いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

『私の昭和維新ノート』 門馬昇 

2006年02月01日 20時44分32秒 | 


『私の昭和維新ノート』 門馬昇、さきたま出版会、非売品 

■つくば科学万博が開催された時(1985年)、つくば市はなかった。いくつかの町や村が合併して、「つくば市」が発足したのは1987年。なので、今のつくば市には旧町村にできた図書館が点在している。そんなつくばの図書館のひとつに、日頃はあんまり行かないのだが、行った。その時発見したのが、この『私の昭和維新ノート』。郷土史のコーナーに、なぜかしら、あった。

■著者の門馬昇さんは大正七年、福島県は相馬の生まれ。没落士族の家系とのこと。海軍兵学校受験のため上京勉強中2・26事件に遭遇。衝撃と感銘を受け、大東亜塾に入門。北一輝に傾倒。統制派の別働隊ごとき昭和維新には一線を画し、活動。つまり、<国家=政府を援けるが右翼>という俗論の外にいたということらしい。

■この本の主張は極めて簡素なんものであるが、極めてユニーク。つまりは、丸山眞男・宮沢俊義流の敗戦=八月十五日革命説ならぬ、敗戦=昭和維新(=2・26事件)説、というもの。その説は、昭和天皇は日本の民主化を条項に含むポツダム宣言を受け入れることで、2・26事件でできなかった民主化を、戦後日本で実現したというもの。

■モデルは単純;
悪玉;陸軍統制派(=2・26事件「弾圧」);君側の奸
善玉;薩長→北一輝や「皇道派」青年将校→米英占領軍;忠君
戦後日本というのは、昭和天皇が選び取った評価・肯定されるべき歴史であるということになる。

著者が詠う短歌は;

  ・君知るや敗戦変革はGHQによる二二六の再現なりしを

  ・さながらにGHQは薩長(北・西田派)なりき指令変革の跡をし見れば

■もっとも、昭和天皇が二二六事件のとき、討伐する!と言ったとされることへのコメントは特になし。

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