▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第8週
■ 今週の筑豊境
■ 今週の花蝶
■ 今週の昭和の成仏のために
民営化を前に国鉄はコンテナを民間に払い下げた。巷に国鉄コンテナが目に付くようになった。そして国鉄民営化=国鉄消滅、JR発足の後も、「国鉄」の名前、文字は巷に残ることとなったのだ。
新品の国鉄コンテナの画像が見られる⇒ web site
■ 今週見た伝統、103年目
JR鹿児島本線、折尾駅
JR鹿児島本線、折尾駅の駅弁立ち売り@声出し。
・99年続く「駅弁の立ち売り」を引き受けた53歳の新人の来歴
■ 今週の「ひっかかり」
愚記事で「1980年代初頭の日本で、ガウディーは知られていなかったという説」がある。2013年、11年前だ。その記事で「田澤耕、『カタルーニャを知る辞典』 の巻末には、「本書では数多くの参考文献を用いた。ここでは、日本語で手軽に読めるものだけを挙げておく」と但し書きで、日本語参考文献が23点挙げられている。 樺山紘一、『カタロニアへの眼』はない。 中公文庫にもなっていたし、最近、刀水書房から再販されたのに。」と書いた。
そして、今週見つけた。2018年の田澤耕の文章。
学士会アーカイブス いま、カタルーニャで何が起こっているのか 田澤 耕 (法政大学国際文化学部教授)
その「おわりに」に書かれていることに、おいらは、ひっかかった。
カタルーニャと関わりを持つようになって三十年以上になる。カタルーニャに関する私の最初の著書は、『カタルーニャ50のQ&A』(新潮選書)で、樺山紘一先生が推薦文を寄せてくださった。それまで日本には先生の『カタロニアへの眼』(現在、中公文庫)しかカタルーニャ関係の本はなかった。その先生が推薦してくださったのだから大いに感激した。そして今また、先生が私の『學士會会報』への執筆を後押ししてくださったと聞いている。ありがたいことだ。期待に反しないよう、今後もカタルーニャ一筋で勉強していきたい。(上リンク)
田澤耕は自著『カタルーニャを知る辞典』で、樺山紘一の本を挙げていないのに、このようなことをいうのだ。「それまで日本には先生の『カタロニアへの眼』(現在、中公文庫)しかカタルーニャ関係の本はなかった」、つまり「唯一」のカタロニア/カタルーニャの樺山の本を「無視」したのに、このようなことをいうのだ。おいらは、ひっかかった。
示された参考文献
樺山紘一の本は認められない
■ 今週の誤字;基本編
星亮一という作家がいる [wiki、 公式サイトプロフィール]。幕末・維新関連の書籍が多い。東北人であり、奥羽越藩同盟に肩入れしている。大学時代の指導教官は石井孝[wiki]であったと本人がどこかで書いていたとおいらは記憶している。
さて、誤字。「先立つ不幸」。誤字鑑賞での初級編だ。この誤字の趣深いのは、この誤用には実社会の影響があること。戦後、「孝」の概念は衰退した。一方、自分の「幸せを追求する」イデオロギーが瀰漫した。「幸せを追求」したが実現しなかった場合、不幸となる。自分の幸福を追求し、しかし、叶わず、(なぜかしら)死を選んだ時、当人たちは「先立つ不幸」と認識するのである。つまり、自分のことが第一なのだ。孝の人は自分より親を第一に考える。必ずしも自分の「幸せを追求する」ばかりではなかった昔の時代、不運にも死を選んだ時、当人たちは親に対し申し訳なく思い、親より長生きして十分親孝行ができない結果となる「先立つ不孝」を詫びながら死んだ。これは、「先立つ不幸」と自ら考え自己憐憫の中で死んでいく身勝手な人とは違うのだ。
この「先立つ不幸」誤字問題を指摘したのは、もちろん、呉智英だ(『封建主義 その論理と情熱』1981年 [google])。
星亮一の誤字に戻って、この文章では吉田松陰が親を思う歌を詠んだことを引いて、親思いの松陰という文脈なのに、「先立つ不幸」と来た。松陰は本来忠孝の人であらねばならないのに、まるで、自己憐憫の中で死んでいく身勝手な自己中心的な人のごとく書いてしまっている。かなり松陰を貶めている。これは、やはり、「消えない"怨念"」のなせるわざ?
■ 今週の思い出したこと:北京の飲むヨーグルト
市立図書館で立ち読みしていたら、下記写真が目に入ってきた。見たことがある。
これは瓶入りの飲むヨーグルトであり、北京の街頭で売っていた。2013年の北京参りの時だ。このストローが差してある瓶は飲み終わったものである。飲み終わった後このように回収して集め、なぜかしら店頭に並べてあった。この写真の通りであった。
この瓶入りの飲むヨーグルトは、北京酸奶 [google]というらしい。立ち読みした本『ヨーグルトの歴史』にはナイラオ(奶酪 [google])=北京ヨーグルトと呼ばれると書いてある。さらには、老北京酸奶(google 画像)がこの瓶入り飲むヨーグルトのことに違いない。
飲む前の老北京酸奶の姿体。ガラス瓶入り。
ソース 黒色中国BLOG 様
どうやら今ではガラス瓶入りも時代遅れとなり、プラカップ入りとなったらしい(メーカー web site)。でも、そもそもは陶器だったとのこと:「白い焼きものの瓶に入っていて、上にかぶせた紙にストローを突き刺して吸って飲みます」(工藝素材研究所 様、老酸奶 写真多数)。1989年のこと。
■ 今週の電車:架線式蓄電池電車「DENCHA」: JR九州BEC819系電車
JR九州、若松線、折尾駅にて
架線式蓄電池電車「DENCHA」, JR九州BEC819系電車(wiki)
「マンガン酸リチウムイオン二次電池CH75-6形(日立化成製)を搭載」(上wiki)
蓄電池電車はディーゼル機関車(気動車 [wiki])を代替する。電化されていない「田舎」の路線に適しているのだ。
気動車よりも航続距離が短く、(現時点では)高速化や長距離の路線での運行には適さない。このため2023年現在で日本国内で実用化されている路線は、JR東日本の男鹿線と烏山線、JR九州の若松線(筑豊本線)、香椎線といった蓄電池走行での運用距離が片道20〜30kmの短距離に限られている。(wiki)
■ 今週初めて見た実物:参政党
折尾駅前で参政党の人がいて、パンフレットをもらった。参政党といえば、いわゆる「陰謀論」。なにより、反グローバリズムだ。グローバリズムにより日本が隷属化されるとの主張。ワクチン、米国、日本マスコミ。「右派」的感覚で現体制に超違和感をもつ「草の根」の人たちに指示があるのだろう。反エリート主義的感覚・趣向が強いとおいらには見える。
パンフレットをみて、意外だったこと。「五日市憲法」を名指しで、「憧憬」。これは興味深い。「右派」は当然現行のマッカーサー憲法を否定する。そこで志向する方針は「大日本帝国憲法(明治憲法)」的憲法の再建。極端な右派はマ元憲法廃棄、明治憲法復活だ。
でも、参政党は違うようだ。本当の意味で立憲主義。マ元憲法は「押しつけ」であることはいうまでもないが、「大日本帝国憲法(明治憲法)」だって「薩長憲法」である。日本人というのは自ら憲法を制定したことがないのだ。日本人初の憲法制定をする!というのはまともである。そして、引き合いにだされたのが「五日市憲法」だ。上野千鶴子様の旦那様であらせられた色川大吉もびっくりである。
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