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▼ 新しい街でもぶどう記録;第286週
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■ 今週気付いたこと;永山則夫連続射殺事件での拳銃・銃弾取得の役割
永山則夫連続射殺事件(wikipedia)というのがあった。1968年。
犯行当時19歳の永山則夫(1990年に死刑確定、1997年に少年死刑囚として死刑執行)がアメリカ海軍・横須賀海軍施設(神奈川県横須賀市)に侵入し、後に凶器として使用される拳銃を盗んだ[注 1]。永山はこの拳銃を用い、社会への復讐のため、短期間のうちに4人を射殺した。(wikipedia)
[注 1] 永山は自殺願望があり、米軍基地に乗り込み暴れれば射殺されるだろうと思い忍び込んだところ、偶然に宿舎内に置いてあった婦人護身用の22口径の小型拳銃を入手したので、社会への復讐心から計画を変更したと供述している。
この事件に特に関心がなかたったが、永山則夫が逮捕されたわずか3日後に行われた江藤淳の講演において、この事件となにより容疑者・永山則夫についてかなり言及されている。江藤はこの事件の容疑者の拳銃による射殺はある種の表現であり、「もし彼がことばを持っていれば、彼は何かを表現していたかもしれない」(江藤淳、『批評家の気儘な散歩』IV 自己、その生と死と永生と [2])といっている。
ネット情報によれば永山則夫は22口径拳銃だけでなく50発もの弾丸も窃盗で入手した。相当な「表現手段」を手に入れたことにある。そして、興味深いのが、拳銃と弾丸を入手したから社会への復讐を実施しようと決意したことである。別に、社会に怨恨があるのであれば、拳銃を待たなくてもよいではないか?永山則夫は言葉で以て社会を呪うことができると知らなかったのだろう。
さて、永山則夫に共感する人は、不幸な生い立ちに同情する。そして、その境遇が事件の最大要因と考える。でも、この一連の事件が実現された不可欠な因子は拳銃の入手ではないか?そして、米軍横須賀基地の拳銃の管理が問題に違いない。何より、米軍基地に忍び込んだ永山則夫は盗み目的以上の「何か」があり、その「何か」以上のものに「恵まれ」てしまったことがこの一連の事件が実現された不可欠な因子であることが認識されるべきだ。
[2] もし彼がことばを持っていれば、彼は何かを表現していたかもしれない。あるいはことばをもっと広い意味に考えて、通常の言語だけではなく、音楽とか、絵画とか、彫刻とか、何でもいいのですけれども、そういう広い意味でのことばを用いて表現できるような人間であれば、彼の中にわだかまっているもどかしく重苦しいものは、ことばになってある形をえがいていたかもしれない。だが、幸か不幸か、この少年はことばを持っていなかったのです。彼はことばのかわりに、米軍のキャンプから盗み出したピストルを持っていた。 (江藤淳、『批評家の気儘な散歩』IV 自己、その生と死と永生と)
なお、些細なことだが、江藤の言葉遣いに不適切部分がある。「米軍のキャンプから盗み出したピストル」。永山則夫が拳銃を盗み出したのは米海軍横須賀基地である。キャンプ、campというのは(米)陸軍の基地を指す言葉。海軍基地はキャンプとはいわない。いうとすれば、ベースである。
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