生き生き箕面通信

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生き生き箕面通信195 ・「天安門事件」20周年――いつまで民主化を抑え込むのでしょうか

2009-06-04 06:17:52 | 日記
おはようございます。
生き生き箕面通信195(090604)をお届けします。

・「天安門事件」20周年――いつまで民主化を抑え込むのでしょうか
 本日6月4日は、あの「天安門事件」から20周年です。あの日、天安門広場は民主化を求めて全国から集まった100万人ともいわれる人々で埋め尽くされ、騒然とし熱気に包まれていました。

 いま中国は、日本をしのぐ巨額の米国債を保有する形でアメリカの首根っこを押さえるまでに「経済大国」として世界をリードし始めました。共産党の一党独裁で圧倒的な武装集団・人民解放軍の力を背景に全国を支配し、周辺諸国にもチベットの状況を見せ付けていることからは”政治大国”ともいえましょう。

 それだけ世界への影響力を強めているのですから、私たちとしても、中国の動向、とくに「民主化が進むのか」「世界の平和と安定」について、どのような方向をとるのか大きな関心を持たざるをえません。そこで、民主化のチャンスが、戒厳令によってつぶされた「天安門事件」を振り返っておきたいと思います。中国国内では”事件の隠蔽と抹殺”が進んで、北京などでは事件を知る若者層はほとんどいないというところまで来ているそうですが。(*以下はウイキペディアの情報をもとにつくりました)

 時代は、ソ連に登場したゴルバチョフ大統領が「ぺロストロイカ」という改革路線を進め、いわゆる”東側”に改革の波が押し寄せている時でした。ゴルバチョフさんは中ソ対立の終結のために、事件の半月前、1989年5月にデモ一色の北京を訪問。そのときも、民主化を求めるデモ隊の数は、膨れ上がり、その後100万人を超えたともいわれる状況でした。

 当時の趙紫陽・総書記は改革派で、学生たちの行動を「愛国的」と評価し、保守派と対立、そのなかで学生たちと話し合いを持ちながら、自体の収束をはかり、「涙ながらの直接対話」も持ったのですが、学生たちは天安門広場での座り込みを解こうとせず、逆にハンガーストライキへエスカレートしようとなったのです。

 実は、事件の3年前に総書記に就いた胡耀邦が「百花斉放・百花争鳴」の民主化路線を進めていたのですが、それが特権や利権をおびやかされると感じた保守派の反発で失脚させられ、事件の2か月ほど前に急死。学生の一部が「追悼集会」をひらいたことから、党中央がそれを批判、次第にエスカレートしていきました。

 共産党が分裂するかという緊張した場面で、事実上の最高権力者、小平が裁断を下し「戒厳令」を布告、人民軍を投入し、戦車で広場の学生を排除したのでした。多数の死者が出た模様ですが、中国は「数人程度」と発表しただけで、この件はタブーとして以後一切触れさせないことにし、いまも歴史に厳重なフタをして闇のなかにあります。

 比較的自由がある香港では「追悼集会」が開かれ、「事件を風化させるな」と受け継がれていますが、肝心の北京では、学生ですら「天安門事件?そんなものありませんよ」といって、就職活動に関心は移っているそうです。

 そして、この国は一党独裁のまま、「世界の覇権」を求めて動き出しました。もうアメリカでもどうにもなりません。この動きについては、また別の機会に考えてみたいと思います。


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