いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

天よ、我に仕事を与えよ

2007年01月07日 19時35分02秒 | 日本事情


昨日は検索語句「世良修蔵」で幾人かの人においで頂いた。ご丁寧に「世良修蔵 竹 雀」の方もいた。 あのテレビ場面で、世良役の山口智充(あってる?)の台詞で「仙台藩の家紋の竹、雀」と言って、ちゅん・ちゅんと雀の鳴きまねをして、上杉・伊達家臣をおちょくったのを見て、よくわからんくて、ネット検索をしたのだろう。



おいらは、昨晩は、時代劇チャンネルの独眼龍政宗を21:00-23:00見ていた。昨晩はあの花押のセキレイの眼の話で、見逃せなかった。「白虎隊」は11時すぎから、ちょっとだけみたら、世良修蔵やっていた。世良はピストルをもっていて、襲われたとき引き金を引いたが発射しなかった。あの場面の資料は藤原相之助「仙台戊辰史」に基づくものである。大仏次郎の「天皇の世紀」での同場面も藤原相之助「仙台戊辰史」の引き写しである。
小嶋・姉歯 @竹雀系


世良修蔵を含む「薩長」のテロ・クーデターによる帝(みかど)拉致を極致とする大日本帝国の<捏造>への ぐち は、このブログの「中心軸」であり、すでに書いた; 「羊をめぐる暴言 」

■さて、時代を廻すテロリスト=烈士の気質について、おいらは、日頃のんべんだらりんと考えている。 立花隆あたりは、現在のハマスなどがやっている自爆テロというのは、日本赤軍がイスラエルのテルアビブ空港での、(本人たちはイスラエル人を無差別殺害しようとしたのだろうが、実際はプエルトリコだのからの巡礼団を殺害した)、乱射事件に由来する、とおっしゃる。 (ちなみに、この殺害の保障・賠償を日本政府がしている。これは、生麦事件の保障・賠償を徳川幕府がしたことを彷彿とさせる。) この事件、現場で手榴弾で自殺したのが奥平剛士、生きて捕まったのが岡本公三である。奥平は 長州 の出である。下関の生まれ。 岡本は出身はまだ未確認だが鹿児島大学だって。 つまりは「薩長」だな。


奥平剛士の遺稿集があると知り、贖おうと検索。アマゾンで見たら、1万円だった。天よ、我に仕事を与えよ―奥平剛士遺稿 (1978年) [古書]  その値段じゃちょっとと思った。 が「日本の古本屋」では1000円だった。高原書店、マンセー!

奥平の大学時代の日記・ノート。 ストイックな純粋まっすぐクンであり、まさか、人様に読まれることを予期したわけでもないあろうから、セキララである。セツルメント、ミンセイやってた。セツルメント、ミンセイとか若い人にはわからないだろうが、おいらもわからない。セツルメント・ミンセイが、自動小銃乱射、手榴弾で自爆。なぜ人は 烈士 となるのか?考えたい。



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