いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

肉食系としてのぬっぽん(日本)、あるいは、神道、本当の仏教を参照として

2017年09月27日 19時16分39秒 | 日本事情

明治維新の時、仏像を焼く、日本神道をイデオロギーとした薩[1]長兵士。

[1] 薩摩=今の鹿児島県では、明治維新の時、仏教寺院がひとつもなくなった。


https://twitter.com/hitoshinagai1/status/912634938511343616

正義、権利、闘う、義務

これらが20世紀を戦争と革命の世紀にし、人類の大量死を結果させた駆動力である。

そして、正義、権利、闘う、義務を「欠落」させていると永井均になじられている「仏教」こそは、

われらがぬっぽん(日本)、特にくんだいぬっぽん(近代日本)において、

根付かなかったものである。

その証左に、まずは、「仏教」は日本神道により撲滅された。 日本神道は、意外に(当然にも!!!???)、凶暴である。

次に、くんだいぬっぽん(近代日本)の「仏教坊主」は肉を喰らいセックスしまくっているという似非仏教であることだ。

われらがくんだいぬっぽん(近代日本)正義、権利、闘う、義務を欠落させた仏教をもたなかったからこそ、

日帝を発足させ、戦争と革命の世紀の20世紀において、アジア・太平洋地域において、あれだけの大量死を発生させたのだ。

残念だな、お釈迦さん。