いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第399週

2022年07月09日 18時04分52秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第399週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の草木花実

■ 今週の「半割」で「半額」

半割りんごのアップルデニッシュ(いなげや web site

■ 今週の「毛唐」

高橋たか子、小説、「彼方の水音」

「笑い声を、いまなか家にプレゼントしますわ」
 篠山婦人が、ハンドバッグから取りだしたのは、長さ十 センチたらずの巾着型をした麻の袋だった。
「メイド・イン ・ユー・エス・エーか」
 秋男ががとりあげて袋に印刷された文字を読みあげた。
「笑い袋といいます」
「毛唐の笑い声じゃないか。アメリカじゃこんなものがはやるんですかな」
篠山氏が行った。
「絶望しているんだね。アメリカ人も」

1971年の作品。笑い袋:wikipedia  笑い袋(わらいぶくろ)とは、内部に音を出す機械が入った布製の袋で、ボタンを押すと録音された笑い声を再生するジョークグッズである。 

今でも売っているらしい。 YouTubeで音が聞ける

■ 今週の訃報、あるいは、隔靴掻痒の言葉遣い

われらがアベちゃんが、殺害された。最初、お昼のニュースで、「安倍元首相、倒れる」というから、熱中症にでもなったかと思っていた。ただし、この時点で発砲で、銃撃されたとわかっていた。それなのに、「安倍元首相、撃たれる」とはいわないのだ。昼で、心肺停止報道されていた。翌日(今日、7/9)は、「死去」だ。海外メディアは has been assassinated (暗殺された)だ。日本では、銃撃され死亡とはいわない。直截的な表現を忌避するのが習慣なのだろうか?

■ 今週の思い出;<「アベ」族>造反運動

われらがアベちゃんが、殺害されことを受けて、ニュースで澤地久枝さんが出ていた;「「テロで政治よくなったこと一度もない」 澤地久枝さん 安倍氏銃撃」。このニュースでおいらは初めてあの「アベ政治を許さない」というポスターを掲げる運動をやって来た人だと知る。おいらは、これまで、「アベ政治を許さない」というポスターを掲げる家を2軒みたことがある。いづれも、築30年でも中古価格4,000万円は下らないような家であった。一方、低所得者が住んでいるに違いない住宅では一度も見たことがなかった。<「アベ」族>は「アベガー」、あるいは「なんでもアベのせいだーず」勢力。彼らほど安倍晋三さんを過大評価し、全体を見失っている人たちはいないと、おいらは、思う。なぜなら、安倍晋三さんが諸悪の根源であり彼がいなくなりすえすれば良いかのごとくのことを云い、安倍晋三さんを国政選挙で連勝させた「民意」=世の中の構造が見えていないからだ。

受け入れられ難い現実はありうることである。その原因がすべて特定の因子とする思考というものがあるらしい。さらには、その思考は少なからずの人に抱かれる。傍からみて、病・貧には困っていなさそうに見える人々、いやむしろ裕福そうに見える人で受け入れられ難い現実をもつ人たちがいるらしい。裕福そうに見えて自分の人生がうまくいっていないらしいいのだ。そのルサンチマンのはけ口が「アベが悪い」となる人たちだ。そういう人たちがいるのだ。澤地久枝さんもそうだろう。もの心ついたら、自分は(日本から満州への)「侵略者」だ。ソ連軍が侵攻してきて、人生激変。引揚で不幸のどん底だ。その不幸の原因は「日本軍国主義」であり、その復興が「アベ政治」だという世界観である。