ出した宮廷鵜飼船は他の鵜飼見物船と縦列駐車のような形になって、上流から鵜船がやってくるのを待つ。船べりを叩く音と「ホウホウ」という声が響いて、篝火を炊いた鵜船がやってくる。まだ薄明るい中、幻想的で幽玄な光景である。船べりを「コンコン」と叩くのは、夜になって眠りにつきそうな川魚を起こすためで、「ホウホウ」という声は、鵜を励ますための鵜匠による掛け声だそう。
 鵜匠は一人で5羽の鵜を手縄で操り、鵜は、篝火の光で起こされ集まってくる鮎を捕らえる。鵜船には、鵜匠・なか乗り・とも乗りと呼ばれる3名が乗船している。鵜船のへさきには篝をぶら下げるための篝棒が取り付けられている。
 2艘の鵜船が見物船の右側、左側を2往復したが、鮎を捕らえた鵜は、鵜匠によって鵜船へ手繰り寄せられ、喉を首結されるので、飲み込まれた鮎は喉で止まったまま。鵜は捕った鮎を籠に吐き出さされ、また川へと戻される。川魚は、鵜に飲み込まれると、鵜の喉の中で気絶するため鮮度が良いそうだけれど、雅な遊びとはいえちょっと残酷か。鵜が喉を首結されることは、それほど苦しくないという説明だったけれど・・・。

 小一時間の遊覧を終えて対岸に着いた船を降り、再び土砂降りの中バスの駐車場へ戻る。京都駅を経由して私達が宿泊するホテルまで送って頂けた。渋滞もなく予定より30分以上早い戻りで有難いことだ。
 明日もお天気は悪いのだろうか。
コメント
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