いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第401週

2022年07月23日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週の三毛ちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第401週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の花

■ 今週知ったこと;「金港」は横浜港の美称

横浜の話なのに発端は仙台の本屋。仙台の古くて有名な書店の金港堂はまだあるのかな?と確認した。すると、あるweb siteに金港堂の名前の由来が書いてあった;

明治43年創業、平成22年11月に満100周年を迎えた老舗書店。創業者である故・藤原佐吉さんが東京の教科書出版社・金港堂で働いていた縁で、のれん分けをしてもらったのが始まりだ。当時、横浜は文明開化に伴う貿易で金のなる港『金港』と呼ばれ、横浜で開業した金港堂がそれにあやかり屋号としたという。一般書籍の販売はもちろん、社内に出版部を有しており、郷土に根ざした出版物を多く手掛けている。web site

仙台の金港堂が横浜と関係があるなどとは全く思いもよらなかった。

■ 今週の復刻本

Amazon

1981年に中公新書として刊行された長崎暢子、『インド大反乱一九五八年』が、今月ちくま学芸文庫から復刻、再版された

インド大反乱は、昔の人はセポイの乱として習っただろう。おいらは、中二病の頃から「インド幻想」をもつようになった。アメリカが嫌いだからだ。排外的、右翼的政治的動機からだ。 その頃、みた(読んだとはとてもいえない)本だ。大人になって、インド大反乱の発生地 メーラト に、仕事で行った。IIT出のインド人諸君と史跡めぐりをした。

■ 今週返した本

高橋たか子、『彼方の水音』。高橋たか子の本は最近たくさん借りて読んでいるが、延長できなかった初めての本。この本は高橋たか子の最初の小説の単行本。1971年刊行。半世紀前の本だ。それを読みたいと予約して待っている人がこの横浜市にいるのだ。

この手許にある横浜市立図書館の『彼方の水音』は第2版で1976年に刊行されたもの。1978年(昭和53年)以降の貸し出し件数の情報がわかる。1978年は7件、1979年(昭和54年)は6件、1980年は5件、1981年は2件など。したがって、今年2022年は、少なくとも2件の貸し出しとなる。

この『彼方の水音』は小説5作、「相似形」、「囚われ」、「渺茫(びょうぼう)」、「子供さま」、「彼方の水音」が含まれている。高橋たか子の初期の作品群。このうち「囚われ」などいくつかが芥川賞候補作となった。

作品に共通するモチーフは、「母親」、「母性」、「子供/娘」、「団地/新興住宅地」、「旧家」、「妊娠」、「老婆」、「幻想/夢」、「攻撃性/殺害(妄想)」などである。『相似形』については先週書いた

随筆、日記、自伝を読み、その後、小説を読み始めた。まだ読んだ作品数は少なく、『誘惑者』、『亡命者』、『過ぎ行く人たち』。高橋たか子は『誘惑者』を書いている頃カトリックの洗礼を受けた。『亡命者』、『過ぎ行く人たち』はキリスト教を背景とした物語。一方、この『彼方の水音』は、表だってキリスト教的文学ではない。時期的には夫の高橋和巳と死別する前後。表だってキリスト教的文学ではないといったが、むしろ人間の、この作品群では「女」の「悪魔的」動機も書いている。つまり、神あっての悪魔、悪魔あっての神という思考法からみれば、潜在的キリスト教文学と云える。事実、この後の『誘惑者』では「悪魔学」(神学のネガ)に言及している。

『彼方の水音』の作品群には、『相似形』については先週書いたような、ミソジニー(女性嫌悪)、しかも女性へのミソジニーを描くところが多い。端的に主人公の女が他の女を殺害する脅迫観念に囚われる。実際には実行できないが。あるいは、女である自分を身籠ったこどもごと殺す、自殺する。あるいは、生活の中での女による女への嫌悪が書かれている。いくつか、抜き書きしてみる;

▼ 『囚われ』

 さらにずっと以前、子供のころに見た、銭湯の女風呂の光景が思い出された。家の風呂がいたんだ時に銭湯に行かざるをえなくなり、生まれてはじめて眼にした裸体の女たちの醜さに驚かされたのだ。女になりたくないという意志が理以子の裡に目醒めはじめたのはその時かもしれない。(『囚われ』)

▼ 『渺茫』

「繁殖は存在のほろびなのだから」

 今日もまた清子は戸外を歩きまわる。家の中の巣を逃れ、アパートにいとなまれている夥しい巣の眺めから逃れ、ただ一人で大都会の町並みにさまよいでる。(中略)家族同士、同僚同士、友達同士、会員同士、コネ同士、同窓同士、親戚同士・・・・みんな生暖かい粘っこい巣をなして歩いている。そのなかで清子が探すのは、あの人だ。あの男、あの女。その人は、こわばった背中をみせて、向こうへただ一人で歩いていく。その人こそ本当にくっきりと存在する人なのだ。その人こそ本当にくっきりと存在する人なのだ。人々のながれゆく雑踏のさなかに、清子はそんな背中をほんの時折みつけだす。貴男、と呼びかける。貴女、と手をのばす。なんと渺茫としたひろがりだろう。(『渺茫(びょうぼう)』)

▼ 『彼方の水音』

双子 「お母さまなんて要るかしら」「三人だけよ。お父さまとわたしとあなた」

なぜなら老人の声が聞こえるからだ。われわれはすべて、物質に還ろうと努めねばならん。有機的ななまなましさを次第次第に捨てていって、肉体性を離脱し、硬く明るい物質というものにたち至った時、はじめてわれわれは救済を得るのではないかね。そのような物質が夢想するところのもの、それが精神なのだ。この世の人々はこの単純な原理を理解せぬ。故に宗教などというものがはびこる。宗教は、あがき苦しみ、あがき苦しむことを教えているようなものだな。その苦悩の恍惚感が神にいたる道だとな。だが苦悩とは実はなまなましく淫らなものではないか。(『彼方の水音』)

■ 今週のビンゴ:「高橋たか子」、「ワシントンハイツ」、そして、「江藤淳」まで(裏ドラは「仙台」)

愚ブログでは、最近、「高橋たか子」について言及し、少し前は「ワシントンハイツ」について言及してきた。こんなブログは他にない。

高橋たか子関連を調べるためネットでの検索でこの「暇人の雑記帳 」様の web siteにたどり着いた;

暇人の雑記帳  読むー好きな作家などについての寸評

朝日新聞は7月19日(2013年)の朝刊で、12日に高橋たか子が81歳で死去した事を報じた。大変残念である。合掌。
 私は朝日新聞に書かれている高橋たか子の不思議な世界(女性の内面)を追究した作品が好きで、むさぼるように読んだ記憶がある。 夫の高橋和巳の作風とは全く違うという事もビックリした。

高橋たか子を読んでいる人はどんな人達か関心があったので、参考になった。この方は典型的団塊の世代。

さて、この方の作ったたくさんのsiteを見てみると、その中のページに、あった(ビンゴ!);

当時の父の仕事について、詳しくは知らないからだ。米国製品を主に官庁のだれかれに売り歩いていたのは知っていたが、それをどこでどのように入手していたかを知らない。時々、東京に行っては仕入れてきてはいた。アメ横とのつながりはあったが、他からも仕入れていたのだろう。法律違反の入手であったことが分かったのは、新聞に記事が載ってからだ。何でこんな話しを書くかというと、私の父は1900年生まれであり、戦後、45歳を超えていて正業につきにくかったのではないか、と思われるからだ。もっとも、その気になれば正業につけたかもしれないのだが、男性も女性も平均寿命が60歳代だったから無理と思ったのだろう。80歳代になった今では考えも及ばないが。数年前のことだが、兄から代々木のワシントンハイツに父と一緒に行ったという話しを聞いた。今では、何をしに行ったのか想像できる。

さらには、江藤淳まで出てきた。江藤淳と高橋たか子は同い年であり、彼らの文章、作品は後続の団塊の世代に愛好者をもった。

ただ私は江藤の良き読者ではないだろう。一つの著作も読んでいない可能性さえある。本棚には、裏扉に” ’67.10.23仙台・古本屋にて”と書かれた中身が綺麗な単行本の「成熟と喪失」(初版発行ー昭和42年6月5日、再販発行ー昭和42年7月20日)が一冊ある。紐状のしおりが裏扉に挟んであるので、私の習慣から考えれば読んでいることになるが、読んだ記憶がまったくない。読書好日 平山周吉著「江藤淳は甦える」

この方は、1967年3月~1973年3月、あの激動の時代!に学部とマスターの6年間、仙台にいたとのこと技術系の仕事をしていたことから、おそらく工学部であったのだろう。「暇人の雑記帳 」様リンク集