日経新聞の医療サイト日経Goodayに連載中の「がんに負けない患者力」が興味深い。
聴き手はご自身も肺がん四期の山岡鉄也さん。最新号は宮崎善仁会病院 消化器内科・腫瘍内科医師でおられる押川先生のインタビュー2回目。治療をうまく継続させるための7つの習慣もなるほどな、と思った。
このところ、新聞記事の引用が続いて少々気が引けるところもあるが、皆様にも合点して頂けるものと思って、長文ではあるが、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
がんに負けない患者力 押川勝太郎「『先生にお任せします』と言わないで」がん治療をうまく継続させるための7つの習慣(2015/7/2 押川勝太郎=宮崎善仁会病院 消化器内科・腫瘍内科医師)
「『お任せ』患者の治療成績は概して良くない」
「お任せします」という考え方は、昔のように治療の選択肢がなく、患者さんにも知識や情報がない時代の名残だと思います。医療者側に頼ることしかなかったわけですから。 しかし、現代は治療法の選択肢が増え、一方で患者さんのライフスタイルや要望も多様になってきました。こんな時代に、医師に「お任せします」と言ってしまうのは、患者さんが自ら努力を放棄することと同じです。実際、「先生にすべてお任せします」と言う患者さんは治療成績があまりよくないんですよ。
医師が患者さんにとって一番良い、一番負担が軽い治療法を選んでくれると期待する半面、他人任せになって、病気や治療について知ろう・学ぼう、医師と積極的にコミュニケートしようという意欲が起こらなくなってしまうからです。
がん治療においては、医師と患者さんとのコミュニケーションが大切( 参考記事:1回目インタビュー「治療のつらさは遠慮せずに伝えてほしい」)です。医者任せにしてしまう患者さんは、副作用も主治医に伝えきれず、我慢する傾向が強い。
嘔吐や脱毛といった副作用が辛くなってくると、病気について深く学んでいないだけに、だんだん不満も溜まってくる。そして最後に、「こんなはずじゃなかった!」と、治療を止めてしまう。結果的に、治療成績も悪くなりがちなのです。
「がんになったことは人生の一部に過ぎない」
「がんになってしまったこと」は人生のすべてではなく、あくまでも一部に過ぎません。いままでの生活を継続し、がんになったことも含めて人生を楽しまないと、がんを治療する意味がなくなってしまうと思います。共同勉強会では、ビジネス書や自己啓発本を参考にしながら考えた7つのコツを紹介しています。
第1の習慣 「今日、一日の区切りで生きよ」
デール・カーネギーの著書『道は開ける』の言葉です。
がんと診断されると、「あと、どのくらい生きられるのだろう…」と、将来を悲観するばかりの患者さんが多くいます。でも、患者さんにとっても、患者でない人にとっても、「今日」という日に与えられた時間は同じ。今日、やらなくてはいけないことに集中しているうちに、がんに関する悩みを忘れ、充実した1日を送ることができます。それが明日につながります。
第2の習慣 「将来に展望を持つ」
ヴィクトール・E・フランクルの著書『夜と霧』からの言葉です。第一の習慣が短期的な目標なのに対して、こちらでは長期的な目標も大切である、というメッセージを込めています。
『夜と霧』(原題「心理学者、強制収容所を体験する」)では、心理学者で精神科医だった著者が、第二次世界大戦時のヨーロッパで多くの命が失われたユダヤ人強制収容所を生き延びた経験がまとめられています。
その中で著者は、極限状態に置かれた収容所では、性別、年齢、体力に関係なく、将来の展望を描けた人間こそが生き長らえたとつづっています。つまり、絶望を感じる生活の中でも、最後に生きる力を与えてくれたのは「未来に希望を持つこと」「今の苦しみに意味を見出すこと」でした。
がん治療も同じだと思います。例えば、「普通の人と同じように人生を楽しむ時間を確保する」という長期目標を持つからこそ、治療が苦しいものであっても、なんとかうまくいくように、勉強して副作用や体調悪化に備えることができます。
第3の習慣 「学習する」
ここでいう、学習は「経験を通じてその知識や技能を獲得すること」と置き換えることができます。
がんの治療では、鎮痛薬や制吐薬、抗不安薬などを適宜使っていきます。それぞれの薬は5~6種類ずつあるので、使った時の効果と副作用などを参考に、薬を選ばなくてはいけません。実際に使ってもらって初めて、その患者さんに合った使い方が分かります。要するに、効果のほどや副作用などの“経験”を、以降の薬の使い方に生かすことができるのです。
また、診察室で医師から聞いた話が覚えきれないことに悩んでいたら、ノートを持参しメモするといった工夫もぜひ行ってほしいです。自らの経験を生かした学習は、習慣付けば次々とアイデアが浮かび、がん治療の改善にとどまらず、自分の人生を良くするための連鎖反応を生み出していくはずです。
第4の習慣 「目標を設定する」
小さな目標でも紙に書いて、それを達成するように心掛けてください。その記録があなたの自信につながります。例えば、「最初の頃に比べたら不安が減って、自信がついてきた」であれば、がん治療を通して心理面が成長したとわかります。決して、我慢してきただけではなかったと思えるでしょう。
人間は最後の最後まで成長できます。それに気付くことも、治療では大切です。
「治療に専念するのはもったいない」
そうですね。たまに、「今は治療に専念したい」とおっしゃる患者さんにお目にかかります。がんの治療は確実にうまくいく保証はありませんし、限られた人生の時間を、治療だけに費やすのは非常にもったいないと私は思うのです。
第5の習慣 「仕事をすること」
人間には「自分自身が何かの役立っている」という実感が必要です。誰でもどんな状況でも、その人にしかできない役目があるはずです。がんなのに仕事なんて…と思うかもしれませんが、仕事をしないと、(1)日々の充実感が奪われ、自信喪失につながる(2)意欲や筋力、体力が落ちる(3)四六時中がんのことが頭から離れにくくなる―といったデメリットが生じてしまいます。
例えば、「治療を受けているだけで、家族のお荷物になっている」と思っている人は、空き時間にお孫さんの相手をするだけで、子ども夫婦が自分たちの時間をつくることをサポートできます。がんの治療以外に何か役目を果たすことで、「誰かが自分を待っていることを思い出すこと」につながり、治療することの意味を見いだせるようになります。
第6の習慣 「笑い」
以前、共同勉強会のメンバーに落語のCDを貸し出して大笑いしてもらったことがあります。人間、笑うのと同時に悩むことはできません。
例えば、がんの告知でショックを受けても、時間経過とともに精神的苦痛が緩和されていくことが調査で分かっています。毎日の生活や仕事、果たすべき義務があるのですから、いつまでも悲嘆にくれているわけにはいきません。陰鬱な気分をなんとかしないと、人生そのものが台無しになってしまいます。そこで特効薬になるのが「笑い」なのです。
思い切り笑った後は、抱えていた問題が解決したわけではなくても、すっきりした気分になる効用もよく知られています。私も多忙で、仕事上の問題から憂鬱になっている時に、車でその落語を聞いて大笑いした後、とてもすっきりして、なんで自分はあんなに深刻になっていたのだろうと思った経験がありました。
もちろん医学的にうつ状態であれば、専門的なカウンセリングや薬物療法も有用でしょう。しかし「笑い」という大きな武器は見過ごされがちです。
第7の習慣 「仲間をつくる」
人生には、自分の力だけではどうしようもないことがあります。そんなとき、仲間は泥沼から自分を引き上げてくれます。
特に、患者同士は、お互いが同じようにがん治療を乗り越えた戦友です。そんな仲間が気を遣ってくれることは、すごく有り難く感じるものです。一方で自分の体験や教訓を伝えることで、他の人の治療に役立つという貢献にもつながります。
7つの習慣に込められた押川さんの思いとは
がんにかかる人の数が増え、がんを克服する人もまた増えている現在、がん治療はもはや特別なことではなくなりつつあります。にもかかわらず、みなさん、「がんになった」と知ったとたんに、悲嘆に暮れて、その場に立ち止まってしまいます。7つの習慣には、「がんにまつわる悩みやつらさは、医学的な治療だけでは解決しない」「自分の心の持ちようによって、がんになっても充実した時間を過ごすことができる」ということに気付いてほしいという思いを込めました。
がん患者さんと接していて気付いたのは、「幸せ」とは、その人がどのような状況に置かれているかではなく、その状況から上を向くか下を向くかによって感じ方が変わるということです。どん底にいるときは、ちょっと状況が上向きになっただけで、目の前が開けた感じがします。
(転載終了)※ ※ ※
そう、いつかもここで記事にしたことがあるが、「お任せします」なんて言ってしまうなんてことはありえないのではないか。誰のものでもない自分の身体、自分のたった一回きりの人生、そんなに簡単に他人(ひと)様である主治医にお任せにしてしまってよいわけがない。色々な情報がかつてよりうんと容易く、私たち患者にも手に入る時代になったのだ。活用しなければ絶対に嘘だと思う。
もちろん、私のように40代前半ではなく、親の年代になって病を得たというのであれば、情報をゲットするための努力が出来て当然、というのは酷な話だと思う。けれど、働き盛りで、自己決定が十分に出来る年齢だったら、決して後悔しないように、どんな結果が待っていようともそのことを誰かのせいにしないように、しっかり調べて自分が納得する治療を受けるべきではないか、と思う。
そして、副作用についても我慢しないできちんと訴えて相談することが大切だと思う。大きな病院で短時間の診察時間では難しいかもしれないけれど、こちらが準備をして真剣に訴えたことを無視して平気な医療者はそうはいないのではないか。
言わなければ分からないことは沢山あるし、副作用の出方は本当に人それぞれ。他の人はこんな些細なことまで言わないかもしれない、などと遠慮している場合ではない。自分がいかに心穏やかに今までどおりの生活を続けていけるか、が懸かっているのだ。
そのためには、そうして声に出して訴えることも努力のひとつなのではないか。もちろん、辛い副作用が全てスッキリ取りきれなくとも、辛さを軽減することは出来る筈だ、と思う。
これまた何度も書いているけれど、がんになったからといってその後の自分の人生を全て明け渡すわけではない。そして24時間いつも患者100%であるわけでもない。色々な役割、色々な立場のひとつとして、がんという病との共存がある。
もちろん、これも初期治療の手術入院中など、治療専念せざるを得ない期間はあるから、患者という役割に徹しなければならない時間はそれ相応にあるけれど、それでもこの病気と長く付き合っていく上では、そうした専念する時間よりも患者以外の立場で過ごしている時間のほうがずっと長いのである。
7つの習慣をひとつずつ見ていこう。
「今日一日の区切りで生きる」-口で言うほど容易くはないけれど、それでも今日という日は誰にとっても唯一無二。明日があるかどうかは神のみぞ知る。だからこそ、たとえ今日という日が最後の日になろうとも、その日その日を出来るだけ大切に暮らしていきたい。それを繰り返し積み重ねていくことができれば、思えば遠くへ来たものだ、と言えるくらいの遠い明日に辿り着くことが出来て、振り返って幸せを感じられるのではないか。これはがん患者に限ったことではないと思う。
「将来に展望を持つ」-先生が例に出しておられるとおり、再発進行乳がんと共存する私の今の目標は「今までどおり、否、今まで以上に人生を楽しむ時間を確保する」というものだ。この目標を持つからこそ、たとえ治療が苦しいものであっても、なんとかうまくいくように、勉強して副作用や体調悪化に備えることができている。当然今までどおり、ということだから人生を楽しむ時間には仕事を続けることが含まれる。
「学習する」-ブログを書くことはこのことに役立っていると思う。自分の備忘録として副作用等を事細かに記すことができるからだ。そして、当然のことながら診察の時にはノート持参。日々の体調メモや薬、血圧を書きとめているマイHP(Hospital)ノートももう8冊目に入った。診察時に先生から頂いたコメントは、自分だけが読める文字(つまり汚い字)でメモしてくる。そして、帰宅後治療日記に変えている。だから、このブログの治療日記は私のがん治療における学習の財産であると思う。
「目標を設定する」-大それた目標ではないし、繰り返しになるけれど、今の私の目標は少しでも長くこの病気と共存し生きながらえること。細く長くしぶとく、がモットーである。かつてに比べれば我慢強くなった、というよりもおおらかに(いい加減に)受け容れることが得意になり、その分他人様への目が優しくなったように思う。
「仕事をすること」-初発治療と術後補助治療での2ヶ月の病欠、再発後タキソテール治療時の半年の休職、EC治療による緊急入院で1週間の病欠はあったけれど、それ以外はこの7年半の間、日単位の通院休暇でフルタイムの仕事を続けることが出来ている。これは言うまでもなく私一人の奮闘努力などではなく、職場の上司、同僚、家族をはじめ沢山の方たちの理解と協力の賜物であり、本当に恵まれていることだ。感謝してもし過ぎることはない。そして仕事だけではなく、家事も(得意ではないし、好きでもないから、手抜きだといわれれば返す言葉もないレベルだけれど)ごく普通に続けている。それなりに役に立っている、と思いたい。
「笑い」-笑うことで脳からは幸せホルモンセロトニンが分泌される。それは無理に笑っても大丈夫、効果は変わらないという。だからこそ毎朝鏡の前でニッコリ。そしてヨガでもそうした笑いのポーズはごく大げさに。けれど、そんなことをしなくても、日常に自然に溢れてくる笑いは沢山ある。眉間に皺を寄せた顔よりも笑顔がきっとまた明るい未来をもってきてくれる、と信じている。
「仲間をつくる」-これも何度も書いているけれど、タキソテールの治療が一段落して、これから長い治療を続けていく上で、本音で話せる患者仲間がほしいー心底そう思った。そして、患者会で大切なお友達が出来た。もちろん、このブログを通じても数多くのお友達が出来た。辛いお別れもあったけれど、一人ではない、ということは治療を続けていく上で本当に心強いことである。だからこそ、こうしてブログを書くこともどこかのどなたかのお役に立てるかもしれない、一人ではない、辛いのは私だけではないと思っていただくことが出来るなら嬉しい、ということで今日も書き続けている。
そんなわけで、私は今日も小さな幸せを感じながらごくごく普通の生活を続けることが出来ている。有難いことである。
今日は七夕。あいにくの雨模様になった。夕方、患者会のお友達からの訃報にも接して、塞いだ気持ちで帰宅すると、今月1回目のお花が届いていた。向日葵が5本、薄緑のアワと、大きな葉をつけた南国の赤いヘリコニアが2本ずつ。花言葉はそれぞれ「あこがれ」、「調和」、「風変りな人」だという。3週間ぶりなので嬉しい。梅雨空に少しだけ夏を感じ、沈んだ心が華やいだ。
聴き手はご自身も肺がん四期の山岡鉄也さん。最新号は宮崎善仁会病院 消化器内科・腫瘍内科医師でおられる押川先生のインタビュー2回目。治療をうまく継続させるための7つの習慣もなるほどな、と思った。
このところ、新聞記事の引用が続いて少々気が引けるところもあるが、皆様にも合点して頂けるものと思って、長文ではあるが、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
がんに負けない患者力 押川勝太郎「『先生にお任せします』と言わないで」がん治療をうまく継続させるための7つの習慣(2015/7/2 押川勝太郎=宮崎善仁会病院 消化器内科・腫瘍内科医師)
「『お任せ』患者の治療成績は概して良くない」
「お任せします」という考え方は、昔のように治療の選択肢がなく、患者さんにも知識や情報がない時代の名残だと思います。医療者側に頼ることしかなかったわけですから。 しかし、現代は治療法の選択肢が増え、一方で患者さんのライフスタイルや要望も多様になってきました。こんな時代に、医師に「お任せします」と言ってしまうのは、患者さんが自ら努力を放棄することと同じです。実際、「先生にすべてお任せします」と言う患者さんは治療成績があまりよくないんですよ。
医師が患者さんにとって一番良い、一番負担が軽い治療法を選んでくれると期待する半面、他人任せになって、病気や治療について知ろう・学ぼう、医師と積極的にコミュニケートしようという意欲が起こらなくなってしまうからです。
がん治療においては、医師と患者さんとのコミュニケーションが大切( 参考記事:1回目インタビュー「治療のつらさは遠慮せずに伝えてほしい」)です。医者任せにしてしまう患者さんは、副作用も主治医に伝えきれず、我慢する傾向が強い。
嘔吐や脱毛といった副作用が辛くなってくると、病気について深く学んでいないだけに、だんだん不満も溜まってくる。そして最後に、「こんなはずじゃなかった!」と、治療を止めてしまう。結果的に、治療成績も悪くなりがちなのです。
「がんになったことは人生の一部に過ぎない」
「がんになってしまったこと」は人生のすべてではなく、あくまでも一部に過ぎません。いままでの生活を継続し、がんになったことも含めて人生を楽しまないと、がんを治療する意味がなくなってしまうと思います。共同勉強会では、ビジネス書や自己啓発本を参考にしながら考えた7つのコツを紹介しています。
第1の習慣 「今日、一日の区切りで生きよ」
デール・カーネギーの著書『道は開ける』の言葉です。
がんと診断されると、「あと、どのくらい生きられるのだろう…」と、将来を悲観するばかりの患者さんが多くいます。でも、患者さんにとっても、患者でない人にとっても、「今日」という日に与えられた時間は同じ。今日、やらなくてはいけないことに集中しているうちに、がんに関する悩みを忘れ、充実した1日を送ることができます。それが明日につながります。
第2の習慣 「将来に展望を持つ」
ヴィクトール・E・フランクルの著書『夜と霧』からの言葉です。第一の習慣が短期的な目標なのに対して、こちらでは長期的な目標も大切である、というメッセージを込めています。
『夜と霧』(原題「心理学者、強制収容所を体験する」)では、心理学者で精神科医だった著者が、第二次世界大戦時のヨーロッパで多くの命が失われたユダヤ人強制収容所を生き延びた経験がまとめられています。
その中で著者は、極限状態に置かれた収容所では、性別、年齢、体力に関係なく、将来の展望を描けた人間こそが生き長らえたとつづっています。つまり、絶望を感じる生活の中でも、最後に生きる力を与えてくれたのは「未来に希望を持つこと」「今の苦しみに意味を見出すこと」でした。
がん治療も同じだと思います。例えば、「普通の人と同じように人生を楽しむ時間を確保する」という長期目標を持つからこそ、治療が苦しいものであっても、なんとかうまくいくように、勉強して副作用や体調悪化に備えることができます。
第3の習慣 「学習する」
ここでいう、学習は「経験を通じてその知識や技能を獲得すること」と置き換えることができます。
がんの治療では、鎮痛薬や制吐薬、抗不安薬などを適宜使っていきます。それぞれの薬は5~6種類ずつあるので、使った時の効果と副作用などを参考に、薬を選ばなくてはいけません。実際に使ってもらって初めて、その患者さんに合った使い方が分かります。要するに、効果のほどや副作用などの“経験”を、以降の薬の使い方に生かすことができるのです。
また、診察室で医師から聞いた話が覚えきれないことに悩んでいたら、ノートを持参しメモするといった工夫もぜひ行ってほしいです。自らの経験を生かした学習は、習慣付けば次々とアイデアが浮かび、がん治療の改善にとどまらず、自分の人生を良くするための連鎖反応を生み出していくはずです。
第4の習慣 「目標を設定する」
小さな目標でも紙に書いて、それを達成するように心掛けてください。その記録があなたの自信につながります。例えば、「最初の頃に比べたら不安が減って、自信がついてきた」であれば、がん治療を通して心理面が成長したとわかります。決して、我慢してきただけではなかったと思えるでしょう。
人間は最後の最後まで成長できます。それに気付くことも、治療では大切です。
「治療に専念するのはもったいない」
そうですね。たまに、「今は治療に専念したい」とおっしゃる患者さんにお目にかかります。がんの治療は確実にうまくいく保証はありませんし、限られた人生の時間を、治療だけに費やすのは非常にもったいないと私は思うのです。
第5の習慣 「仕事をすること」
人間には「自分自身が何かの役立っている」という実感が必要です。誰でもどんな状況でも、その人にしかできない役目があるはずです。がんなのに仕事なんて…と思うかもしれませんが、仕事をしないと、(1)日々の充実感が奪われ、自信喪失につながる(2)意欲や筋力、体力が落ちる(3)四六時中がんのことが頭から離れにくくなる―といったデメリットが生じてしまいます。
例えば、「治療を受けているだけで、家族のお荷物になっている」と思っている人は、空き時間にお孫さんの相手をするだけで、子ども夫婦が自分たちの時間をつくることをサポートできます。がんの治療以外に何か役目を果たすことで、「誰かが自分を待っていることを思い出すこと」につながり、治療することの意味を見いだせるようになります。
第6の習慣 「笑い」
以前、共同勉強会のメンバーに落語のCDを貸し出して大笑いしてもらったことがあります。人間、笑うのと同時に悩むことはできません。
例えば、がんの告知でショックを受けても、時間経過とともに精神的苦痛が緩和されていくことが調査で分かっています。毎日の生活や仕事、果たすべき義務があるのですから、いつまでも悲嘆にくれているわけにはいきません。陰鬱な気分をなんとかしないと、人生そのものが台無しになってしまいます。そこで特効薬になるのが「笑い」なのです。
思い切り笑った後は、抱えていた問題が解決したわけではなくても、すっきりした気分になる効用もよく知られています。私も多忙で、仕事上の問題から憂鬱になっている時に、車でその落語を聞いて大笑いした後、とてもすっきりして、なんで自分はあんなに深刻になっていたのだろうと思った経験がありました。
もちろん医学的にうつ状態であれば、専門的なカウンセリングや薬物療法も有用でしょう。しかし「笑い」という大きな武器は見過ごされがちです。
第7の習慣 「仲間をつくる」
人生には、自分の力だけではどうしようもないことがあります。そんなとき、仲間は泥沼から自分を引き上げてくれます。
特に、患者同士は、お互いが同じようにがん治療を乗り越えた戦友です。そんな仲間が気を遣ってくれることは、すごく有り難く感じるものです。一方で自分の体験や教訓を伝えることで、他の人の治療に役立つという貢献にもつながります。
7つの習慣に込められた押川さんの思いとは
がんにかかる人の数が増え、がんを克服する人もまた増えている現在、がん治療はもはや特別なことではなくなりつつあります。にもかかわらず、みなさん、「がんになった」と知ったとたんに、悲嘆に暮れて、その場に立ち止まってしまいます。7つの習慣には、「がんにまつわる悩みやつらさは、医学的な治療だけでは解決しない」「自分の心の持ちようによって、がんになっても充実した時間を過ごすことができる」ということに気付いてほしいという思いを込めました。
がん患者さんと接していて気付いたのは、「幸せ」とは、その人がどのような状況に置かれているかではなく、その状況から上を向くか下を向くかによって感じ方が変わるということです。どん底にいるときは、ちょっと状況が上向きになっただけで、目の前が開けた感じがします。
(転載終了)※ ※ ※
そう、いつかもここで記事にしたことがあるが、「お任せします」なんて言ってしまうなんてことはありえないのではないか。誰のものでもない自分の身体、自分のたった一回きりの人生、そんなに簡単に他人(ひと)様である主治医にお任せにしてしまってよいわけがない。色々な情報がかつてよりうんと容易く、私たち患者にも手に入る時代になったのだ。活用しなければ絶対に嘘だと思う。
もちろん、私のように40代前半ではなく、親の年代になって病を得たというのであれば、情報をゲットするための努力が出来て当然、というのは酷な話だと思う。けれど、働き盛りで、自己決定が十分に出来る年齢だったら、決して後悔しないように、どんな結果が待っていようともそのことを誰かのせいにしないように、しっかり調べて自分が納得する治療を受けるべきではないか、と思う。
そして、副作用についても我慢しないできちんと訴えて相談することが大切だと思う。大きな病院で短時間の診察時間では難しいかもしれないけれど、こちらが準備をして真剣に訴えたことを無視して平気な医療者はそうはいないのではないか。
言わなければ分からないことは沢山あるし、副作用の出方は本当に人それぞれ。他の人はこんな些細なことまで言わないかもしれない、などと遠慮している場合ではない。自分がいかに心穏やかに今までどおりの生活を続けていけるか、が懸かっているのだ。
そのためには、そうして声に出して訴えることも努力のひとつなのではないか。もちろん、辛い副作用が全てスッキリ取りきれなくとも、辛さを軽減することは出来る筈だ、と思う。
これまた何度も書いているけれど、がんになったからといってその後の自分の人生を全て明け渡すわけではない。そして24時間いつも患者100%であるわけでもない。色々な役割、色々な立場のひとつとして、がんという病との共存がある。
もちろん、これも初期治療の手術入院中など、治療専念せざるを得ない期間はあるから、患者という役割に徹しなければならない時間はそれ相応にあるけれど、それでもこの病気と長く付き合っていく上では、そうした専念する時間よりも患者以外の立場で過ごしている時間のほうがずっと長いのである。
7つの習慣をひとつずつ見ていこう。
「今日一日の区切りで生きる」-口で言うほど容易くはないけれど、それでも今日という日は誰にとっても唯一無二。明日があるかどうかは神のみぞ知る。だからこそ、たとえ今日という日が最後の日になろうとも、その日その日を出来るだけ大切に暮らしていきたい。それを繰り返し積み重ねていくことができれば、思えば遠くへ来たものだ、と言えるくらいの遠い明日に辿り着くことが出来て、振り返って幸せを感じられるのではないか。これはがん患者に限ったことではないと思う。
「将来に展望を持つ」-先生が例に出しておられるとおり、再発進行乳がんと共存する私の今の目標は「今までどおり、否、今まで以上に人生を楽しむ時間を確保する」というものだ。この目標を持つからこそ、たとえ治療が苦しいものであっても、なんとかうまくいくように、勉強して副作用や体調悪化に備えることができている。当然今までどおり、ということだから人生を楽しむ時間には仕事を続けることが含まれる。
「学習する」-ブログを書くことはこのことに役立っていると思う。自分の備忘録として副作用等を事細かに記すことができるからだ。そして、当然のことながら診察の時にはノート持参。日々の体調メモや薬、血圧を書きとめているマイHP(Hospital)ノートももう8冊目に入った。診察時に先生から頂いたコメントは、自分だけが読める文字(つまり汚い字)でメモしてくる。そして、帰宅後治療日記に変えている。だから、このブログの治療日記は私のがん治療における学習の財産であると思う。
「目標を設定する」-大それた目標ではないし、繰り返しになるけれど、今の私の目標は少しでも長くこの病気と共存し生きながらえること。細く長くしぶとく、がモットーである。かつてに比べれば我慢強くなった、というよりもおおらかに(いい加減に)受け容れることが得意になり、その分他人様への目が優しくなったように思う。
「仕事をすること」-初発治療と術後補助治療での2ヶ月の病欠、再発後タキソテール治療時の半年の休職、EC治療による緊急入院で1週間の病欠はあったけれど、それ以外はこの7年半の間、日単位の通院休暇でフルタイムの仕事を続けることが出来ている。これは言うまでもなく私一人の奮闘努力などではなく、職場の上司、同僚、家族をはじめ沢山の方たちの理解と協力の賜物であり、本当に恵まれていることだ。感謝してもし過ぎることはない。そして仕事だけではなく、家事も(得意ではないし、好きでもないから、手抜きだといわれれば返す言葉もないレベルだけれど)ごく普通に続けている。それなりに役に立っている、と思いたい。
「笑い」-笑うことで脳からは幸せホルモンセロトニンが分泌される。それは無理に笑っても大丈夫、効果は変わらないという。だからこそ毎朝鏡の前でニッコリ。そしてヨガでもそうした笑いのポーズはごく大げさに。けれど、そんなことをしなくても、日常に自然に溢れてくる笑いは沢山ある。眉間に皺を寄せた顔よりも笑顔がきっとまた明るい未来をもってきてくれる、と信じている。
「仲間をつくる」-これも何度も書いているけれど、タキソテールの治療が一段落して、これから長い治療を続けていく上で、本音で話せる患者仲間がほしいー心底そう思った。そして、患者会で大切なお友達が出来た。もちろん、このブログを通じても数多くのお友達が出来た。辛いお別れもあったけれど、一人ではない、ということは治療を続けていく上で本当に心強いことである。だからこそ、こうしてブログを書くこともどこかのどなたかのお役に立てるかもしれない、一人ではない、辛いのは私だけではないと思っていただくことが出来るなら嬉しい、ということで今日も書き続けている。
そんなわけで、私は今日も小さな幸せを感じながらごくごく普通の生活を続けることが出来ている。有難いことである。
今日は七夕。あいにくの雨模様になった。夕方、患者会のお友達からの訃報にも接して、塞いだ気持ちで帰宅すると、今月1回目のお花が届いていた。向日葵が5本、薄緑のアワと、大きな葉をつけた南国の赤いヘリコニアが2本ずつ。花言葉はそれぞれ「あこがれ」、「調和」、「風変りな人」だという。3週間ぶりなので嬉しい。梅雨空に少しだけ夏を感じ、沈んだ心が華やいだ。