いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第469週

2023年11月11日 18時19分31秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第469週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

▼ 2023/11/11の昭和記念公園

■ 今週の「とっとくポイント

■ 今週の葉付き

■ 今週本屋でみた本と今週の<荊の簪を挿した御方>のおやつ

なぜ女の子はさつまいもが好きかについて」。

  焼き芋とドーナツ  Amazon

■ 猫たちが食い尽された街、サンクトペテルブルグの今の猫たち

愚記事で、「猫たちが食い尽された街へ;サンクトペテルブルグ参拝」がある。シンクロ行動する現世の猫の動画があった。13秒なので、見やすい。かつて食い尽された犬も元気だとわかる。

■ 今週の載せたもののてんまつ

すかいらーくグループのジョナサンに行って、猫ロボットから注文品を受け取った。載せたものが転倒した。

 ピンぼけです。

ジョナサン プリンノセターノ

■ 今週の「フェンスの向こうのアメリカ」、あるいは、世界最大だとOG/aussieがいうのだ

ピンボケです。横浜線を走行する電車内から撮った米陸軍相模原補給廠 [wiki]。英語では、general depot [wiki]。

補給廠とは兵器整備工場のこと。日本では工廠といった。補給とかあるから、気づかなかったのだが、この米陸軍相模原補給廠、占領時代には世界最大(級)の兵器整備工場だったらしい。もっとも、1970年代初頭のベトナム戦争の頃までは操業は活発であった(愚記事:忠米外交官 松田慶文 さんはその後どうなったのか? 相模原戦車輸送阻止闘争 - 1972)。

OG/aussieがいうのだ;

 ソース

1956年、その帽子でそれとわかる豪兵が、米陸軍相模原補給廠、当時はYokohama Depoと呼称していた、を訪問した時の写真。つばなしの帽子をかぶって説明しているの人は米兵。その説明書きには「The American Yokohama Engineering Depot, Japan, probably the biggest in the world」とあった。知らなかった。相模原補給廠は世界最大だったのだ。

なおこの写真は1956年とある。敗戦直後、占領期のものではない。ではなぜ豪兵?おそらく、朝鮮戦争への豪軍部隊と思われる。相模原補給廠が世界最大となっていたのは、朝鮮戦争で操業が活発化した結果なのだろう。説明書き(ソースのリンク先)を読むと、豪兵は東京のキャンプ・恵比寿所属(洗濯兵!とある)。

Description

The American Yokohama Engineering Depot, Japan, probably the biggest in the world, is entertaining members of the 1st Commonwealth Division, including Australians. This centre supplies all American forces in the Far East. VX502320 Sergeant (Sgt) Charles Henry (Charlie) Herdy (centre rear, behind two others), of Bandiana, Vic, looks on as an American sergeant explains a technical point in one of the many machine shops. Sgt Herdy is NCO in charge of the laundry at Ebisu Camp, Tokyo,the British Commonwealth Sub Area Headquarters and Leave Unit. Private J 'Moose' Prouse (position in group not identified), of Ringwood, Vic, also shows keen interest.

 (ソース:https://www.awm.gov.au/collection/C1103014

■ 今週返した本

▼ ジョーダン・ピーターソン、『生き抜くための12のルール』 

ジョーダン・ピーターソンとは北米で活躍している学者で、反リベラルの論客とされている。渡辺靖の『白人ナショナリズム』では彼は白人ナショナリスト [wiki] と認識されている。(ジョーダン・ピーターソン wikipedia。)日本ではそんなに話題にはならないが、北米でのリベラルー「保守/右翼」論争で有名らしい。例えば、Google [Jordan Bernt Peterson right wing]。なぜ、この本を読んだかというと、なぜかしら、YouTubeの「お勧め」に出てくる;このジョーダン・ピーターソン。理由と考えられるのは、北米での「白人至上主義者」についてのYouTubeを見ていたからだろう。もちろん、おいらは、敵を知らば・・・という動機で見ている。

この本は聖書、文学など古典を以て人間を語っているが、通俗的処世術でもある。内容はYouTubeでみられる:『人生を生き抜くためのルール 前編 後編 』

▼ 白人・キリスト教至上主義

そこで、ジョーダン・ピーターソン、『生き抜くための12のルール』をみてみると、いきなり、日本人をチンパンジーと同席で、すなわち改行なしの同パラグラフ(段落)で論じている;

章タイトルが「卑しい未開人」であり、チンパンジーは、実は、チンパンジー同志で殺し合いをするのであり、「想像を絶するほどの残忍さ」であると紹介する。これは、人間ではない動物は人間のような残忍さはをもたないという印象、すなわち動物、あるいは類人猿は無垢であるという先入観を、著者ジョーダン・ピーターソンは否定したいのだ。このチンパンジーの残忍さを述べるパラグラフにおいて改行もなく、人間の残忍性を述べる。その例は日本人なのだ。

チンパンジーは超自我(super-ego)をあまり持っていないのだ。 人間に関しても、自己制御の能力は思いのほか 低いと用心しておくべきだろう。 日本軍による残虐な大虐殺 を描いた アイリス・チャンの『The Rape of Nanking』(翻訳は 『ザ ・レイプ・オブ・南京 』=同時代社)など、 衝撃と恐怖に満ちた本を精読すると、深く愛し合っている相手でさえ、 本当に大丈夫かと疑わしく思えてくる、 当時設立された日本の生物兵器研究部門、七三一部隊については、 ここで触れたくもないほどだ。 関心のあるかたは、じゅうぶん覚悟のうえ、関連書籍をお読みいただきたい。  (ジョーダン・ピーターソン『生き抜くための12のルール』)

このパラグラフのあとに、狩猟・採集民族(「未開人」)の残忍さが述べられる。ルソーのいうような文明化する前の人類は、文明後の人類と違って、無垢で高貴であるという認識を否定するのだ。とまれ、「未開人」の残忍性説明の前に、チンパンジーと人類の残忍さの代表として日本人の残忍さが述べられている。

ところで、「戦場にかける橋」[wiki](日本兵が「白人」捕虜を(も)酷使・虐待して橋を造らせる話)と「猿の惑星」[wiki]の原作者が同一人物であることは知られている。ピエール・ブール(wiki):フランス人。われらが日本軍の捕虜になった経験をもつ。実は、おいらは、両方ともきちんと全部を見たこと、読んだことはない。でも、なんとなく内容はわかる。<やつら>にとって日本人や猿が支配する世界というは全く驚愕すべき事体でかつ絶対受け入れられないことを前提とした話だ。ジョーダン・ピーターソンもそういう世界観の持ち主とわかる。白人の残虐行為は絶対目に入らないのだ。

この本では、新旧聖書が優れたものであり、指針となるべきものだという主張が基調である。一方、なるべきではないもの、その思想、その指導者として、ヒトラー、ナチス、スターリン、毛沢東が繰り返し指名される。ヒトラー、スターリン、毛沢東は底知れぬ恐怖が支配する体制の独裁者と認識されている。さらに、ナチス、スターリン主義者、毛沢東主義者が世界を堕落させ、地獄[*1]に替えたという。天皇ヒロヒトも一度出てくる。カンボジアのクメール・ルージュ(の大虐殺)も出てくる。つまりは、悪者・悪魔を明確化して、この本は進んでいく。

*1:本当の地獄を現出させるには、嘘が必要だ。という。

そして、良いものは、米国・カナダなどキリスト教国だ。言明していないが事実上は白人・キリスト教者たちである。なお、人種のことは触れていない。米国・カナダなどは先住民を虐殺、駆逐してつくった国であることは一言も言及していない。日本軍の南京大虐殺は論(あげつら)うのに。

ところで、著者ジョーダン・ピーターソンは共産主義を強烈に批判し、ソ連の共産革命後の残虐性、悲惨を語る。すなわち、ソ連の共産革命後、何百万人の富農がシベリアへ送られたこと、ウクライナでは飢餓が激しく発生したことなど。こういう共産主義の残虐さを大日本帝国はわかっていたので防共政策をとり、共産主義のチャイナ大陸への浸透を防ぐため満州国をつくった。日独防共協定はこういう背景での外交政策だ。一方、そのソ連を結んだのが米国である。それについてジョーダン・ピーターソンはいう;

残虐行為について 噂以上の情報がもたらされたにもかかわらず、 西洋の知識人の多くは、共産主義に対して 一貫して肯定的だった。心配すべきことが他にあり、 第二次世界大戦では、ヒトラー、 ムッソリーニ、 天皇ヒロヒトに反対して、欧米諸国とソ連が同盟を組んだ。(ジョーダン・ピーターソン『生き抜くための12のルール』)

これはほぼ嘘である。米国は早くからソ連政府を承認し、容共政策を実行し、あまつさえ、ソ連からの工作員を大量に米国政府内に許容していた。そもそも防共国家である満州国を認めなかったのが米英である。ジョーダン・ピーターソンはこの本で繰り返しスターリンと毛沢東の名を連呼し、「悪魔」扱いしているが、この二人を冗長させたのは米英(含むカナダ)である。

一方、キリスト教の擁護には熱心である。この本が出た後だが、カナダではカトリック教会が先住民の子供たちを虐待、虐殺していたことが明らかになっている(カナダで先住民族の子どもが集められていた「強制収容所」)。もちろんこんなことは公然の秘密だったのだ。なお、カナダは第二次世界大戦中の日系人の強制収容を、米国同様に行った。広島、長崎への核攻撃は米英加の大統領、首相の合意の作戦である。さらに、その日本への核攻撃を行ったカナダ政府の首相ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング[wiki]は「原爆の使用がヨーロッパの白人ではなく日本人に向けられたのは幸運だった」と日記に本音を書いている(ソース:原文機械語翻訳)。

キリスト教に問題がなかったわけではない。 しかし、そうした問題は、全く別の深刻な諸問題が解決された後で 浮上したと見るのが適切だろう。 キリスト教によって作られた社会は、それが とって変わった 異教徒の社会に比べー ローマ人の社会と比べて さえー野蛮さがはるかに抑えられていた。 p235

 サタンは、 犠牲の拒否を象徴している。 傲慢で無骨、意地悪で 欺瞞、残酷で意識的な悪意だ。人間、 神、「ビーイング」に牙をむく 純粋な憎悪だ。自分がすべきことをじゅうぶんに知り、手を緩めようとしない。さらに、自分が何をしているのかを正確に認識しており、 破壊への欲望に取り憑かれ、 故意に、 思慮深く、 完全に実行している。善の原型である キリストと対峙して誘惑する。まさに悪の原型だ。万人が最も熱望するものを、 極めて過酷な条件のもとにある、人間の救世主に差し出す役柄にふさわしい。p228

白人・キリスト教徒の「想像を絶するほどの残忍さ」はなんら語られていない。

▼ 井上隆史『暴流(ぼる)の人 三島由紀夫』

三島由紀夫の人と代表作を鍵語句「虚無とセバスチャンコンプレックス」を通じて書いたもの。三島由紀夫は付き合う人によって見せる自分をとても変えたことが今では明らかになっている。三島由紀夫の伝記で有名なものは親しい友人であった村松剛の『三島由紀夫の世界』がある。これはもう「プロパガンダ」である。すなわち、三島は本気の同性愛者ではなかった、三島は議会主義者であったなど三島由紀夫は紳士的な山の手文学作家であったとの評伝である。もちろん、村松は三島の情宣局長であったわけでもなく、三島に頼まれてプロパガンダを書いていたわけでもない。ただ、三島は村松に見せる自分を演技し、事実上の情報操作をしていたに違いない。そして、三島はこいつはおれのことを書いて稼ぎにするのだから、見せたものを書くだろうぐらいの計算はあったろう。さらには、漏れてしまった同性愛事情などは山手の友人同士の礼儀として隠してくれるだろうと踏んでいたのだろう。一方、三島の死後30年を経て、当時の同性愛事情も明らかになってきている。

井上隆史『暴流(ぼる)の人 三島由紀夫』の三島伝は過去の三島伝を踏まえて、のちに判明した事実と三島の創作ノート、ノーベル賞選考過程の資料、そして作品の解読を通じて、さらに、上記の鍵語句「虚無とセバスチャンコンプレックス」での三島研究。

▶「セバスチャンコンプレックス」:この言葉を「つくった」のは澁澤龍彦。

この由来は、もちろん、三島の『仮面の告白』で主人公がグイド・レーニ(wiki)の≪聖セバスチャンの殉教≫(聖セバスティアヌス[wiki]の殉教)を見て、性衝動が横溢し勃起し射精したという記述である。

澁澤が新語「セバスチャンコンプレックス」をつくった理由は、三島の「道義的革命」という新語を解釈しなければいけなかったからだ。澁澤は三島のいう「道義的革命」とは自己処罰に結果する反逆であると解し、それこそ三島の「好きな」≪聖セバスチャンの殉教≫だろうというのだ。それを、「セバスチャンコンプレックス」と名付けた。

ところで、澁澤も井上も言及していないのだが、この絵画≪聖セバスチャンの殉教≫はゲイのアイコンなのだという。( ゲイ・アイコンとしての聖セバスチャン )

澁澤が新語「セバスチャンコンプレックス」の要は反逆と自己処罰であると云っている。一方、井上隆史は、この『暴流の人 三島由紀夫』では、暴力的な性衝動の意で使われていると註がある。暴流(ぼる)は、「阿頼耶識」を象徴的に示す「恒転如暴流」(つねにてんずるところぼるのごとし)に由来するとのこと。なお、三島の母親、平岡倭文重に「暴流のごとく――三島由紀夫七回忌に」(新潮 1976年12月号)がある(ソース)。

● ノーベル賞:サイデンステッカーの「拒否権」

三島由紀夫はノーベル文学賞の候補になっていた。本人も意識して、ある時期、受賞に執心していたらしい。自分の作品の英語への翻訳促進に努めていた。一方、川端康成の推薦状も書いてた(書かされていた?)。今となってわかるノーベル賞の選考過程での評価が、井上隆史『暴流の人 三島由紀夫』で紹介されている。すなわち、ドナルド・キーンは「現在の日本人の作家のなかでは、三島がもっとも優れている」と書いてとのこと。ただし、年齢の問題で谷崎、川端がいると指摘もしている。年功序列!

一方、今となってわかる三島が受賞できなかった理由は、サイデンステッカーの評のせいなのだという。「日本のもっとも将来有望な若き作家」に留まっているように思われると評価している。その背景は、サイデンステッカーが川端康成の翻訳を多数行っていること。つまりは、サイデンステッカーは川端を推していた。当然、川端受賞のため、三島をけなす。さらに、井上の指摘で興味深いのは、政治的問題である。

端的にいって三島の「右翼的」傾向へのサイデンステッカーの嫌悪。さらに、同性愛問題があるのだという。

ノーベル賞から話はずれる。三島は敗戦後、同性愛者の社交場、飲食店で占領軍兵士と交流があった。一方、米国本国では、当時、同性愛は公認されておらず、同性愛趣味の占領軍の軍人、軍属たちは、組織内では公表できない自らの趣向を占領地の巷で謳歌できていたことを示す。その米兵の同性愛者たちと三島はつきあいがあった。ゲイ・サークルを形成していた(銀座ブランスウィック (ゲイバー)[google])。かれらは当時の焼け跡の東京からアメ車で九十九里浜のへ遊びに行っていたそうだ。行先の浜の町は、漁民が裸で働いているから選ばれたらしい。『仮面の告白』を翻訳したウェザビー[wiki]はゲイ・サークルの一員であった。さらに、サイデンステッカーはこれを助けたらしい。さて、当時、同性愛は米国では公認されていなかったので、三島がノーベル賞をとれば、同性愛を語った『仮面の告白』の翻訳にサイデンステッカーが関わっていたことが明らかになる。保守的なコミュニティで生きていたサイデンステッカーはそれを恐れた。だから三島を評価しなかったというのだ。

ところで、三島が盾の会の観閲式で祝辞を述べてもらうことを川端康成に頼むと、きっぱり、速攻で断られた。これを三島は涙を浮かべ村松剛に話した(『三島由紀夫の世界』)。この川端康成が盾の会を拒否した理由は、サイデンステッカーから釘をさされていたからではないか?「右翼」的なものにかかわるなと。

井上隆史も指摘するように、『英霊の声』、『文化防衛論』、そして、『わが友ヒットラー』は、今でいうところの、政治的正しさ(ポリティカルコレクトネス)と調和的でない。ノーベル賞を遠ざけた。これを、三島はノーベル賞なぞ欲しいとは思わなかったと解釈するか、無神経だったと考えるのか、ひとつの問題だ。

三島はプライベートな事柄を描くように見えながら、射程を社会、時代、歴史の全貌に広げ、逆に、どんなに広い小説であっても、描かれる出来事は、すべて自身の身の上に起こった具体的な事実から出発してるのだった。(p187)

▼ 小谷野敦、『徳川時代はそんなにいい時代だったのか』

江戸時代について羨望の眼差しをそれは幻想だとわかっていて向けてしまう動機というのは、①江戸時代において初期の対バテレン戦争(島原の乱)と北方ソバージュ民との戦争(コシャマイン、シャクシャインの乱など)に限られ、主地域では事実上戦争がなかったこと、②ましてや大規模な対外制服戦争がなかったこと、そして、③化石燃料を使わず、経済(物質の循環)の持続可能性が極めて高かったことである。もちろん、この江戸時代の経済の生活水準を今の生活になれた日本人が耐えられることはないだろう。したがって、現在日本人の江戸時代評価は、欺瞞的なものである。すなわち、近代「文明」がもたらした暖衣飽食の安楽生活にひたって、都合のよい江戸時代を夢想してしているのだ。でも、なぜ、近代日本人(の一部)はつい夢の江戸時代を希求してしまうかというと、それは近代社会の基調であるパラノイアに疲れているからだ。パラノイアの典型が経済の拡大(経済成長)と戦争による「秩序」の確立=資本主義体制の世界化(植民地支配と帝国主義間戦争)である。

特に興味深かったのは、小谷野博士の西洋文明の摂取についての見解;

「私には、ルネッサンス以後西洋で進展した科学文明や、近代政治思想を、優れたものとして明治日本が輸入したのは、当然のこと」「私より若い世代でも、こういう屈託に取りつかれているひとがいて、保守を名のってみたり、反米を叫んでみたりしているのは、まったく意外だった。現在でも、西洋中心主義にこり固まって、日本の近代化を「サルまね」などと言う日本人がいるが、信じがたいことである。優れたものを取り入れることにサルまねもクソもないではないか。どうにもこじれたプライドと偏見の持ち主がいるものだと思わざるをえない。」

この見解はおいらの世界観とは違うと感じた。例えば、優れたと思って導入した近代政治思想としての明治憲法体制下で、その憲法の「欠陥」で(実質的に国家を責任ある<機関>が統制できず)滅亡したのが大日本帝国だし、優れた原子力発電所を「サルまね」して、すなわち、地震や津波がない地域で成立した技術であることを無視して導入したので、爆発させたのが近代日本だ。

▼ そして、奥羽越列藩同盟加盟国問題

酒井忠次の子孫は代々 左衛門尉を名のり、出羽庄内藩主だった。 鳥羽・伏見の戦いの前哨となった、江戸 薩摩屋敷の焼き討ちは 庄内藩がやったもので、薩摩の挑発に乗った形 だが、奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍と戦った。 p125

愚記事:「会津は奥羽越列藩同盟に加盟していないし、ましてや、容保(かたもり)公は、その同盟の盟主ではない。」がある。要旨は「奥羽越列藩同盟とは東北諸藩が会津を救済するためにつくった同盟である。会津は同盟の目的の対象である。その対象者が盟主となることはない。」である。同様に庄内藩もそうである。小谷野博士は『名前とは何か― なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』では会津は奥羽越列藩同盟の加盟藩として、さらにこの『徳川時代はそんなにいい時代だったのか』では庄内藩を同盟加盟藩としている。

奥羽越列藩同盟の加盟藩については、会津と庄内を含める学説と含めない学説の2つがあるとのこと;

奥羽越列藩同盟に加盟した藩と,藩旗が知りたい。

「※会津・庄内藩の救解を目的として結成された性質上,会津・庄内藩は同盟に参加していないが,会庄同盟を結んでこれに連携したことから,本図では同盟加盟藩として扱っている。」との記述もあり。

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